<三位一体第ニ主日>

2019年6月23日()   礼拝説教


「愛のネットワーク」  (石田 学牧師)
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◇ 聖書  < 新共同訳 >

1) レビ記25:35

35 もし同胞が貧しく、自分で生計を立てることができないときは、寄留者ないし滞在者を助けるようにその人を助け、共に生活できるようにしなさい。




2) 新約聖書
コリントの信徒への手紙一 16:1−4


◆エルサレム教会の信徒のための募金

1 聖なる者たちのための募金については、わたしがガラテヤの諸教会に指示したように、あなたがたも実行しなさい。
2 わたしがそちらに着いてから初めて募金が行われることのないように、週の初めの日にはいつも、各自収入に応じて、幾らかずつでも手もとに取って置きなさい。
3 そちらに着いたら、あなたがたから承認された人たちに手紙を持たせて、その贈り物を届けにエルサレムに行かせましょう。
4 わたしも行く方がよければ、その人たちはわたしと一緒に行くことになるでしょう。



(聖書 終り)


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◇ 説教 
(石田 学牧師)         2019年6月23日

「愛のネットワーク」

きょうの1コリントの箇所には、
とても驚くべきことが書かれています。
パウロがコリント教会の人々に、
献金してくれるよう要請しているのです。
その献金目的は、
パウロの働きを支援するためではありません。
「聖なる者たち」のための募金です。
「聖なる者たち」というのは、
エルサレム教会の人々のことです。
エルサレムは教会発祥の地でしたから、
その教会の信仰者たちは特別に、
「聖なる者たち」、
また「貧しい人」と呼ばれました。
「心の貧しい人」という意味もありますが、
彼らは実際にも貧しい人たちでした。
イエス様に従ってエルサレムまで来た、
大勢のガリラヤ地方出身者や、
各地で弟子となって従った多くの人々が、
そのままエルサレムに残っていて、
彼らは家も財産も仕事もなかったからです。
教会は難民を多く抱えている状態でした。
そんな苦境にあるエルサレム教会のため、
パウロは募金を要請したのでした。
しかもパウロはコリント教会だけでなく、
ガラテヤ地方の諸教会に対しても、
同じ要請をしています。
要するにパウロは、
伝道した各地の教会全てに対して、
エルサレム教会のための募金を依頼し、
協力を求めたのでした。
パウロがコリント教会に提案した募金方法は、
とても興味深いものです。

 週の初めの日にはいつも、
各自収入に応じて、
いくらかずつでも手元に取って置きなさい。

 一回募金をしてほしいというのではありません。
毎週忘れず、各自がそれぞれに定期的に、
継続的に募金をするように。
それがパウロの指示していることです。
こうして集めた募金をまとめて、
教会の代表者たちがエルサレムに届けることを、
パウロは求めています。
パウロ自身も一緒に行く希望を持っています。
募金するのはコリント教会とガラテヤの諸教会。
献金を受け取るのはエルサレムの教会。
地図を少し考えてみましょう。
コリント教会はギリシア半島の先端、
アカイア地方にあります。
ガラテヤの諸教会は、
今のトルコ北部の地方にあります。
エルサレムはシリアとエジプトの接点の地域。
三つの地方は遠く離れていて、
今でこそ飛行機で簡単に行き来できますが、
パウロの時代は間違いなく大旅行でした。
それぞれの地方は、民族も文化も違い、
土着の言語も異なる人たちです。
おそらく、お互いに生涯一度たりとて、
直接に会うこともない人たちです。
テレビも新聞もなく、
写真や動画で互いを知ることはなく、
ほとんど何も知らない者同士。
それなのにどうして、
パウロは各地の教会に呼びかけて、
エルサレム教会への募金を集めようとし、
募金活動を熱心におこない、
実際、かなりの額の献金を届けたのでしょうか。
古代世界において、
そのような活動をおこなう国家はなく、
どこの世界であれ自分の国民は助けても、
はるか彼方の異民族に支援を送るなど、
どの文化もどの宗教もしたりしませんでした。
教会を除いて。
教会が、そして教会だけが、
このような募金活動をおこなってきました。
教会だけが遙か彼方の異民族の苦境に対して、
献金を送り、支援の手を伸べてきました。
パウロが各地の教会でおこなった、
エルサレム教会のための募金活動は、
後に「エルサレム献金」として知られ、
教会の大切な働きの原点となりました。
この募金活動は、
教会というものの一つの特質を、
わたしたちに明らかにしています。
教会は最初から、
愛のネットワークであったという特質です。
人はほとんどの場合、
自分の収入や所有は自分の物だと考えます。
自分のものなのですから、
全部を自分や自分の楽しみのために使って、
どこが悪いというのでしょうか。
しかし、教会はそのように考えず、
それとは別のことを最初から信じて来ました。
わたしたちの収入も所有も、
すべては神から預けられたものであり、
本来は神のものだということを、
教会は教え、また信じてきました。
自分が稼いだり所有したりしているものを、
自分のために使うのは当然です。
しかし、自分のためにしか使わないことは、
貪欲という罪に支配された生き方です。
教会は最初から、パウロの時代から、
いや、旧約聖書の時代から、
人々と分かち合うことを求めてきました。
たとえばユダヤでは麦畑の収穫をする時、
落ちた穂は拾ってはいけませんでした。
それは畑の所有者のものではなく、
貧しい人たちのものだからです。
その伝統を教会はそっくり受け継ぎました。
自分たちの収入も所有も、
その一部は他の人たちのもの、
特に助けを必要とする人のもの。
その信仰が教会の信仰でした。
だからこそパウロは、
コリントの人たちに指示したのでした。
みんな収入に応じて募金を蓄え、
それを必要とする人に捧げなさいと。
捧げるというよりもむしろ、
あなたの収入の一部は彼らのものだから、
彼らに返しなさいという方が正確です。
教会は最初から、
貧しい人や病気の人のため、
また孤児ややもめのために、
収入の一部を捧げてきました。
それは本来彼らのものだからです。
エルサレムへの募金が特別な意味を持つのは、
遠く離れた異国の、
会うこともない人たちのためだからです。
教会は新約聖書の時代から、
愛のネットワークとして存在してきました。
地の果てから反対の果てまで、
教会は愛のネットワークで結ばれていました。
情報や交通の進んだ現代と異なり、
情報や交流は実際に人の行き来が必要でした。
コリントからエルサレムまで旅行するのは、
何週間もかかりました。
よほどの事情がなければ、
そんな大旅行を誰もしません。
でも、教会間の交流は緊密でした。
しばしば互いに訪ね合い、
互いの様子を知らせ合い、
互いへの愛を携えて交流していました。
特に災害や貧困に苦しむ教会があると、
そこに援助を届けました。
迫害された教会があると、
慰めと励ましの便りを送り、
迫害で殉教した人たちの様子を尋ね、
信仰を支え合いました。
各地の教会が互いに愛を送り合い、
支援を携えて行き、
互いのために祈りを捧げました。
エルサレム教会への募金は、
教会が最初から愛のネットワークであった、
明らかな証に他なりません。
全世界に、主にある兄弟姉妹がいて、
愛のネットワークで結ばれています。
その中にわたしたちも生きています。
ナザレン教会はこうした愛のネットワークを、
具体的な組織として持っています。
ナザレン国際援助機構。
あまり良い日本語訳ではありません。
英語は Nazarene Compassionate Ministries.
「ナザレン教会の憐れみ深さによる働き」
直訳すればそのようになるでしょうか。
要するに愛のネットワークなのです。
このネットワークをとおして、
人が行き来し、募金や物資が送られ、
祈りと賛美が互いに交わされ、
会うことなく訪ねることがなくても、
主にある兄弟姉妹のきずなが強められます。
この愛のネットワークは、
全世界でたくさんの援助をおこない、
学校や病院の働きを支え、
災害や貧困、差別や迫害と闘い、
世界各地で子どもたちを支援しています。
四月にスリランカで爆破テロが起きた時、
わたしたちの教会は募金を集め、
スリランカの教会に送りました。
おそらくわたしたちは、
スリランカの人々と会うことなく、
訪ねて行くこともないでしょう。
でも、主にある教会の兄弟姉妹として、
愛のネットワークで結ばれていると信じて、
スリランカ・メソジスト教会の牧師、
ニシャンタ先生をとおして募金を送りました。
お礼のメールが来ています。
ニシャンタ牧師から小山の皆さまに、
くれぐれもよろしくとのことでした。
このメールをとおして、
ささやかではあっても、
教会は愛のネットワークだと実感しています。



(以上)


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