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朗読箇所

待降節第2主日  

旧約 創世記1:1-3

◆天地の創造
1 初めに、神は天地を創造された。
2 地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
3 神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。


新約 ヨハネによる福音書1:1-5

◆言が肉となった
1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
2 この言は、初めに神と共にあった。
3 万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
4 言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。
5 光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。

説教

闇の中に光が輝く

音声で聴く♪

  • きょうはヨハネ福音書1:4−5から、
    説教を準備させていただきました。
    この箇所はとても翻訳が困難で、
    解釈も難しい箇所です。
    単語や文法は簡単なのですが、
    幾通りにも受け取ることができ、
    どれが適切な理解なのかは、
    人によって異なるからです。
    きょうの中心的な箇所ではありませんが、
    1−3節も簡単に触れておきましょう。
    福音書を書いたヨハネは1−3節で、
    万物が神の言(ロゴス)によって創造され、
    すべてのものは言によって成ったと語ります。
    「初めに神は天地を創造した」と、
    創世記は語り始めますが、
    ヨハネはそれを受けて、
    神による創造は神の言によったのだと告げ、
    創世記の記述を説明しています。
    万物が言によって創造されたことを踏まえて、
    ヨハネは4節を続けます。
    言の内に命があった。
    しかし、この日本語訳はだいぶ曖昧で、
    意味がわかりにくいです。
    これでは、命が言のどこかに、
    部分的に存在していたかのようです。
    最新の聖書協会共同訳はこう訳しています。
    言の内に成ったものは、命であった。
    こちらの方がだいぶ良いように思います。
    それでも、まだわかりにくいですね。
    ヨハネが言おうとしているのは、
    言が命の創造主であり、
    言が命の源だということです。
    聖書が最初に語る大切なことは、
    神が天地を創造したということです。
    ヨハネ福音書はこの創世記の言葉を受けて、
    「万物は言によって成った」と告げます。
    神はこの物質世界を創造なさいました。
    神が創造したのは物質だけでしょうか。
    いいえ。
    この世界は物質だけで成り立ってはいません。
    もしこの世界が物質だけだとしたら、
    世界の存在は神にしか認識されません。
    もし命が存在しないとしたら、
    この世界の存在もまた無意味です。
    世界の存在は誰にも知られないのですから。
    神は、物質に宿る仕方で命を創造し、
    あらゆる命の最後に、
    人の命を創造なさいました。
    わたしたちの命は神の言によって創造され、
    神の言がわたしたちの命の源です。
    わたしたちは物質的な意味だけでなく、
    命そのものを神の言から受けています。
    神の創造は、命の創造を目指したのであり、
    その完成こそが、人の命です。
    創世記は天地創造の出来事をこう語ります。
    初めに、神は天地を創造された。
    地は混沌であって、
    闇が深淵の面にあり、・・
    この記述が告げることは明らかです。
    神が天地を創造したとき、
    闇がすべてを覆っていたということです。
    無限の闇の拡がり、闇の支配に対して、
    神はこう言われました。
    光あれ。
    すると光がありました。
    神による光の創造です。
    そして、創世記は、
    闇に対して光の輝きが増し加えられてゆく、
    そのような仕方で創造のを語るのです。
    それはまるで、
    闇の中に次々と輝く光が生み出され、
    多様な被造物が出現し、
    あたかも静まり返ったコンサートホールで、
    楽器が一つずつ音を奏で始め、
    しだいに多様な音が共演して響きわたり、
    フル・オーケストラが交響するかのよう。
    そのような仕方で世界は造られてゆきます。
    そして、もっとも創造を輝かせるのは、
    命の創造であり、
    人の命が与えられる時です。
    神の創造は、深淵に広がる闇への対抗であり、
    もっとも力強い闇への勝利こそが、
    命の創造です。
    だから、闇の反対語は命であり、
    命の反対語は闇だと言えるでしょう。
    闇の反対語は光ではないのかって?
    はい、そうです。
    だからヨハネはこう言うのです。
    この命は人の光であった。(共同訳)
    命は光。
    命の対極は闇。
    命が失われることは闇の勝利です。
    なぜ人は死を恐れるのか。
    その理由がここにあります。
    死は闇の象徴であり、闇そのものだからです。
    人の力で死を滅ぼすことができないように、
    人の力では闇に立ち向かうことはできず、
    闇に勝つことはできません。
    いったい誰が死に対して、
    そして闇に対抗して、
    闇に打ち勝つことができるでしょうか。
    闇の中に光を創造した方、
    命の創造主である神だけです。
    人は光を作る方法を発明しました。
    火を使って闇を自分の周りから追い払い、
    いろいろな燃料を工夫し、
    原子力の火を灯し、
    電球や蛍光灯やLEDを発明しました。
    自分の魂を明るく照らすため、
    富を蓄積し、身分階級で人の上下を作り、
    宝石や金銀を身に付け、
    陛下や閣下や将軍や社長や先生と呼び合い、
    光輝く世界を創り出してきました。
    しかし、しょせんは物質的な光。
    それらはいくら輝かせても、
    まことの光である命は得られません。
    命の源である創造主、
    神の言、それだけが、
    人の命の望みです。
    わたしたちの命は闇に囲まれています。
    常に虚無に脅かされ、
    闇の脅威にさらされています。
    いったいだれが言えるでしょうか、
    わたしの命は永久に安泰だと。
    「明日も元気に頑張ろう」とは言えても、
    明日の命すら保証できません。
    あらゆる病がこの世界に溢れています。
    がんや心臓病や脳血栓、内臓疾患、
    定番のもろもろの病気に加え、
    新型コロナウィルスの脅威にさらされ、
    たぶんこれが最後の病気ではないでしょう。
    闇の力はそのような仕方で身近にあります。
    災害、暴力、敵意、破壊、老い、
    挫折、失望、無力感。
    わたしたちは自分で思う以上に、
    わたしたちを飲み込もうとする、
    諸々の闇の脅威にさらされています。
    こうした闇の力に立ち向かうことは、
    わたしたち自身にできることではありません。
    ただ一人、
    わたしたちの光である命の源、
    神の言だけがその力を持つ方です。
    だから、わたしたちは信じ、望みをおきます。
    人となって世に来られた神の言、
    わたしたちの主キリストを。
    人の命の源である神の言キリストだけが、
    闇に勝つ光の創造主だからです。
    キリストを信じるとはいったいどういうことか。
    その意味をよく理解しておきたいと思います。
    キリストを信じるということは、
    わたしたちの命の源が神の言、
    キリストであるということです。
    永遠の言であり命の源である、
    キリストの命と結ばれることによってのみ、
    わたしたちの命が、
    一時的なものではない、永遠の命と結ばれます。
    だから、わたしたちは心しておきましょう。
    まことの光である神の言、
    神の独り子キリスト以外の、
    どこかに、あるいは何かに、
    まことの光を求めることは間違いだと。
    まことの光以外は、
    それが何であれ、この世の何か、
    すなわち物質的な光にしか過ぎず、
    それらは一時的であって、
    闇に勝つことはないからです。
    神は万物を創造なさいました。
    しかし、闇を消し去ったわけではありません。
    この世界は、いわば深淵の間に造られました。
    神の創造は深淵の間に光をもたらしましたが、
    この世界が今も闇の淵にあることは、
    世界の現実が証明しています。
    最近、わたしはニュースを見るのが嫌です。
    どれほど今の世界に闇が拡がり、
    虚無の支配が迫っているかを、
    つぶさに実感させられるからです。
    アメリカの大統領選挙で、
    わたしはつくづく思わされました。
    なんと多くの人たちが、
    力と強さの幻想に魅了されることか、
    なんと多くの人たちが、
    自分の信じたいことを信じることか。
    それが偽りであっても、
    根拠のないことであっても、
    世界をいっそう混沌に向かわせても、
    そんな幻想に浸らされ、
    闇の欺きにだまされる人の、
    なんと多いことか。
    新型コロナウィルスの問題も含め、
    世界はいま闇の力に侵食されています。
    だが、わたしたちは闇に怯える必要はなく、
    恐れに身をすくめて生きる必要もありません。
    「光あれ」と言われた光の創造者、
    わたしたちの光である命の源、
    神の言が人となって世に来られ、
    わたしたちを照らす光となられたからです。
    闇の中に、キリストという光が輝いています。
    闇はこの光に勝つことがありません。
    わたしたちが使用している新共同訳聖書は、
    5節をこう訳しています。
    「暗闇は光を理解しなかった」。
    以前の口語訳聖書は、こうでした。
    「やみはこれに勝たなかった」。
    「理解しなかった」と、
    「勝たなかった」。
    同じ動詞なのに、
    どうしてこんなに違う訳になったのか。
    その理由はわかっています。
    この動詞は両方の意味を持っているのです。
    どちらに解釈するかで、
    この言葉の意味が全く異なってきます。
    結論から言いましょう。
    「闇は光に勝たなかった」。
    そのように訳すべきです。
    最新の聖書協会共同訳がそう訳しています。
    闇は光に勝たなかった。
    まことの光である神の言、
    キリストに、闇は勝つことがない。
    この宣言にこそわたしたちの希望があり、
    わたしたちの確信と平安の根拠があります。
    わたしたちは、
    この神の言、命の源である、
    キリストと結ばれているからです。



    石田学牧師


週報より

  • 2020.12.06週報より抜粋・要約

  • ・きょうは待降節(アドヴェント)第2日曜日です
    キャンドルが二本灯り、また降誕祭が近づきました。
    ティータイム後に月例教会役員会を開きます。
    教会役員の皆さまはよろしくお願いいたします。
    役員会への提案、議題がありましたら、
    牧師か役員にお知らせください。
    おもな議題は定例の諸報告承認と
    クリスマス関連行事の確認、
    1月以降の行事と、
    来年度以降の教会運営についてです。

    ・今年のクリスマスの祝い方について
    今年は持ち寄りでの食事会は中止を決めました。
    教会でカレーライスを用意し、
    その後ささやかな祝会を予定しています。
    クリスマス礼拝の前日、
    19日(土)はキャンドル・サービスをします。
    キャンドルを灯しての、祈りと賛美、
    聖書と御言葉による礼拝です。
    共に主キリストの御降誕を祝い、
    感謝を捧げ、平和を祈りましょう。
    クリスマス礼拝では洗礼式を予定しています。

    ・来年の教会カレンダーが届きました。  
    今年も教会から皆さまに
    プレゼントさせていただきますので、
    皆さま忘れずにどうぞお持ち帰りくださり、
    ご利用ください。

    ・クリスマス献金のお願い
    クリスマス献金にご協力をよろしくお願いします。
    おもな使い途は、牧師手当の他、
    以下の福祉・宣教団体への献金です。
    アジア学院、止揚学園、NCC教育部、
    聖書協会、ペシャワール会

    ・今月発行の「モレノ」はクリスマス・新年特別号です。
    皆さまからのご寄稿をお待ちしております。
    来週の日曜日が原稿の締め切り日ですので、
    よろしくお願いします 。

    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

  • 以上
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