<復活節第七主日>

2019年6月2日()   礼拝説教


「神に愛されている民として」  (石田 摂子牧師)

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2) 新約聖書
1テサロニケ 5:16−18



16 いつも喜んでいなさい。
17 絶えず祈りなさい。
18 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。





(聖書 終り)


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◇ 説教 
(石田 摂子牧師)         2019年6月2日

「神に愛されている民として」

最近、嬉しい事がありましたか?
楽しいことがありましたか?
そう聞かれて、即座に元気な声で
「はい!」と答えられますか。
私たちは、そのように質問されると、
一瞬戸惑ってしまいます。
嬉しい事よりも、
憤りの方が多かったかな、
楽しいより、辛い一周間だったかな。
そんな風に感じるのは、
世の中で痛ましい事件や災害が、
ことのほか多いからでしょうか。
嬉しい楽しいニュースより、
悲しい悲惨なニュースばかりでした。
しかし、そうしたことだけでなく、
わたしたちは何かにつけて、
不満や心配、怒りや落胆を、
多く心に留めてしまいます。
毎日が楽しくて嬉しい事ばかりで、
良い事ばかりならどれ程良いでしょうか。
誰もがそう思って、
新しい一日をはじめているのでしょうが、
そのはずだった一日の始まりも、
すぐに愚痴や不平が膨らみます。
今日は天気が悪いとか暑いとか、
朝から元気が出ないとか。
平不満だらけの日々を過ごしたい、
そんな風に望む人はいないでしょう。
でも、現実は喜びを忘れ、感謝を失い、
愚痴から始まることを選ぶのは残念です。
ちょっとした事に苛立ち腹を立て、
その日を暗くするのは不幸です。
でも、実に多くの人々がつらいことを抱え、
苦しさと悲しさを秘めているのは事実です。
そのような辛い苦しい日々から解放されたい。
そう思ってもできない、
いや、できないと思い込んでいるのが現実です。
そんなわたしたちに向かって、
今日の聖書はなかなか厳しいことを言います。
パウロはとても難しいことを命じるのです。

 いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。

そのような日々を送れたらどんなに良いことか。
でも現実はそうはいきません。
私たちは、現実と理想の狭間で、
もがいています。
私たちは誰だって、
喜びのない日々を送りたいわけではありません。
目の前の現実に悲しみ、
苦しみから解放されるのが難しいです。
それでもパウロは、
いつも喜びなさい、
絶えず祈りなさい、
どんなことにも感謝しなさい、
そのように勧めます。
おや、わたしたちはとても重要なことを、
どうも忘れていたようです。
喜べない、
感謝できない、
そのことばかりに心を向け、
真ん中にある、
わたしたちができること、
わたしたちがすべきことを、
疎かにしたり忘れたりしてしまいます。
パウロは真ん中に大切なことを挟みました。
「絶えず祈りなさい」。
喜べないでしょうか?
感謝できないでしょうか?
そういう嘆きと苦しみの時もあるでしょう。
でも、どんなときも必ずできることがあります。
「絶えず祈りなさい」。
嬉しい時、幸福な時、祈りましょう。
しかし、苦しみの時、嘆きの時ほど、
心を込めていっしょうけんめい祈りましょう。
祈るということは、
神さまに委ねるということです。
そうしてはじめて、
つまり祈ってはじめて、
神さまに頼ってはじめて、
わたしたちの魂は安らぎ、
信じることができます。
神はすべてを益としてくださる、
神は最善をなしてくださると。
もし怒りや悔しさに覆われ、
悲しみだけしかない世界だとしたら、
わたしたちは暗黒に覆われてしまいます。
神を信じていると言う事は、
この世の現実だけで生きないと言う事です。
神の約束に望みを置き、
神の守りに信頼し、
神の祝福を信じるということです。
それは祈りによって実現します。
私たちは、何者でしょうか。
わたしたちの正体は何でしょうか。
私たちは神に選ばれ、
神に呼ばれ、
神の民とされた者たちです。
神の民とは、神に祈る者のことです。
私たちが立派な人だからではなく、
ただ神の愛ゆえに、
神ご自身が私たちひとり一人を
神の宝の民とされたのです。
私たちは神の聖なる宝の民として、
この世に遣わせられたのです。
私たちは自分勝手に生きるのではなく、
神の聖なる民として、
この世での生を全うしたいと思います。
神が私たちを、
平和の器として選ばれたのですから、
私たちは、感謝しながら、
喜んで祈りつつ、
この世での歩みを全うしましょう。
神様は私たちに、
祈りの手本を示してくださいました。
私たちがいつも祈っている、
「主のいのり」です。
主の祈りは、まず神をたたえて、
神の御心の実現を祈ることから始まります。
現実を無視してではなく、
このような現実だからこそ、
私たちは神に祈り求め、
そして信じるのです。
神は祈りを聞き届けてくださり、
最善をなしてくださると。
私たちの生きている世界は、
闇に覆われていますが、
どのような時も、
主が教えてくださった
「主の祈り」を祈り、
励まし、支え合って、
この世の旅を続けましょう。
私たちは独ぼっちではありません。
教会のひとり一人が神様の宝の民。
私たちは神の国を目指して共に歩む
祝福の群れです。
互いに祈り合い、励まし合い、
支え合ってこの世の旅を続けましょう。
殆どの方は暗記しておられることでしょうが、
私は皆さんに勧めたいことがあります。
毎日一回は「主の祈り」を、
声をだして祈って欲しいと思います。
主がこのように祈りなさいと教えてくださった、

そのように。

(以上)


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