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朗読箇所

復活節第5主日  

旧約 エレミヤ書8:8-13

◆民の背信
8 どうしてお前たちは言えようか。「我々は賢者といわれる者で
主の律法を持っている」と。まことに見よ、書記が偽る筆をもって書き
それを偽りとした。
9 賢者は恥を受け、打ちのめされ、捕らえられる。見よ、主の言葉を侮っていながら
どんな知恵を持っているというのか。
10 それゆえ、わたしは彼らの妻を他人に渡し
彼らの畑を征服する者に渡す。身分の低い者から高い者に至るまで
皆、利をむさぼり
預言者から祭司に至るまで皆、欺く。
11 彼らは、おとめなるわが民の破滅を
手軽に治療して
平和がないのに「平和、平和」と言う。
12 彼らは忌むべきことをして恥をさらした。しかも、恥ずかしいとは思わず
嘲られていることに気づかない。それゆえ、人々が倒れるとき、彼らも倒れ
彼らが罰せられるとき、彼らはつまずくと
主は言われる。
13 わたしは彼らを集めようとしたがと
主は言われる。ぶどうの木にぶどうはなく
いちじくの木にいちじくはない。葉はしおれ、わたしが与えたものは
彼らから失われていた。


新約 マルコによる福音書11:12-14

◆いちじくの木を呪う
12 翌日、一行がベタニアを出るとき、イエスは空腹を覚えられた。
13 そこで、葉の茂ったいちじくの木を遠くから見て、実がなってはいないかと近寄られたが、葉のほかは何もなかった。いちじくの季節ではなかったからである。
14 イエスはその木に向かって、「今から後いつまでも、お前から実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。

説教

その時、まったくイエス様らしくない事件が起きた

音声を聴く

  • きょうの福音書の箇所、
    あの日の出来事を聞かされて、
    衝撃を受けない人がいるでしょうか。
    「あのイエス様がそんなことを言うか」。
    その疑問を抱かされ、
    絶句しないでいられるでしょうか。
    イエス様が口にした言葉は、
    まぎれもなく、呪いの言葉です。
    いや、呪いというよりはむしろ、
    厳かな裁きの宣告と言うべきでしょうか。
    いずれにしても、
    まったくイエス様らしくないです。
    なぜなら、どう考えても、
    この呪いの言葉は正当ではありませんから。
    むしろ、まったく理不尽としか思えない、
    その前日のことでした。
    主イエスと弟子たち、そして大勢の群衆が、
    都エルサレムへと上ってゆきました。
    従って来た弟子や群衆の興奮は頂点に達し、
    人々は口々に「ホサナ」と叫び、
    自分たちの上着や木の枝を道に敷いて、
    イエス様と共に進んで行きます。
    彼らにとって、それはまさに、
    救い主、メシアのエルサレム入城でした。
    メシアがエルサレムに入る。
    それは預言者たちが告げ知らせ、
    人々が永らく待ち望んで来た出来事です。
    預言者は救い主の現れる日を、
    終わりの時、主の日と呼びました。
    その日は神の国が現実となる日であり、
    神の支配が明らかになる時であり、
    神の裁きが下される日と信じられてきました。
    イエス様に従ってきた人々は、
    主イエスのエルサレム入城こそ、
    主の日が現実になる時だと信じたのでした。
    そして、事実、
    イエス様のエルサレム入城は、
    メシアの入城に違いありませんでした。
    ただし、人々が期待し思い描いていたような、
    メシアの姿とは正反対でしたが。
    人々は栄光に輝く万軍の主であるメシア、
    力と権威を帯びたメシアを期待していました。
    しかし、イエス様はと言えば、
    子ろばに乗る姿で、
    権威も権力も持たずに来たのでした。
    人々の期待とはほど遠い姿で、
    しかし、それこそが預言者たちの語って来た、
    真実のメシアの姿で、
    エルサレムに入られたのでした。
    古来、メシアのエルサレム入城は、
    神ご自身が神の都であるはずのエルサレムに、
    栄光の王として入ることでした。
    中でも、神があがめられるべき神の家、
    エルサレム神殿こそは、
    来るメシアの宿るべき場所でした。
    だから、イエス様もエルサレムに入ると、
    ただちに神殿の境内に入り、
    その中をつぶさに見て回りました。
    あたかも、長い不在の後、
    自分の家に戻って来た家の主人が、
    自分の家の中を見て回るかのように。
    ご自分の家であるはずの神殿を見回り、
    夕方になったのでイエス様はその後、
    いったんベタニア村へと引き上げます。
    そのときイエス様は満足していたでしょうか。
    ご自分の家である神殿が、
    主人であるイエス様を迎えるにふさわしく整い、
    神の家としての姿を保っているのを見て、
    イエス様は喜びを抱いて、
    満足してベタニアへと出て行かれたでしょうか。
    いいえ、まったくそうではなかったはずです。
    イエス様はむしろ、深い落胆と嘆きを抱いて、
    悲しみの内に出て行かれたに違いないのです。
    そこは神の家、祈りの家とは程遠い、
    まったくメシアにふさわしくない場所に、
    成り下がっていたのですから。
    主メシアがご自分の都に、
    そして神殿に入って来られます。
    しかし、都は堕落していました。
    ローマ帝国の支配下に置かれ、
    その支配のもとで王や貴族や金持ちは、
    自分の利益を守ることに専念して、
    人々の上に君臨していました。
    そして、
    ご自分がメシアとして住むべき神殿は、
    金と欲にまみれていました。
    その場所の真の主であるべき、
    主イエスを迎えるための場所は、
    主の家であるはずの神殿にはない。
    まるで、クリスマスの時のようです。
    主イエスが人となって世に来られた時、
    客間には主イエスを迎える余地がなく、
    家畜小屋で生まれ、
    飼い葉桶に寝かされました。
    そのように、
    この時も神殿には主イエスの場所はない。
    だから主はベタニアへと出て行きました。
    そして、その翌日の朝、
    イエス様と弟子たちは、
    ふたたびエルサレムへと上ってゆくのです。
    ベタニアを出た後で、
    イエス様は空腹になります。
    朝ご飯はちゃんと食べて出掛けましょう。
    しかし、そうなさらなかったのでしょうか。
    イエス様は道の途上で、
    葉の茂ったいちじくの木を見つけます。
    そこで、イエス様は行って葉をかき分け、
    いちじくの実がないかと探します。
    しかし、葉は茂っていますが、実はない。
    あるはずがありません。
    まったく季節外れなのですから。
    実のなる季節ではない時に、
    実を期待して探しに来るとは、
    なんと間抜けなことでしょうか。
    そんな愚かなことをするのは、
    うちのブルーベリーの木に、
    まだ花の季節なのに実を捜しにくる、
    頭のわるいひよどりくらいのものです。
    イエス様は農家ではなく大工の家で育ったので、
    いちじくの実の季節を知らなかったのでしょうか。
    そんなことはないと思います。
    その時代、ユダヤの町や村には、
    ふつうにいちじくの木がありましたから。
    みんな当たり前に、
    木から実を取って食べていたはずですから。
    それとも、
    イエス様は思い通りにならないと怒り出す、
    わがままな子どものような性格だったのか。
    いろいろ推測はしますが、
    ほんとうのところはわかりません。
    それにしても、確かなことが一つあります。
    このイエス様の言葉と行動は、
    まったく「イエス様らしくない」ことです。
    イエス様は信じ難い言葉を口にします。


    これから先、永久に、だれも、
    お前から実を食べることがないように。


    イエス様がこんな呪いの言葉を口にするとは、
    とうてい信じられません。
    なんとひどい話だと思われるでしょうか。
    でも、ほんとうにひどい話なのでしょうか。
    わたしたちは、この日が、
    特別な日であったことを忘れてはなりません。
    イエス様がエルサレムに入られた出来事は、
    終わりの時、また主の日と預言者が呼んだ、
    きわめて特別な時間でした。
    それは、神の聖者、救い主が公に現れ、
    この世界に神の裁きと救いをもたらす、
    神の訪れの日なのです。
    主の日、すなわち、
    メシアがこの世に表される時は、
    神による収穫の時でもあります。
    ちょうど、ぶどう園の主人が、
    時が来ると実を収穫するように、
    神が良い実りを、
    この世界とすべての人々から収穫する、
    その時こそメシアの現れる時です。
    神はメシアをとおして、
    いったい何を人々から収穫するのでしょうか。
    たくさんの供え物?
    何万もの動物の犠牲?
    多額の献金?
    いいえ、そんなものを神は喜びません。
    神がわたしたちから得ようと願うのは、
    わたしたちの神への感謝、賛美、
    神と人を愛すること、
    憐れみ深くあること。
    慈しみを抱き、
    正義をおこなうこと、
    それがわたしたちの生み出す良い実です。
    主なる神がこの世界を裁くために来られ、
    わたしたちから良い実を期待するとき、
    もし、わたしたちには何もなかったら?
    神に喜ばれるものがなにもなく、
    主キリストの訪れに何の備えもないなら、
    どうしたらよいのでしょうか。
    このいちじくの木の出来事は、
    イエス様がエルサレムへと入られる、
    その直前の出来事と一対です。
    ベタニアに入る少し手前で、
    イエス様はある指示を弟子に与えました。
    向こうの村に入るとすぐ、
    誰も乗ったことのない子ろばが繫がれている。
    それをほどいて連れて来なさい。
    だれかが何か言ったら、
    「主がお入り用なのです」と答えなさい。
    「主がお入り用なのです」。
    その日その時は、主イエスが来られ、
    エルサレムへと入り、
    救い主としての姿を公に現す、
    その特別な時でした。
    子ろばの持ち主は、
    「主がお入り用なのです」という言葉に、
    条件無しに、即座に答えました。
    その出来事と一対のことが起きました。
    主イエスがエルサレムに入られる。
    その特別な時に、
    主イエスはいちじくの木に実を探します。
    主がお入り用でした。
    その時には、
    「今はまだ用意がありません」。
    「季節外れでありません」。
    そのような言い訳は通りません。
    この出来事は、たしかに無理難題、
    理不尽な要求をイエス様がしたように思います。
    でも、このいちじくの出来事は、
    終末の時、メシアの来臨の時の出来事です。
    ある人は、イエス様はひどい、
    木がかわいそうだ、
    身勝手だなどと不愉快に思うことでしょう。
    あの木は邪魔だから切ってしまおうとか、
    この草はいらないから抜いてしまえ、
    などと普通に考えているわたしたちの方が、
    たぶん身勝手なのかもしれません。
    あのいちじくの木に起きたことは、
    思いがけない時に主が来られ、
    わたしたちの中に良い実を探し求めることの、
    象徴として考える必要があります。
    その時、わたしたちには言い訳の余地はありません。
    主が求めておられる、
    主がお入り用なのだ、
    それだけで充分です。
    わたしたちは突然の主イエスの訪れの時、
    「まだ用意がありません」とか、
    「いまはまだだめです」、
    という言い訳はできません。
    突然、主が来られて、
    わたしたちの内に良い実を探す、
    その主の期待にいつでも応えられるよう、
    わたしたちは良い実を常に実らせ、
    備えておくことが必要です。
    神に喜ばれる良い実、それは、
    神を心からあがめ、感謝することです。
    それは神と人を愛することです。
    それはできるだけ憐れみ深くあることです。
    それは良い時も悪い時も神に信頼すること、
    神の約束を信じて正義をおこなうことです。
    きょう主イエスは来て、
    あなたの中に良い実を探すかもしれません。
    その時、葉っぱしか茂っていない、
    などということがないようにしたいものです。



    説教者 石田学牧師


週報より

  • 2021.05.02 週報より抜粋・要約

  • ・きょうは月例教会役員会を開きます。
    教会役員の皆さまは、ティータイム後に
    付属館にいらしてください。
    おもな議題は、月の報告承認と
    今後の予定、その他です。
    重要議題がありますので、
    よろしくお願いします。

    ・先週の十分間除草に
    ご協力くださった方たちに感謝します。
    これからの季節、雑草も元気になり、
    よく伸びます。
    なるべく隔週でおこないたいと思います。
    よろしくお願いします。
    次回は来週の礼拝後を予定しています
    (雨天の場合は延期)。

    ・来週は月報『モレノ』
    編集企画会をいたします。
    モレノ・チームの皆さまは
    よろしくお願いします。
    モレノ製作に関心がおありの方は
    見学にいらしてください。
    作業は礼拝後付属館でおこなっています。
    原稿を寄稿してくださる方は、
    来週が締切です。

    ・YouTubeで礼拝にご参加・
    再度視聴くださる皆さま
    いつもご視聴・ご参加くださり、
    ありがとうございます。
    チャット欄に礼拝プログラムを
    入力してくださる方のため、
    礼拝開始よりも一時間以上前から、
    配信を始めています。
    途中10時からの大人の教会学校も
    聞こえますので、
    よろしければどうぞ。
    礼拝開始は配信後
    一時間少し経過したあたりからです。
    YouTubeで礼拝録画をご視聴くださる方は、
    開始から一時間少々までを
    早送りにしてくださるとよいです。


    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。


  • 以上

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