<三位一体第九主日>

2019年8月18日()   礼拝説教


「わたしたちをキリストとつなぐ聖霊」  (石田 学牧師)
 説教は音声付きです。

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◇ 聖書  < 新共同訳 >

1) イザヤ書61:1−3

1 主はわたしに油を注ぎ
主なる神の霊がわたしをとらえた。わたしを遣わして
貧しい人に良い知らせを伝えさせるために。打ち砕かれた心を包み
捕らわれ人には自由を
つながれている人には解放を告知させるために。
2 主が恵みをお与えになる年
わたしたちの神が報復される日を告知して
嘆いている人々を慰め
3 シオンのゆえに嘆いている人々に
灰に代えて冠をかぶらせ
嘆きに代えて喜びの香油を
暗い心に代えて賛美の衣をまとわせるために。彼らは主が輝きを現すために植えられた
正義の樫の木と呼ばれる。


2) 新約聖書
マルコによる福音書1:9−11


◆イエス、洗礼を受ける

9 そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。
10 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。
11 すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。


(聖書 終り)


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◇ 説教 
(石田 学牧師)         2019年8月18日

「わたしたちをキリストとつなぐ聖霊」

マルコ福音書は序章として、
バプテスマのヨハネについて短く語り、
続けてイエス・キリストを登場させます。
「そのころ」、
直訳すれば「それらの日々のころ」。
ヨハネが人々に罪の悔い改めを迫り、
ヨルダン川で洗礼を授けていた時期に、
イエス様は生まれ育った故郷である、
ガリラヤ地方の村ナザレを離れて、
ヨハネのもとへと出て来ました。
ヨハネから洗礼を受けるために。
それがマルコの伝える、
イエス様についての最初の出来事です。
おそらく年齢は三十歳か、
少し過ぎたくらいだったでしょうか。
マルコはちょっとぶっきらぼうです。
イエス様がお生まれになった様子も、
少年時代のことも、何も語りません。
この時までどんな家族であったのか、
どんな生い立ちをしたのか、
何一つマルコは告げず、
突然、イエス様を登場させます。
生まれ育ちや家族の情報など、
福音にはなんの意味もないという、
マルコの信念を貫くかのようです。
とにかく、ある日突然、
イエス様がヨルダン川に現れて、
ヨハネから洗礼を受けたのでした。
しかし、この箇所を読んで感じたのは、
疑問と困惑でした。
なぜなのだろう、じつに不思議だ。
そう思わざるを得ませんでした。
その時の出来事を、マルコはこう告げます。

 そして、水の中から上がるとすぐ、
天が裂けて(神の)霊が鳩のように、
自分に降って来るのをご覧になった。
すると、
「あなたはわたしの愛する子、
わたしの心に適う者」という声が、
天から聞こえた。

 二つの不思議な出来事が、
ここには物語られています。
聖霊がイエス様に降ったこと、
そして、
「わたしの愛する子」という声が、
天から聞こえたことです。
これはいったい、どういうことでしょうか。
何が不思議なのか、
お気づきになられたでしょうか。
マルコが告げるこのときの様子は、
天の父なる神とイエス様の関係について、
大きな疑問を抱かざるをえません。
あたかも洗礼を受けた時にはじめて、
イエス様が天の神の目に留まり、
この時にはじめて聖霊を受けたかのようです。
またマルコは天からの声も伝えています。
「あなたはわたしの愛する子」と。
この時はじめてイエス様が神に目をかけられ、
この時からイエス様が、
神に愛されるようになったかのようです。
この時まで聖霊はイエス様と無関係であったのか。
この時までイエス様は、
神の子として愛されてはいなかったのか。
その疑問が生じてまいります。
実際、キリスト教の歴史の中でごく初期から、
この聖書箇所を根拠にして、
そのように主張する人たちが現れました。
イエスは洗礼の時に聖霊を受け、
神に子として受け入れられたのだと。
でも、それは変です。
わたしたちも代々の教会も信じて来たからです。
神の独り子が人となって世に来られたと。
キリストは天地創造の前から神の御子、
父と子と聖霊の親しい交わりの中にあり、
それゆえ、
人となって世に来られる以前から、
聖霊はイエス・キリストと共におられ、
最初から神の愛する独り子であったはずです。
それなのにどうして、
マルコ福音書はイエス様が洗礼を受けて、
公に救い主としての働きを始めるこの時に、
聖霊が降ったことを証言し、
わたしの愛する子という神の声が、
この時に聞こえたと証言したのでしょうか。
そもそもなぜ、
イエス様は洗礼を受ける必要があったのか、
それもまた謎です。
罪の悔い改めを必要とはしていないのに。
この謎を解く手がかりは、
マルコ福音書の証言そのものにあります。
マルコ福音書が伝えているのは、
イエス様の神の子としての働きが、
この洗礼の時から始まったということです。
天が裂けて聖霊が降り、
わたしの愛する子との声が聞こえた。
この時からイエス様の活動が始まります。
始めに起きたこの出来事こそ、
ここから始まるイエス様の働きそのものである、
神による救いとは何かという問いへの答えです。
人々は「救い主」にいろいろな期待をしました。
病の癒し、驚くべき奇跡、
すばらしい教え、慰めの言葉、
あるいは民族の独立をもたらす指導者、
栄光の王の支配をもたらすメシア。
この最初の出来事が、
イエス・キリストによる救いとは何かを、
わたしたちに示しています。
神の子イエス・キリストの福音、
すなわちイエス・キリストの生涯全体、
人々の前に現れ、教え、癒し、
苦難を受け、十字架で死なれ、
陰府に降り、よみがえり、
天に昇り、神の右にいまもおられる、
その全てがいったいどういう意味で、
わたしたちの救いなのか。
最初の出来事はそのことを象徴しています。
イエス・キリストは何者なのか。
わたしたちに何をなさる方なのか。
そのことが、
この洗礼の日の出来事に表わされています。
人々はイエス様のことをさまざまに考えます。
すばらしい教えを語った良い教師。
もっとも立派な聖者のひとり。
罪のない正しい人。
奇跡と癒しをおこなった霊能者。
自らの教えとおこないに殉じた殉教者。
世界四大成人のひとり。
たぶんどれも間違いではありません。
だが、イエス様によって成し遂げられた、
もっとも肝心なことからみれば、
それらのことはささいなことにすぎません。
神の子イエス・キリストは、
いったい何のために世に来られたのか。
いったい、信じる者に何をなさるのか。
答えはマルコが証言する、
この最初の日の出来事にあります。
イエス様に聖霊が降り、
神が「あなたはわたしの愛する子」と告げた、
それと同じことが
キリストを信じるわたしたちにも起きる。
その事実が最初に示されたのです。
キリストはわたしたちに聖霊を降し、
天の父なる神の子としてくださいます。
キリストはわたしたちの初穂であり、
はじめであり、原型であり、模範です。
主の洗礼の時に起きたことは、
わたしたちに起きることの先駆けです。
わたしたちがイエス・キリストを信じ、
わたしの主、救い主と受け入れるなら、
わたしたちにも神の霊が降り、
聖霊によってわたしたちはキリストと結ばれて、
神の愛する御子であるキリストと共に、
わたしたちも神に愛される子とされています。
ここからわたしたちの、
神の子としての生涯がはじまります。
わたしたちは自分が何者なのか、
自分の正体を心に刻んでおきましょう。
あなたは聖霊によりキリストと結ばれて、
神の愛する子とされている者です。
ここから、わたしたちがどう生きるべきか、
考えることができます。
神に愛されているイエス様の兄弟・姉妹として、
何を語り、どのようにふるまい、
どのように憐れみ深くあるべきかを。
聖霊によってキリストと一つにされ、
神に愛される神の子とされている。
ここからわたしたちは、
生涯全体をとおしての望みが何かを心に留め、
究極の故郷である天の御国に行くことを、
生涯の願いとして生きることができます。
それが救い主イエス・キリストの福音です。



(以上)


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