<三位一体第四主日>

2019年7月7日()   礼拝説教


「四つの信仰的原則」  (石田 学牧師)
 説教は音声付きです。

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◇ 聖書  < 新共同訳 >

1) ヨシュア記1:5−9

5 一生の間、あなたの行く手に立ちはだかる者はないであろう。わたしはモーセと共にいたように、あなたと共にいる。あなたを見放すことも、見捨てることもない。
6 強く、雄々しくあれ。あなたは、わたしが先祖たちに与えると誓った土地を、この民に継がせる者である。
7 ただ、強く、大いに雄々しくあって、わたしの僕モーセが命じた律法をすべて忠実に守り、右にも左にもそれてはならない。そうすれば、あなたはどこに行っても成功する。
8 この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。
9 わたしは、強く雄々しくあれと命じたではないか。うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」

2) 新約聖書
コリントの信徒への手紙一 16:13−14


◆結びの言葉

13 目を覚ましていなさい。信仰に基づいてしっかり立ちなさい。雄々しく強く生きなさい。
14 何事も愛をもって行いなさい。

(聖書 終り)


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◇ 説教 
(石田 学牧師)         2019年7月7日

「四つの信仰的原則」

わたしたち夫婦でよく言い合う言葉があります。
「ぼーっと生きてんじゃねえよ!」
「チコちゃんに叱られる」の決め台詞です。
互いによく言い合っていますから、
わたしたちは二人ともたぶん、
ぼーっと生きているのでしょう。
この台詞、英語で何と言うでしょうか。
この番組を見たことのある方で、
観察力のある方は気付かれたかもしれません。
実はチコちゃんのこの台詞には、
英語訳がいっしょに出ているのです。
Don't sleep through life!
直訳は「一生ずっと眠っているな」でしょうか。
「眠りこけたままで生きるな」
とでも訳しておきましょう。
まさしくこれは、
「ぼーっと生きてんじゃねえよ!」です。
チコちゃんのこの台詞は、
パウロの言葉そのものでした。
「目を覚ましていなさい」。
それがパウロの命令です。
眠りこけていてはいけないのです。
この命令をはじめとして、
パウロは四つの命令を書いています。
長いコリント教会への手紙の、
最後の総まとめと言ってよいでしょう。
パウロはコリント教会への手紙で、
たくさんのことを教え、勧告し、
警告し、指導し、助言してきました。
だからこんなに長い手紙になりました。
パウロの手紙は聖書の中に、
だいたい長い順に置かれています。
ローマ書と1コリント書は、
ほとんど同じくらい長い手紙です。
ローマ書は教えの部分が長いですが、
1コリント書は警告や指導、勧告が、
その大部分を占めています。
どんなコリント教会の問題が大きかったか、
この手紙の長さと内容からよく分かります。
その総まとめとして、
パウロはきょうの箇所を最後に置きました。
四つのとても簡潔な命令です。
四つの信仰的原則が、
厳粛な命令として与えられているのです。
第一にパウロはこう命じます。

 目を覚ましていなさい。

 もちろんパウロは、
夜の睡眠や居眠りの話をしてはいません。
ただ起きていなさいということとは違います。
見張りが注意深く目を凝らしているように、
そういう仕方で目覚めていることです。
同じ動詞が、
「警戒する」「見張る」
という意味で使われることもあります。
要するに、
ぼーっとしていてはいけないのです。
この世界の現実をきちんと理解して、
危険を見過ごしたりせず、
誘惑に陥ったりしないよう用心して、
注意深く生きることが求められています。
わたしたちが霊的に目覚めているよう、
パウロは促しているのです。
つまり、
「ぼーっと生きているな」ということです。
この世界はわたしたちの意識に関係なく、
いろいろな危険や誘惑があり、
わたしたちはそれらにさらされています。
言い換えるなら、
わたしたちのこの世の旅は、
たくさんの穴や罠が口を開き、
貪欲な野獣や毒へびが隠れ潜んでいる、
そういう道を行くようなものです。
その時わたしたちがぼーっとしていたら、
遅かれ早かれ穴に落ち込み、餌食にされ、
目的の地に着かないまま終わることでしょう。
この世はキリストの教えた、
神の国と神の義を第一に求めるのではなく、
何か別のもの、たとえば豊かさ、
たとえば世間の評判、
たとえば他の人より優れること、
たとえば成功、
それらを第一に求めさせるでしょう。
この世はキリストの教えた、
愛と慈しみよりも、
無関心と冷淡さが、
自分を守ると信じさせるでしょう。
この世はキリストの生き方である、
和解と赦しではなく、
敵を警戒し武器を用意することが、
平和に必要だと主張するでしょう。
もし、わたしたちがぼーっとしていて、
精神の目を覚ましていないなら、
この世の考え、この世の原則、
この世の常識がわたしたちに染みこみ、
わたしたちをこの世の人と同じようにし、
この世に国籍を持つ者に造り変えるでしょう。
ぼーっとした半寝ぼけのままでは、
わたしたちは世の風潮に流され、
世間の考え方が自分の考えのようになり、
この世の価値観になんとなく合わせて、
神の民らしさを失ってしまいます。
わたしたちがキリストを信じているなら、
キリストと共に世を旅する者です。
わたしたちが神の民であるなら、
神が何を喜び、何を望んでおられるかを、
はっきりと意識して生きるはずです。
イエス様は言われました。
「あなたがたは地の塩」
「あなたがたは世の光」と。
それは、わたしたち神を信じる者が、
ぼーっと生きていないで、
この世界が本来あるべき姿を、
世の人々に示す務めがあるという意味です。
もしわたしたちがそうしないなら、
この世界はもっと反キリスト的になり、
互いに敵を作り、壁を設けて疎外し、
平和のためといって武器を蓄え、
憎しみを向け合い、互いに責め合い、
対立と分断の世界、
強い者がもっと強くなり、
弱い者がいっそう低められる、
そんな世界になるのを放置してしまいます。
そうならないよう、
しっかりと目を覚ましていなさい。
それがパウロの第一の命令です。
では、どのように目覚め、
何に注意を払い、
何に基づいて考えるべきでしょうか。
そこでパウロは二番目の命令を与えました。

 信仰に基づいてしっかりと立ちなさい。

信仰は、わたしたちが立つべき岩です。
信仰の土台に立って、
わたしたちは生き、考え、語ります。
この土台に合わせて、
わたしたちは自分というものを建て上げます。
きょう、礼拝説教の後で歌うのは、
讃美歌21の474番。
皆さんもよくご存じの歌です。
日本語の折り返し部分は、
「われらのイェスこそ、救いの岩なれ」。
しかし元の英語歌詞はもっと豊かです。
「キリストという堅い岩、
この岩の上にわたしは立つ。
他の地はすべて沈み行く砂地にすぎない」。
ただ目を覚ましているだけでは、
わたしたちは途方に暮れるばかりです。
大きな危険、恐ろしい罠、
すばらしく見える誘惑などが来る時、
いったいどのようにして身を守り、
どう立ち向かえば良いのか、
肝心なことがわからないままだからです。
キリストという堅い岩の上に立つなら、
わたしたちはその岩に導かれ、
どう歩み、どう生きるべきか、
明らかな道しるべを見出すことでしょう。
キリストがわたしたちを愛しておられる。
それがわたしたちの態度に現れるべきです。
キリストの憐れみが、
わたしたちの言葉とおこないを方向付けます。
キリストの教えが道しるべとなって、
天の国を目指すわたしたちの旅を、
最後まで導いてくれることでしょう。
世の常識は、世間の皆に対してと同じく、
わたしたちにも語りかけてきます。
「敵を憎め、敵をやっつけろ」と。
だが、わたしたちは世間の声ではなく、
キリストの声の方に耳を傾けるはずです。
「敵を愛せ」という主イエスの声に。
この世界では政治家も人々も言います。
軍事力を高め、脅しをかけることこそが、
この世界を平和にするために必要だと。
だが、わたしたちはこの世界の主張ではなく、
主キリストのあの声の方を信じます。
「剣を取る者は剣で滅びる」という声を。
この世界では、意見の対立や考えの違いが、
敵意を育み、信頼を破壊し、争いを生み、
憎しみと悪感情へと行き着きます。
だが、わたしたちはこの世界の声ではなく、
主キリストの声に耳を傾けます。
「互いに愛し合いなさい」「赦し合いなさい」
というキリストの原則を告げる声に。
三番目にパウロはこう命令します。

 雄々しく強く生きなさい。

 これはだいぶ原文とは違う意訳です。
直訳すると「男らしくあれ」。
性別が前面に出てしまって、
女性は不快感を感じることでしょう。
だから意味を汲んで訳したのでしょう。
直訳すれば「男らしくあれ」ですが、
もともとこの言葉が持つ意味は、
脅しや脅迫によって揺り動かされたり、
損得を計算してふらふらしたりせず、
信仰的な信念にしっかりと立って、
勇気をもってキリスト者らしく語り、
キリスト者らしく振る舞いなさい、
ということです。
最近、忖度という言葉が流行しました。
相手の感情や計算を含み置いて、
それによって意見や考えを変え、
都合に合わせてふらふら揺れることです。
それとは正反対をパウロは命じます。
揺れ動くことなく、
勇気をもってキリスト者らしく語り、
信仰に基づいて振る舞いなさいと。
四番目、そして最後の命令は、

 何事も愛をもっておこないなさい。

パウロは問いかけるのです。
あなたが誰かに何かを言うとき、
あなたが誰かのことを考えるとき、
あなたが何かをしようとするとき、
そこにキリストの愛があるか?
コリント教会の場合もそうでしたが、
わたしたちも同じだと思います。
愛を置き忘れて誰かに何かを言うとき、
その言葉が相手を傷つけ、
敵意や対立を生み出します。
誰かのことを考えるとき、
愛を込めないで考えるなら、
わたしたちはその人を低く評価し、
貶め、批判し、攻撃して考えます。
わたしたちが何かをしようとするとき、
愛を抜きにしておこなうなら、
わたしたちの行為は偽善的になり、
あるいは冷淡になります。
パウロは少し前の13章で、
「もし愛がなければ」と問い、
愛がすべての言動に必要だと教えています。
この四つの命令にこそ、
パウロが教えすべてが要約されています。
この片手で数えられる四つの命令こそ、
キリスト者にとって四つの信仰的原則です。
わたしたちも心に留めて生きてゆきましょう。



(以上)


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