<復活節第4主日>

2020年5月3日()   礼拝説教
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「悪霊は見えないが悪霊の働きは見える」  (石田 学牧師)
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◇ 聖書  < 新共同訳 >

1) 旧約聖書
ヨブ記1:1−22

◆事の起こり

1 ウツの地にヨブという人がいた。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。
2 七人の息子と三人の娘を持ち、
3 羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。彼は東の国一番の富豪であった。
4 息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。
5 この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにした。
6 ある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来た。
7 主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。
8 主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
9 サタンは答えた。「ヨブが、利益もないのに神を敬うでしょうか。
10 あなたは彼とその一族、全財産を守っておられるではありませんか。彼の手の業をすべて祝福なさいます。お陰で、彼の家畜はその地に溢れるほどです。
11 ひとつこの辺で、御手を伸ばして彼の財産に触れてごらんなさい。面と向かってあなたを呪うにちがいありません。」
12 主はサタンに言われた。「それでは、彼のものを一切、お前のいいようにしてみるがよい。ただし彼には、手を出すな。」サタンは主のもとから出て行った。
13 ヨブの息子、娘が、長兄の家で宴会を開いていた日のことである。
14 ヨブのもとに、一人の召使いが報告に来た。「御報告いたします。わたしどもが、牛に畑を耕させ、その傍らでろばに草を食べさせておりますと、シェバ人が襲いかかり、略奪していきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
16 彼が話し終らないうちに、また一人が来て言った。「御報告いたします。天から神の火が降って、羊も羊飼いも焼け死んでしまいました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
17 彼が話し終らないうちに、また一人来て言った。「御報告いたします。カルデア人が三部隊に分かれてらくだの群れを襲い、奪っていきました。牧童たちは切り殺され、わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
18 彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。「御報告いたします。御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。
19 すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」
20 ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。
21 「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」
22 このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。


2) 新約聖書
マルコによる福音書3:20−30



◆ベルゼブル論争

20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。
21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。
22 エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。
23 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。
24 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。
25 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。
26 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
27 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
28 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。
29 しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」
30 イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

(聖書 終り)

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◇ 説教 
(石田 学牧師)         2020年5月3日

「悪霊は見えないが悪霊の働きは見える」

新型コロナウィルスがニュースになったのは、

今年に入ってからだと思います。

三月以降、急に大騒ぎになり、

現在のこの状況に至りました。

いいかげん終わってほしいですが、

いつ終わるのかわからず、

先行きの見えない不安と心配ばかりが募ります。

でも、わたしの一番の関心は、

このウィルス問題が世界をどう変えるのか、

その未来予測の方にあります。

いろいろな議論や説がありますが、

まったく元通りの世界に戻るとは、

とうてい考えられないということは共通しています。

なにがしかの変化が、

その良し悪しはともかくとして、

世界にもたらされることでしょう。

たしかなことは、

生物学的な領域での変化とは別に、

人々の意識や社会の変化が起きることです。

そしてその変化は、

ウィルスそのものが引き起こすこととは別です。

たしかに人々はウィルスに感染し、

感染した人の何割かは肺炎を患い、

その何パーセントかは死に至ることでしょう。

しかし、ウィルス感染の問題が、

人々の精神と考え方に、

どのような影響を与えるのかは、

ウィルスそのものの問題ではなく、

わたしたち人間の問題です。

わたしたちはもうこれまでに、

そうしたいくつかの影響を体験してきました。

まず買い占めが起きました。

トイレットペーパーやティッシュがなくなり、

マスクと消毒薬が手に入りにくくなり、

パソコン用のカメラとマイクが売り切れ、

ゲーム機器が品切れになりました。

学校が休みになり、

いろいろな行事や催しが中止になり、

予定や計画が延期になり、

料理店や商店が休業になり、

外に出ることがはばかられるようになり、

不安と心配だけがふくれてゆきます。

あ、物理的にもふくれてきました。

コロナ太りが全世界の共通問題ですから。

身体的なことだけでなく、

人々の精神に入り込み、伝染し、拡大したのは、

たとえば医療従事者への嫌悪や排斥、

感染者への怒りや憎悪、

正義の衣をまとった敵意や嫌がらせ。

民族や人種、国籍を理由とした差別や暴行。

そして民族間、国家間の分断と敵意。

新型コロナウィルス自体は悪霊ではないが、

悪霊がそれを道具として利用するのは確かです。

その意味でわたしたちは今、

分かれ道に立たされています。

悪霊の働きに敗北してしまい、

この世界に分断と相互不信、

悪意と敵意、そして対立を生み出す、

そういう道を歩み始めるのか、

それとも、

悪霊の働きを退けて、

愛と憐れみを強め、

あらゆることにおいて親切であろうとし、

対立を退けて一致を生み出す、

そういう道を歩み始めるのか。

その岐路にさしかかっているように思います。

悪霊は目に見えませんが、

悪霊の働きは目に見える形で現れます。

もし、コロナウィルス問題が発端となって、

この世界に疑心暗鬼が拡がり、

世界が分断され、敵意を向け合うようになり、

対立が世界のあちらこちらで、

あるいは隣人や友人の間で増幅してゆくなら、

今回の新型ウィルスを手段として利用する悪霊が、

この世界で優性になり、勝利したことの証です。

その時、わたしたちはウィルスにではなくて、

ウィルスを利用する悪霊に負けることでしょう。

そして、そうなる方が、

つまり悪霊に負けることの方が、

実ははるかに簡単なことです。

人類の歴史は、

いわば悪霊に敗北を重ねて来た歴史ですから。

さて、きょうの聖書に目を向けてみましょう。

イエス様が家に戻って来たときのことです。

おそらくペトロとアンデレの家でしょうか。

すると、以前よりもはるかに大勢の群衆が来て、

ひしめきあっていました。

「食事をする暇もなかった」ほどの三密状態

そこにはイエス様の家族も来ていました。

イエス様の話を聞きたかったからではありません。

イエス様についてのある噂を信じて、

捕まえて家に連れ帰るためです。

「あの男は気が変になっている」という噂。

たしかに、家族が信じるのももっともです。

なにしろある日とつぜん、

それまでの普通の生活を捨てて、

ヨルダン川に出かけて行って洗礼を受け、

ガリラヤに戻って来たと思ったら、

家には帰らず、ガリラヤ湖周辺を歩き周り、

弟子を集め、教え、病を癒しているのです。

正気を失ったと言われたら、

そうに違いないと思うことでしょう。

また、そこには別の集団も来ていました。

しかもはるばる都エルサレムから来た人たち。

彼らは律法学者でした。

ユダヤの宗教的指導者であり教師であり、

ユダヤの信仰を秩序立てる役割を担う人たち。

彼らからすると、

ユダヤの法と秩序を乱すようなことを、

堂々と実践し教えているのですから。

「あの男は気が変になっている」。

律法学者こそは、その噂を流す張本人でした。

イエス様を指差して人々にそう語るのです。

律法学者は人々に尊敬されていますから、

彼らの言うことを信じる人は、

イエス様の家族を含めて大勢いました。

それでも、病人や悪霊に苦しめられている人は、

イエス様の力あるわざに心引かれて集まります。

ちなみに、イエス様の家族の名誉のために、

ちょっとだけ未来の話をしましょう。

母マリアはやがて、我が子イエス様を信じ、

弟のヤコブやシメオン、ユダは、

後にエルサレム教会の指導者になりました。

でも、それはまだ将来の話です。

今は悪霊に取り憑かれたと信じて、

無理にでも連れ戻すためにナザレから来ました。

イエス様は悪霊に取り憑かれているのでしょうか。

いいえ、律法学者はもっとひどいことを言います。

「あの男はベルゼブルに取り憑かれている」。

悪霊が下っ端だとすれば、

ベルゼブルは悪霊の王。

ベルゼブルというのは、

古代の中近東で恐れられていた、

「蠅の王」の名前です。

もともとは「バアル・ゼブブ」でした。

旧約聖書にも出て来る、異民族の邪悪な神です。

なぜ蠅の王と呼ばれたかというと、

蠅はものを内側から腐らせ、

蛆をわかせるからです。

食べ物やくだものも腐らせるでしょうが、

蠅の王は、人間の魂を内側から腐らせるのです。

恐ろしい悪霊の王です。

イエス様はあるとき、こう教えました。

「外から人の中に入るものが人を汚すのではなく、

人の中から出て来るものが人を汚す」。

人を本当に汚すのは、

外側の汚れや身体的な病気ではなく、

人の内側から出て来る邪悪な思いや罪です。

ウィルスは外から人の中に入り、

人を苦しめはするでしょうが、

人を汚すことはありません。

しかし、ウィルスそのものは人を汚さなくても、

ウィルスが道具となりきっかけとなって、

人の精神、人の魂、人の考えを、

内側から腐敗させる原因になるとしたら、

それが蠅の王の仕業でなくて、なんでしょうか。

いま、わたしたちは、

いや、世界全体はコロナウィルスという手段で、

どの道を歩むかの選択を問われています。

自己中心に物事を考える道、

敵意と対立、人と人、民族と民族、国家と国家の、

分断を深める道を選んで歩みを進めるのか、

それとも、

他の人々への慈しみを考える道、

愛と共存を深めて、

人と人、民族と民族、国家と国家の、

受け入れ合いを深める道を選んで歩みを進めるのか、

その選択を求められ、問われています。

政治家や権力者や影響力のある人だけではなく、

わたしたちひとり一人が問われていることです。

わたしたちはキリストを信じています。

イエス・キリストを我が主、我が神と呼び、

キリストをわたしの旅の同伴者としています。

そうであるなら、

わたしたちはキリストの道を歩みましょう。

ウィルスという悪霊の道具の脅威に、

目と心を向けすぎて、

かえってその虜にされるのではなく、

イエス・キリストに目を向けて、

イエス様と共に歩む道を、

わたしの道として選んでゆきましょう。

イエス様と共にいるなら、

イエス様の愛と憐れみが、

わたしたちの内に造り出されます。

イエス様と共にいるなら、

イエス様がなさった、そのように、

わたしたちも生きることを願い、

イエス様がなさったように父なる神に祈ります。

わたしたちがそうすることが、

わたしたちが悪霊の働きを退ける最善の方法です。

ゆめゆめ、

イエス様の働き、イエス様の教え、

イエス様と共に歩むことを、

無駄だとか、

わたしには関係ないとか、

儲けにもならないとか、

役に立たないなどと言ったり、

そのように考えてはなりません。

それは聖なる神の働き、

すなわち聖霊を冒瀆することですから。

教会でいま共に礼拝を捧げている皆さんも、

自宅で礼拝し、この説教を聴いている皆さんも、

あとで説教をHPで聞いたり読んだりする方も、

イエス様と共にいて、

イエス様の道を歩むなら、

必ず悪霊の働きを退けることができる。

わたしはそのように信じています。



(以上)

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