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朗読箇所

四旬節第5主日  

旧約 申命記8:11-14

◆主を忘れることに対する警告
11 わたしが今日命じる戒めと法と掟を守らず、あなたの神、主を忘れることのないように、注意しなさい。
12 あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、
13 牛や羊が殖え、銀や金が増し、財産が豊かになって、
14 心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。主はあなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出し、


新約 マルコによる福音書10:23-31


23 イエスは弟子たちを見回して言われた。「財産のある者が神の国に入るのは、なんと難しいことか。」
24 弟子たちはこの言葉を聞いて驚いた。イエスは更に言葉を続けられた。「子たちよ、神の国に入るのは、なんと難しいことか。
25 金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
26 弟子たちはますます驚いて、「それでは、だれが救われるのだろうか」と互いに言った。
27 イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にできることではないが、神にはできる。神は何でもできるからだ。」
28 ペトロがイエスに、「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました」と言いだした。
29 イエスは言われた。「はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、
30 今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける。
31 しかし、先にいる多くの者が後になり、後にいる多くの者が先になる。」

説教

らくだは針の穴をとおるか

音声を聴く

  • ありえないことや、
    絶対に不可能なことを、
    もしユーモラスに表現するとしたら、
    どんな表現が可能でしょうか。
    いろいろ考えてみましたが、
    イエス様がきょうの福音書で言われた、
    あの言葉ほどみごとなものはないでしょう。


    金持ちが神の国に入るよりも、
    らくだが針の穴をとおる方が、 
    まだ易しい。


    らくだが針の穴をとおるか・・。
    とおるわけがありません。
    それにしても、らくだと針の穴とは・・。
    あまりに極端な対比であるため、
    ユーモアを理解しない人たちが、
    理屈がとおるような説明を考え出しました。
    たとえば、らくだではなくロープに変えて、
    ロープが針の穴をとおる方が易しい、
    そのように書き換えてみたり、
    エルサレムの城壁には、
    狭いので「針の穴」と呼ばれていた、
    裏口があったに違いないと説明して、
    ユーモアの欠片もない、
    面白くもなんともない言葉にしてしまう。
    そんな歴史のある聖書箇所です。
    それにしても、
    もう少し現実味がある表現でもよかったのに、
    イエス様はよくも、
    らくだと針の穴の対比などを考えたものです。
    ただ、絶対に不可能だと言おうとしたことは、
    極端な対比だけに良く伝わります。
    あたかも、金持ちが神の国に入るのは、
    絶対に無理だと言わんばかりの言葉です。
    それが、イエス様の言いたかったことでしょうか。
    それほどまでにイエス様は、
    金持ちが大嫌いだったのでしょうか。
    たしかに、らくだと針の穴の比喩の前に、
    二回も神の国に入ることの難しさを語っています。


    財産のある者が神の国に入るのは、
    なんと難しいことか。


    さらにイエス様は言葉を続けて言われます。


    子たちよ、神の国に入るのは、
    なんと難しいことか。


    同じ言葉の繰り返しのように思われます。
    でも、注意してこの言葉をみると、
    二回目には「財産のある者が」とは、
    言われていません。
    ただ「神の国に入るのは」だけです。
    そこに意味があるのでしょうか。
    このことは心に留めておいて、
    話を先に進めましょう。
    続けてイエス様は、
    らくだと針の穴の比喩を語ります。
    弟子たちはこの言葉を聞いて、
    イエス様は金持ちが神の国に入ることが、
    ほとんど不可能だと言われたと理解しました。
    だから、とても驚きました。
    なぜなら、その時代に弟子たちはもちろん、
    ほとんどの人たちが常識と思っていたことを、
    イエス様は覆したからです。
    ユダヤの人々は、誰でも、
    サドカイ派であれファリサイ派であれ、
    律法学者であれ庶民であれ、
    みんな同じ常識を抱いていました。
    弟子たちもそうでした。
    財産や豊かさは、
    神に喜ばれ、祝福されている証だという常識。
    不正や悪事で稼いだ富ではなく、
    まっとうな働きで得た財産であれば、
    それは神の祝福であり、
    神に祝福されているということは、
    神の恵みを受けていることの証明だと、
    誰もが堅く信じていたのでした。
    神の国は、神に祝福されている、
    財産のある人たちにふさわしい。
    イエス様はそれを覆します。
    財産のある者が神の国に入ることは、
    なんと難しいことかと。
    しかし、この時イエス様は、
    ほんとうは何を覆したのでしょうか。
    財産や富があることを問題にして、
    金持ちが救われることはあり得ない。
    そう言われたのでしょうか。
    そうではないように思うのです。
    だから、二回目の時には、
    「財産のある者」という限定なしに、
    「神の国に入るのはなんと難しいことか」と、
    誰がという条件なしで、
    誰であってもという意味で、
    この言葉を繰り返したのではないでしょうか。
    真の問題は、財産の有無ではなく、
    財産に代表される、
    人の力や所有に依存することです。
    神は立派な人、力ある人を喜び、
    そのような人を顧みて恵み祝す、
    そのような思い込みこそが、
    イエス様の指摘する問題ではないでしょうか。
    なぜなら、そうした考えや常識は、
    人の力や所有や能力で救いを獲得できる、
    あるいは神の評価に価する、
    そう信じ込ませるからです。
    財産であれ、地位であれ、知識であれ、
    高い能力や権勢や実力であれ、
    その他のどのようなものであれ、
    自分の持っている何かが自分を救う、
    あるいは神の報酬を受けるに価する、
    その考えこそが、
    神の国に入ることを不可能にしている。
    それがイエス様の言葉の意味です。
    金持ちが神の国に入ることよりも、
    らくだが針の穴をとおる方が易しい。
    そう告げられたペトロの心には、
    その直前に起きた出来事が浮かんだのでしょう。
    ある人がイエス様に、
    財産を売り払い、
    貧しい人に施し、
    それから来て従えと言われた、
    その出来事をペトロは思い出します。
    自分はまさしくそうしたではないか。
    そう考えたペトロは、
    自分の行為がイエス様の称賛に値するはずだ、
    そう信じ込みました。
    そこでイエス様に向かって、
    胸を張り誇らしげに呼びかけます。
    「わたしたちはすべてを捨てて
    あなたに従ってきました」。
    「きみは神の国にふさわしい」。
    イエス様にそう言われたかったのでしょう。
    そして、そう言われると考えていました。
    ペトロは人々と同じ常識を抱き、
    その時もまだ、常識に縛られたままでした。
    神にふさわしい何かを持っているか、
    あるいはおこなっているなら、
    神の国に入ることができるという常識です。
    さて、それに対してイエス様は、
    なんと応答したでしょうか。
    考え違いを叱責するどころか、
    ペトロの言葉を保証するかのようなことを、
    イエス様は言います。
    新共同訳ではなく直訳の方が、
    イエス様の言葉の意味がよくわかります。


    わたしのため、また福音のために、
    家、または兄弟、または姉妹、
    または母、または父、
    または子、または畑を捨てたものは・・


    これではまるで、
    イエス様は全てを捨てることが、
    神の国に入る条件だと語っているかのようです。
    すべてを捨てる人だけしか、
    神の国に入ることはできないということでしょうか。
    そうだとしたら、
    これに続く言葉は不必要なはずです。
    イエス様は続けてこう言われるのですから。


    そうする人はだれでも、
    迫害と共に、
    今この世において、
    百倍の家と、兄弟と、姉妹と、
    母と、子と、畑を、
    そして来るべき世では
    永遠の命を受ける。


    イエス様が言われたのは、
    神の国に入るための条件ではありません。
    主イエスを信じる人たちが体験する、
    あるいは体験するであろう、
    迫害の現実と、
    それと同時に彼らが得ることになる、
    神の家族の交わりを、
    そして将来の永遠の命の約束を、
    イエス様は告げたのでした。
    実際、やがて多くの信仰者が迫害され、
    家や家族や財産を捨てることを強いられました。
    そしてそれと同時に、
    それらの人々は教会の兄弟姉妹の交わりと、
    永遠の命を得ることとなりました。
    財産を放棄することが、
    神の国に入る条件ではありません。
    財産に代表される、
    人間の所有、力、能力、働き、
    その他のあらゆる人間的なものが、
    その人を神の国と神の救いにふさわしくする、
    そういう常識、そういう考え違いが、
    人々を神から遠ざけ、
    神を不必要だと考えさせ、
    あるいは神からのほうびを受けるにふさわしい、
    そのように思い込ませます。
    人がどのようなものに依存するのであれ、
    自分の力で神の国に入るのは、
    らくだが針の穴をとおるよりも難しい、
    つまり、まったく不可能なことです。
    イエス様は弟子たちを見つめて、
    はっきりと言われました。
    「人間にできることではないが、
    神にはできる。
    神はなんでもできるからだ」。
    すべてを捨てて従ったからといって、
    それでペトロや弟子たちが救われるのではなく、
    神の国に入ること、
    わたしたちが救われることは、
    神だけにできることです。
    それは、神の恵みの働き、
    神の憐れみを受けることによってのみ、
    可能なことだからです。
    財産のある人、力があると思っている人、
    自分は立派だと内心思っている人は、
    神の憐れみを受けることなど、
    屈辱的で不必要だと怒りさえすることでしょう。
    しかし、神は自分を救えると思う人や、
    自分は救いにふさわしいと思う人には、
    目を注ぐことはありません。
    神が目を注ぐのは、小さな者ですから。
    かつて、イスラエルの民は、
    まさしく小さな者たちでした。
    彼らが弱く貧しかった時、
    神の憐れみのゆえに、
    彼らは神の恵みと救いを受けました。
    その果てにどうなったでしょうか。
    きょう旧約聖書は、
    申命記8:12−14を読みました。
    神の憐れみにより祝福を受けた民は、
    「食べて満足し、
    立派な家を建てて住み、
    牛や羊が殖え、
    金や銀が増し、
    財産が豊かになって」、
    そのはてにどうなるかを、
    神は警告しました。
    「財産が豊かになって、
    心おごり、
    あなたの神、
    主を忘れることのないようにしなさい」。
    しかし、神が警告したとおりになりました。
    だから、イスラエルの民への警告は、
    現代のわたしたちにも生きています。
    人は誰でも、
    自分で自分を救うことはできず、
    神の国に入る資格を得ることはできません。
    それよりは、らくだが針の穴をとおる方が、
    まだ易しいことです。
    ただ神の憐れみだけが、
    神の憐れみを願い求める人だけに、
    らくだが針の穴をとおるという、
    奇跡を可能にしてくれることでしょう。



    説教者 石田学牧師


週報より

  • 2021.03.21週報より抜粋・要約

  • ・月報モレノ4月号ができました。
    4月号は記事が多く、
    大幅増ページでお届けします。
    原稿をくださった方、
    製作してくださった方に感謝します。

    ・礼拝の係担当表が更新されました。
    5月までの予定を立ててみました。
    皆さまどうぞご確認くださり、
    変更をご希望の場合はお知らせください。
    まだこれから申し込みもできますので、
    よろしくお願いします。

    ・来週は「しゅろの主日」です。
    イエス様がエルサレムに入るとき、
    人々はしゅろの葉を振って迎えました。
    その週の木曜日に
    最後の晩餐を弟子たちと祝い、
    その夜に捕らえられ、
    金曜日に十字架にかけられて死なれました。
    イエス様の最後の1週間は「受難週」です。

    ・復活祭(4月4日)を共に祝いましょう。
    例年は持ち寄りによる食事会を楽しんできました。
    しかし、今年は持ち寄り食事会は中止します。  
    かわりに、教会で昼食を用意しますので、
    どうぞお楽しみに。
    食事のあと、有志で墓参にまいります。


    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。


  • 以上

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