朗読箇所
公現後第4主日
旧約 新共同訳 イザヤ書 53:11-12
◆
11 彼は自らの苦しみの実りを見
それを知って満足する。わたしの僕は、多くの人が正しい者とされるために
彼らの罪を自ら負った。
12 それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし
彼は戦利品としておびただしい人を受ける。彼が自らをなげうち、死んで
罪人のひとりに数えられたからだ。多くの人の過ちを担い
背いた者のために執り成しをしたのは
この人であった。
新約 マルコによる福音書 9:30-32
◆再び自分の死と復活を予告する
30 一行はそこを去って、ガリラヤを通って行った。しかし、イエスは人に気づかれるのを好まれなかった。
31 それは弟子たちに、「人の子は、人々の手に引き渡され、殺される。殺されて三日の後に復活する」と言っておられたからである。
32 弟子たちはこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。
説教
主の弟子たちよ、何を恐れるのか?
音声を聴く
- 皆さんは何を怖いと思いますか。
恐れの原因はいろいろあるでしょう。
しかし、ほんとうのことを知ること、
それほど怖いことはありません。
恐ろしい事実や、
知りたくない不都合な真実を知ることを、
わたしも含めて、たいていの人は恐れます。
皆さんも心あたりがあることでしょう。
たとえば、体の調子が悪くて、
病院で検査をしたとしましょう。
お医者さんがうーんといいながら、
詳しい検査をしてみましょうと言います。
心配しながら再検査を受けて、
その結果を聞きに行くのが怖い。
できれば聞くのを先延ばしにしたい。
そう思わない方は、
そうとう心臓が強い方だと思います。
真実が自分の願うこととは違う、
自分の希望に反する。
その心配があるとき、
大抵の人は恐れを抱きます。
実際、不都合な真実(と感じること)を、
人は認めたくないとものです。
不都合なことは考えたくないと心が拒み、
正面から向き合うことを恐れます。
あの時の弟子たちがそうでした。
ガリラヤを通って旅していたとき、
イエス様は弟子たちに言うのです。
人の子は、人々の手に引き渡され、
殺される。
殺されて三日の後に復活する。
イエス様による受難予告と呼ばれる言葉です。
イエス様は三回、受難の予告を告げました。
きょうの福音書の箇所は、
二回目の受難予告です。
弟子たちは初めて聞いたわけではありません。
この時よりももう少し前、
8:31−33の箇所で、
イエス様は最初の受難予告をなさいました。
「人の子は多くの苦しみを受け、殺される」。
それは弟子たちにとってまさに青天の霹靂。
驚いたペトロは、イエス様をわきに連れ出し、
諫め始めたというのです。
弟子が先生を叱るとは、なんということでしょう。
それほどまでにペトロたちには驚きの言葉でした。
信じられない、というよりもむしろ、
あり得ない、事実と受け入れられない言葉でした。
その一回目の受難予告の時、
イエス様を諫めたペトロは、
「サタン、引き下がれ」とまで言われました。
そうとうへこんだに違いありません。
今回は二回目の受難予告ですから、
弟子たちは一回目で既に聞かされています。
最初の時は驚き慌てましたが、
今回は二度目の受難予告です。
当然、弟子たちは言葉としては知っています。
だが、言葉としては知っていても、
それが何を意味するのかがわかりません。
弟子たちはまさにそういう状態でした。
マルコは弟子たちの様子をこう伝えています。
弟子たちはこの言葉が分からなかった。
言葉自体は少しも難しくありません。
ただ、その意味がわかりません。
人々の手に引き渡される?
殺される?
三日の後に復活する?
いったいどういうことなのでしょうか。
わからないけれども、
弟子たちはうすうす気付き始めています。
もしかするとこの方は、
願い通りの救い主にはならないのではないか。
期待する救い主と違うのではないかと。
「先生、それはどういう意味ですか」。
はっきりとそう尋ねればよいのに、
弟子たちにはそれができないのです。
マルコは弟子たちの様子をこう伝えています。
怖くて尋ねられなかった。
真実を知ることが怖いのです。
弟子たちが恐れたのは、
不都合な真実を知らされることでした。
この方は自分たちの望む救い主ではない、
そのことを知らされる恐れ。
この方は自分たちの願う救いを与えない、
その事実を知らされる恐れ。
将来もこの方といっしょにいたら、
自分たちも人々の手に引き渡され、
殺されるかもしれないという恐れ。
いったい、弟子たちは何を願い、
何を望みとして主イエスに従い、
イエス様と共に歩んできたのでしょうか。
少し先の、10章での出来事ですが、
二人の弟子ヤコブとヨハネが、
イエス様にこんな願いをします。
「栄光をお受けになるとき、
わたしどもの一人をあなたの右に、
もう一人を左に座らせてください」。
弟子たちの中で特に高い位に就きたい。
誰よりも出世することが彼らの願いでした。
すると、そのことを知った他の弟子が、
二人に対して腹を立てます。
自分たちを出し抜くとは何事だ。
それが怒りの原因でした。
弟子たちは期待していたに違いありません。
栄光に輝くイエス様といっしょに、
自分たちも栄光の座に着く時が来るはずだと。
その時を夢見て、
彼らはイエス様に従っていたのです。
だからイエス様の予告は不安をかき立てます。
引き渡され、殺される?
それが将来起きる出来事だとしたら、
この方は救い主ではないのか。
ほんとうはどうなのか。
でも、ほんとうのことを知るのが怖い。
彼らの恐れの正体、それは、
自分たちの願望が砕かれる恐れです。
今も人々が教会を訪れてまいります。
クリスチャンホームで育ったのでない限り、
誰にでも教会デビューの時があります。
皆、いろいろなことを期待して教会に来ます。
そして、イエス様に望みを託します。
ある人はもっとましな人間になりたいと望み、
ある人は人間の品性を高めたいと願い、
ある人は神の祝福を受けて成功したいと考え、
ある人は繁栄を望み、
ある人は病の癒しを求め、
ある人は悩み事の解決を期待し、
ある人は苦しみからの救いを願って。
しかし、教会に通い、
イエス様の教えとおこないを知り、
共に礼拝し、祈り、賛美するうちに、
人々は次第に感じるようになります。
自分が期待しているようなことを、
教会は、イエス様は、
わたしに提供してくれないのではないかと。
やがてそれは漠然とした恐れに変わります。
本当は、自分は間違っているのではないか。
期待し望んでいるようなものは、
ここでは与えてもらえないのではないかと。
成功や繁栄を与えてもらえると信じ、
期待してこれまで来たのに、
そうはならないのではないかという不安。
癒し、幸福、健康、悩みの解決を期待したが、
ここで与えられるものは、
そうしたことと違うのではないか。
心の中で疑いが生じてきます。
「イエス様、あなたは救い主ですよね、
わたしに成功や幸福を与えてくださる、
そういう救い主ですよね?」。
でも、教会で説教を聴き、
しだいにキリストの福音を知るにつれて、
疑問は膨らんでくることでしょう。
もしかすると、
わたしは大きな勘違いをしているのか。
もしかしたら、
わたしはここで与えられないことを、
虚しく期待しているだけなのかと。
真実を知ることを恐れて、
自分の期待にしがみつき、
やがて悟ることになるかもしれません。
キリスト教は望む救いを与えてくれない、
教会は期待外れだったと。
あるいは、違う風に悟るかもしれません。
イエス・キリストが与えてくださる救いは、
わたしが最初に思い込んでいた、
この世の常識が考える救いとは、
まったく異なるものだということを。
そして聖霊の光に照らされて、
こう信じるようになることでしょう。
ここにこそ、キリストを信じることにこそ、
わたしの真に望むべき救い、
わたしの魂からの求めに対する答えがあると。
イエス様はこの世での成功の秘訣を教えません。
この世の幸福な定住者への道を示しません。
成功や繁栄を約束する救い主ではありません。
イエス・キリストは、
この世の罪を負って十字架にかかり、
人々の罪をあがなう苦難の僕としての救い主。
わたしたちをこの世から贖い出して、
神に属する者として受け入れ、
天の国に国籍を持つ者としてくださり、
この世では、神の民すなわち寄留者として、
この世を旅する者として、
わたしたちを歩ませる救い主。
そのことをはっきりと知るなら、
わたしたちは神の民とされている事実のゆえに、
神の御心に沿う生き方を心から願います。
人は誰でも、自分の願いと期待を抱いています。
その実現を求めて教会に来ます。
しかし、やがて真実が明らかになってきます。
その時、恐れが生じることでしょう。
この世でうまく生きる定住者としての成功、
それがわたしの願いなのに、
イエス様はかなえてくれないのではないかと。
主の弟子たちも、それを恐れました。
しかし、わたしたちは、
神が心の内に呼びかける声を聞きましょう。
「主の弟子たちよ、何を恐れるのか?」。
この世での成功の秘訣、
この世での安泰が約束されないことが、
わたしたちの恐れの理由でしょうか。
恐れを捨てさりましょう。
わたしたちが約束されている救いは、
そうしたこととはまったく異なります。
わたしたちが信じるのは、
十字架と復活の主イエス・キリストです。
主イエスの与えてくださる救いは、
この世の常識や理解をはるかに超えます。
この世の常識によれば、
救いとはこの世の成功であり安泰であり、
この世の定住者となってうまく生きることです。
しかし、イエス・キリストの救いは、
わたしたちに天の国籍を与えて、
この世の寄留者として、
神の御心を世に表し、
よいおこないをしながら、
やがて天の故郷に行き着く時まで、
この世を喜んで感謝して旅することです。
皆さんはそういう神の民とされています。
恐れを捨てて、主イエスに従い、
この世を旅してまいりましょう。
天の故郷を目指して。
石田学牧師
週報より
- 2021.01.31週報より抜粋・要約
-
♪きょうの礼拝によくいらしてくださいました。
皆さまを心より歓迎いたします。
ふだんであれば、
礼拝後にティータイムをもちますが、
新型ウィルス対策のため、
しばらくティータイムは休止します。
かんたんなあいさつにとどめて
早めに帰るようにしたいと思います。
皆さまのご協力をよろしくお願いします。
・先週は月・火の二日間、
神学校合同研修会が開かれました。
日本ナザレン神学校は現在、
学生数が三名だけです。
しかも授業はすべてオンラインで、
直接会うことができません。
そのような中で、福音連盟所属の
七神学校合同研修会がおこなわれ、
六十名近い神学生と神学校教師が、
Zoomですが共に集いました。
孤独な学びを強いられている
神学生にとって励みになりました。
・両牧師は明日から水曜日まで、
休みをいただきます。
・来週は月例教会役員会を開きます。
教会役員の皆さまはよろしくお願いします。
おもな議題は定例報告の承認と、
教会総会の準備です。
役員会で話し合ってほしい議題があれば、
牧師にお知らせください。
教会住所録を改訂しますので、
変更のある方は牧師にお知らせください
公 告
年次教会総会のお知らせ
わたしたちの教会は下記のとおり、
年次教会総会を開催します。
日時・場所 2月21日、12時30分
(ランチの会後)、教会会堂で
おもな議案 年次報告の承認、
次年度予定・予算の承認、その他
みなさまどうぞ出席をご予定ください
(委任状は後日用意します)。
教会名簿を改訂しますので、
変更がありましたら牧師にお知らせください。
・書き損じ・出し忘れのはがきをください
(アジア学院に寄付)
・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
牧師にお知らせください。
- 以上