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朗読箇所

しゅろの主日  

旧約 ゼカリヤ書9:9-10


9 娘シオンよ、大いに踊れ。娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者
高ぶることなく、ろばに乗って来る
雌ろばの子であるろばに乗って。
10 わたしはエフライムから戦車を
エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ
諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ
大河から地の果てにまで及ぶ。


新約 マルコによる福音書10:32-34

◆イエス、三度自分の死と復活を予告する
32 一行がエルサレムへ上って行く途中、イエスは先頭に立って進んで行かれた。それを見て、弟子たちは驚き、従う者たちは恐れた。イエスは再び十二人を呼び寄せて、自分の身に起ころうとしていることを話し始められた。
33 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。
34 異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」

説教

十字架への道を先立ち行く主イエス

音声を聴く

  •  きょうは教会の暦で、
    「しゅろの主日」と呼ばれる日曜日です。
    復活祭の1週間前の日曜日のことです。
    イエス様がどのくらいの期間、
    弟子を集めて人々を教えたのか、
    正確なことはわかりません。
    せいぜい二年程度かとも言われます。
    イエス様はその働きの最後を、
    エルサレムで迎えました。
    弟子たちを連れて各地をめぐり、
    北上して、
    ユダヤの北のはずれにある高い山に上り、
    そこから都エルサレムを目指す旅を続け、
    エルサレムに着いて都に入ります。
    その時、人々はしゅろの葉を振り、
    歓喜の声を上げながら、
    主イエスを迎えたのでした。
    「しゅろの主日」という名は、
    この日の出来事に由来します。
    都に入られた主イエスは、
    エルサレム神殿で商売人を追い払い、
    人々を教え、議論し、
    弟子たちと最後の晩餐を祝い、
    その週の木曜日に捕らえられ、
    裁判で死刑を宣告され、
    十字架にかかり、
    死んで葬られることになります。
    怒濤のような数日間が続くのです。
    人々に歓喜の声で迎えられた、
    その同じ週の出来事です。
    ですから、エルサレムに入られる、
    その日曜日から土曜日までの一週間は、
    十字架を頂点とする、
    「受難週」と呼ばれています。
    きょうは受難週の始まりの日、
    主イエスの十字架の道行きの始まりです。
    カトリック教会には中世以来、
    「十字架の道行き」と呼ばれている、
    祈りの習慣があります。
    エルサレムはちょうど過越の祭りの最中。
    おおぜいの人々が集まっています。
    その中を鞭打たれ暴行を受けた主イエスは、
    ゴルゴタと呼ばれる処刑場までの道を、
    十字架を背負って歩きました。
    見物人や群衆がはやし立て、
    主イエスを愛する人たちが後に従い、
    やがて、「ヴィア・ドロローサ」
    悲しみの道と呼ばれることになる道を歩みます。
    後の巡礼者がこの道をたどって歩くようになり、
    やがてエルサレムへの巡礼ができなくなると、
    各地のカトリック教会では、
    教会の敷地内あるいは建物の中に、
    道の途上での主イエスの苦難を、
    十四の場面として描いた絵や飾りを置き、
    人々はそれらの絵を巡って回り、
    場面毎に祈りを捧げるようになりました。
    それが十字架の道行きという祈りの習慣です。
    第一の場面は主イエスが、
    総督ピラトから死刑判決を受ける様子。
    そして最後の十四番目は葬りです。
    十字架の道行きを一巡することで、
    主イエスの御受難を追体験するのです。
    そして同時に、主イエスの受難が、
    わたしたちのためであったことを覚えて、
    黙想と祈りを捧げることになります。
    おもにカトリック教会の祈り方ですが、
    プロテスタント教会の中にも、
    十字架の道行きを祈る教会があります。
    わたしは何度か、
    カトリックの修道院に泊まったり、
    カトリック教会での集まりに行った時、
    十字架の道行きを実践してみました。
    文字で聖書を読むこと、
    あるいは頭の中で思い描くよりも、
    ずっと深く実感し体験できるものでした。
    十字架の道行きはその意味で、
    信仰的、霊的に良い体験に違いありません。
    しかし、十字架の道行きが焦点を当てるのは、
    イエス様の生涯の最後の一日だけです。
    主イエスはエルサレムに入るずっと前から、
    十字架への道を歩んで来られたのでした。
    すでに二回、弟子たちに対して、
    ご自分の受難と十字架の死、
    そして復活について予告して来ました。
    きょうのマルコ福音書の箇所は、
    三回目の、そして最後の受難予告です。
    主イエスはもっと早くから、
    それこそ教えを宣べ伝え始めた時から、
    ご自分の受難を思い、
    十字架への道を歩んできました。
    活動の中心であったガリラヤを離れ、
    南へと向かうその先に、
    主イエスはエルサレムを見ておられました。
    しかし、弟子たちに対しては
    目的地がどこかを告げては来ませんでした。
    今日の聖書箇所ではじめて、
    マルコ福音書の記者は目的地を読者に告げます。
    「一行がエルサレムへ上って行く途中」と。
    直接、主イエスから告げられてはいませんが、
    弟子たちはこの時までには、
    自分たちがどこへ向かっているのか、
    うすうす気づき始めています。
    このまま行けば、都に行き着くはずだと。
    そして、それが主イエスの意志であることも、
    弟子たちは感じ始めるのです。
    マルコはこう物語ります。


    イエスは先頭に立って進んで行かれた。
    それを見て、弟子たちは驚き、
    従う者たちは恐れた。


    なぜ驚き、恐れたのでしょうか。
    それは、エルサレムが主イエスを敵視し、
    陥れ、罠にかけ、葬り去ろうとする人々の、
    本拠地であり彼らの牙城だからです。
    これまで繰り返し、
    ファリサイ派や律法学者たちが、
    主イエスの言動を攻撃し、批判し、
    悪意のある質問を投げかけて、
    陥れようとしてきました。
    彼らは主イエスを攻撃する目的で、
    エルサレムからやってきた人たちでした。
    その都を目指して、
    主イエスは先頭に立ち、
    先立って進んで行かれるのです。
    群れを率いて先頭を行く人は、
    自分たちがどこを目指し、
    行く先に何があるかをはっきりと知る人です。
    イエス様は明らかに、
    エルサレムを目指し、
    そこに何が起きるか、
    何が待っているかをご存じです。
    それを承知した上で、
    率先して弟子たちを引き連れてゆくのです。
    弟子たちも予感し始めています。
    エルサレムに着いたら何が起きるのかを。
    しかし、同時に別の期待、別の予感もします。
    なぜなら、弟子や従う人々は、
    この方こそメシアだと信じているからです。
    もし主イエスがメシア、
    すなわち来たるべき救い主だとしたら、
    主イエスこそ栄光の王、
    世界を統べ治める方として、
    エルサレムに入られるのではないか。
    その期待と予感も抱きます。
    昔のイスラエルの預言者たちは、
    やがてメシアが来ると予言してきました。
    メシアはやがて都エルサレムに入り、
    勝利の凱旋をおこなう、
    そのような日がやがて来る。
    その予言を信じ、待ち望んでいました。
    きょう共に読んだ詩編24編の詩人は、
    まさにメシアの凱旋を高らかに歌うのです。


    城門よ、頭を上げよ
    とこしえの門よ、身を起こせ。
    栄光に輝く王が来られる。
    栄光に輝く王とは誰か。
    万軍の主、主こそ栄光に輝く王。


    主イエスはメシアとして、
    勝利のエルサレム入城を果たすのか。
    それとも牙をむく敵が待ち構える、
    その危険の中に主イエスは自ら飛び込むのか。
    弟子たちには期待と恐れが入り交じります。
    主イエス自ら先立って行くことへの驚き、
    何が起きるかの不安と恐れ、
    その中で先立つ主イエスについて行きます。
    するとその時、
    主イエスは再び弟子たちを呼び寄せて、
    彼らにはっきりと告げるのです。
    三度目となる受難予告を。
    都に着いたら、いったい何が起きるのか。
    そのことを弟子たちにはっきりと告知します。


    今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。
    人の子は祭司長たちや律法学者たちに
    引き渡される。
    彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。
    異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、
    鞭打ったうえで殺す。
    そして、人の子は三日の後に復活する。


    このような苛酷な受難を予め知りながら、
    いや、むしろ、この受難を目指して、
    意図的に主イエスはこの十字架への道を、
    先立って進んでゆかれるのです。
    なぜなのでしょうか。
    なぜ、十字架への道に他ならない、
    エルサレムへの道、苦難の道を、
    主イエスは先立って行かれるのでしょう。
    詩編の詩人は、
    メシアが神の栄光と共にエルサレムに入る、
    その輝かしい情景を歌い描きました。
    しかし、預言者ゼカリヤは、
    メシアのエルサレム入城を、
    まったく異なる情景として預言しています。


    娘シオンよ、大いに踊れ。
    娘エルサレムよ、歓呼の声をあげよ。
    見よ、あなたの王が来る。
    彼は神に従い、勝利を与えられた者。
    高ぶることなく、ろばに乗って来る。
    雌ろばの子であるろばに乗って。


    詩編の詩人と、預言者ゼカリヤ。
    何と異なるメシアの姿、
    なんと異なるエルサレム入城の情景を、
    両者はわたしたちに語ることでしょうか。
    いや、異なっているのでしょうか。
    そもそも、神の栄光とは何でしょうか。
    強大な軍隊を率いて敵を攻め滅ぼし、
    血塗られた勝利の凱旋をすることが、
    神の栄光でしょうか。
    それとも、人を愛し、慈しみ、
    罪人を憐れみ、救いの手を差し伸べ、
    救いをもたらすために自ら人となり、
    十字架の上で罪の赦しと贖いを成し遂げる、
    その神の愛と憐れみ深さ、
    それが神の栄光なのでしょうか。
    詩編の詩人は、栄光の王が来ると予言しました。
    しかし、何が栄光なのかは明示しません。
    それをするのは預言者です。
    ゼカリヤは預言して人々に告げ知らせます。
    メシアはろばの子に乗って来ると。
    高ぶることのない王として。
    預言者イザヤは、
    メシアが人々の罪を負って苦難を受け、
    そのことを通して人々を癒す、
    そのような救い主だと預言しました。
    人々の重荷を負い、
    平和をもたらす主として来られる救い主。
    それこそ神の栄光ではないでしょうか。
    わたしたち人間が考える栄光とは、
    なんと異なることでしょう。
    ヨハネ福音書はそれゆえに、
    主イエスご自身が、
    この世での働きと十字架の死を、
    地上で神の栄光を表すことだと語ったことを、
    17章に証言しています。
    十字架によって、
    主イエスは人々の罪を代わりに負い、
    あがないを成し遂げ、
    復活によって神の国の望みを、
    わたしたちに与えてくださいました。
    その神の栄光を目指して、
    いま主イエスは十字架への道を
    先立って歩んで行かれるのです。
    苦難を受け、十字架にかけられ、
    死んで葬られ、
    三日目に復活すること、
    それがご自分の確固たる意志であり、
    そのことによって信じる者があがなわれ、
    わたしたちが神の民とされること、
    それが神の栄光であることを表すために。



    説教者 石田学牧師


週報より

  • 2021.03.28週報より抜粋・要約

  • ・きょうは「しゅろの主日」です。
    主イエスは、エルサレムでの苦難を
    自ら受け入れて、
    十字架での死を知りながら、
    エルサレムに入られました。
    人々はしゅろの葉を振って、
    歓呼の声で主イエスを迎えました。
    主は神殿をきよめ、人々に教えを語り、
    弟子たちと過越を祝い、
    ゲツセマネで祈り、捕らえられ、
    十字架で死なれました。
    きょうは主イエスがエルサレムで過ごした、
    受難週の始まりの日です。
    主イエスがわたしたちの救いのため
    十字架にかかられたことを覚えつつ、
    この1週間を過ごしましょう。
    来週は復活祭(イースター)です。

    ・来週は主イエスのご復活を祝う、復活祭です。
    今年は持ち寄りの食事会は休止しますが、
    教会で昼食を用意します。
    共に食事をして復活祭を祝いましょう。
    食事のあと、有志の方たちで墓参に行きます。

    ・イースター献金をよろしくお願いします。
    世界宣教と、施設などへの募金と、
    教会の働きに用いさせていただきます。


    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。


  • 以上

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