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朗読箇所

しゅろの主日

旧約 哀歌3:40-57


40 わたしたちは自らの道を探し求めて
主に立ち帰ろう。
41 天にいます神に向かって
両手を上げ心も挙げて言おう。
42 わたしたちは、背き逆らいました。あなたは、お赦しになりませんでした。
43 あなたは怒りに包まれて追い迫り
わたしたちを打ち殺して容赦なさらない。
44 あなたは雲の中に御自分をとざし
どんな祈りもさえぎられます。
45 わたしたちを塵、芥のようにして
諸国の民の中にお見捨てになりました。
46 敵は皆、わたしたちに向かって大口を開く。
47 恐れとおののきが、騒乱と破壊が、襲いかかる。
48 わたしの民の娘は打ち砕かれ
わたしの目は滝のように涙を流す。
49 わたしの目は休むことなく涙を流し続ける。
50 主が天から見下ろし
目を留めてくださるときまで。
51 わたしの都の娘らを見て
わたしの目は魂に痛みをもたらす。
52 敵はゆえなくわたしを追う
鳥を追う狩人のように。
53 命を絶とうとわたしを穴に落とし
その上に石を投げる。
54 水はわたしの頭を越え
もう最期だとわたしは思った。
55 深い穴の底から
主よ、わたしは御名を呼びます。
56 耳を閉ざさず、この声を聞き
わたしを助け、救い出してください。
57 呼び求めるわたしに近づき
恐れるなと言ってください。


新約 マルコによる福音書15:42-47

◆墓に葬られる
42 既に夕方になった。その日は準備の日、すなわち安息日の前日であったので、
43 アリマタヤ出身で身分の高い議員ヨセフが来て、勇気を出してピラトのところへ行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出た。この人も神の国を待ち望んでいたのである。
44 ピラトは、イエスがもう死んでしまったのかと不思議に思い、百人隊長を呼び寄せて、既に死んだかどうかを尋ねた。
45 そして、百人隊長に確かめたうえ、遺体をヨセフに下げ渡した。
46 ヨセフは亜麻布を買い、イエスを十字架から降ろしてその布で巻き、岩を掘って作った墓の中に納め、墓の入り口には石を転がしておいた。
47 マグダラのマリアとヨセの母マリアとは、イエスの遺体を納めた場所を見つめていた。

説教

神なき世界への祈り

音声を聴く

  • 説教者  石田学 牧師

     

    「既に夕方になった」。

    きょうのマルコ福音書の箇所は、
    そのような書き出しで始まります。
    この一言は衝撃的でもあります。
    ユダヤの習慣を知っている読者を、
    とてもはらはらさせたはずです。
    イエス様が十字架に掛けられたのは金曜日。
    そして十字架上で死なれたのは、
    金曜日の午後三時を過ぎてからでしたから。
    金曜日はユダヤの人々にとって、
    「準備の日」つまり安息日の前日でした。
    安息日には、最低限のことを除いて、
    一切の労働が禁じられていました。
    神が安息されたそのように、
    自分も家族も僕も家畜も、
    すべて休まなければならない。
    律法の最重要の定めでした。
    そして、ユダヤの安息日つまり土曜日は、
    今の金曜日の日没から始まります。
    すでに金曜日の夕方になっていた。
    そうであれば一刻の猶予もありません。
    日が沈んでしまう前に、
    十字架上の亡骸を降ろして葬らなければ、
    安息日が明ける日曜日の朝まで、
    イエス様の遺体は十字架にさらされます。
    息を引き取ったのを見届けると、
    アリマタヤ出身のヨセフという議員が、
    大胆にも総督ピラトのもとに駆けつけて、
    遺体の引き渡しを願い出たのでした。
    犯罪人として処刑された人の遺体を、
    身分の高い議員が引き取ることは、
    異例中の異例であったはずです。
    ましてや、祭司長や律法学者といった、
    政財界の有力者たちの目にどう映るか、
    そのことが心配だったはずです。
    だからマルコは「大胆にも」と説明します。
    遺体の引き渡しを願い出られたピラトの方が、
    驚いて不思議に思いました。
    もう死んでしまったのかと。
    十字架刑はそんなに簡単には死ねませんから。
    百人隊長に確認して確かに死んだとわかり、
    ピラトは遺体の引き下ろしを許可します。
    あとは時間との勝負。
    大急ぎで亡骸を包むための亜麻布を買い、
    十字架からイエス様の亡骸を降ろして、
    亜麻布で包むと、
    岩を掘って作った洞窟の墓に運び込み、
    亡骸を置く平らな岩の上に置きます。
    岩を転がして洞窟を閉ざしたところで、
    日が沈んだのでしょう。
    イエス様が十字架につけられてからの時間を、
    マルコは三時間毎に区切って物語ります。
    イエス様が十字架に付けられて三時間後、
    昼頃になると全地が暗くなったと、
    マルコ福音書は伝えています。
    しかし十字架上で息を引き取られてからは、
    それ以上の異変は起きず、
    次第に夕暮れが迫るだけ。
    十字架の上で主イエスが死ぬまでの様子を、
    二組の人々が見ていました。
    同じ光景を見ていても、
    二組の人々は全く異なる思いを抱きます。
    一方には、神の御子が死んで、
    これでこの世から厄介者が消え、
    神の意志を人々に説く危険人物は消えた。
    そう考えて勝利を喜ぶ人々がいました。
    祭司長や律法学者に代表される人々です。
    もう一方には、
    神の御子がこのような仕方で殺され、
    この世界から神の意志も消され、
    神なき世界になってしまったかと、
    嘆き悲しむ人々がいました。
    イエス様に従って来た女性たちと、
    少数の男の弟子たちです。
    彼らにとって、主イエスこそは、
    神の国を実現させてくれる、
    神の遣わしたメシア、
    神の子キリストでした。
    しかし、神の御子は十字架にかけられて、
    悲惨で惨めな仕方で死んでしまいました。
    神の御心を人々に告げ知らせ、
    神の意志を世に表すために来られた神の御子。
    神の愛を教え、
    憐れみ深く生きることが、
    神の御心に適うことだと説いたイエス様。
    憐れみ深く生きないことこそが、
    神の裁きを招くことだと人々に告げ知らせ、
    互いに赦し合い、愛することこそが、
    神の喜ばれることだと教えた主イエス。
    罪とは、神の願い求める生き方をせず、
    愛と憐れみをないがしろにし、
    平和を作らず、
    自分の欲を第一として、
    人を支配しようとすることだと教えた神の御子。
    その方が十字架で殺されました。
    神の御子は罪深さの中で生きる人々に、
    生き方を変えること、すなわち悔い改めを求め、
    神と共に生きることを説き、
    互いに愛と慈しみを生きる道を示しました。
    だが、主イエスは十字架で殺され、
    この世界から葬り去られました。
    神がこの世界から排除されたのでした。
    イエス様を十字架につけて殺した人々が、
    ほんとうに葬り去りたかったのは、
    イエス様の教えとおこないであったはずです。
    その主イエス、神の御子は十字架で殺されました。
    神が死に、世界は神なき世界となりました。
    しかし、だからといって世界は変わりません。
    劇的な天変地異は起きず、
    闇の帝王が世界に出現することもなく、
    ただいつもと同じ夕暮れが迫るだけです。
    イエス様を十字架につけた者たちは、
    これで一件落着、
    もう誰も自分たちを非難したり、
    自分たちの在り方を裁く者はいない。
    そう信じて勝ち誇り、
    安らかに神殿や会堂へと帰ってゆきます。
    十字架を見上げて死を見届けた、
    二組の人たちがいました。
    一方の人々は十字架で死んだイエス様を見上げて、
    笑い、勝ち誇ってその場を去ってゆきます。
    これで神の御心とやらを説いて回る、
    やっかいな存在はいなくなり、
    神の意志も神の御心も声高に叫ぶ者は無く、
    そういう神はこの世からいなくなった。
    自分たちの好きなように世界を扱うことができる、
    そう考えて意気揚々と引き上げてゆく人々。
    もう一方の人々は、
    十字架で死んだ主イエスを見上げて悲嘆し、
    この世界には神の正義はないのか、
    この世界では憐れみも無力なのかと落胆し、
    この世界の悲惨さに打ちのめされる人々。
    一方の人々は、
    主イエスが十字架の上で死んだ時、
    これでもう神のことなど気にせず、
    神を恐れずに生きられると思い込みました。
    もう一方の人々は、
    神亡き世界の現実を嘆き、
    神を恐れない人々の作る未来を恐れました。
    イエス様が十字架で殺されたからといって、
    神がいなくなったわけではありません。
    しかし、イエス様を葬り去ったことで、
    この世界は神なき世界になったと思い込み、
    あるいは神を気にせずに振る舞うことが、
    ある人々の生き方となりました。
    十字架の下で勝ち誇った、
    あの祭司長や律法学者らがしたように。
    神の御子をこの世から葬り去ること。
    それは今から二千年前のユダヤで、
    一度限り起きたことではありません
    事実、いったいどれほど繰り返して、
    この世界は何度も何度も神を殺し、
    神なき世界にしようとしてきたことでしょう。
    どれほど繰り返し、
    神なき世界を創り出してきたことでしょうか。
    虐殺、暴力、弾圧、迫害、搾取、略奪、
    いじめ、虐待、憎悪、敵意、貪欲、ねたみ、
    形は異なり、手段は異なっても、
    そこには例外なく共通することがあります。
    神なき世界であるかのように、
    人々が振る舞っているという事実です。
    愛を抱かず、憐れみを持とうとせず、
    正義を軽んじ、自分の欲を優先すること、
    それが神なき世界の証ですから。
    いったいどれほど繰り返し、
    世界のあらゆる場所、あらゆる時代に、
    国家であれ、民族であれ、地域社会であれ、
    家族であれ、夫婦間や親子間であれ、
    神が葬り去られてきたことでしょうか。
    神が教え、求めることを無視し軽んじることで。
    事実、無慈悲、冷淡、暴力、抑圧、搾取、
    いじめ、虐待などは、
    神に対する暴力、
    神を葬り去る振る舞いに他なりません。
    神なき世界を喜びとし、
    神を葬り去ろうとし、
    罪の力を解き放つ人々が、
    いったい何度この世界で勝ち誇り、
    勝利者のように振る舞ってきたことか。
    神が葬り去られるこの世界、
    神なきこの世界で、
    わたしたちには何ができるというのでしょう。
    力による対抗手段を取ることでしょうか。
    報復を自分の手でおこなうことでしょうか。
    敵意と憎しみを増幅させることでしょうか。
    それらはどれも、
    わたしたちの内から愛を奪い取り、
    憐れみを忘れさせ、
    正義を力に置き換えることに他なりません。
    それは、神を葬り去ることそのものです。
    だから、わたしたちは無力です。
    十字架の上で主イエスがそうであったように。
    だが、いや、だから、
    わたしたちは祈ります。
    天の御国が来ますようにと。
    だから、わたしたちは祈ります。
    神の御子がこの世に来てくださるようにと。
    そう、神の御子は十字架で殺されました。
    しかし、わたしたちは知っています。
    神の御子は死んで葬られ、
    三日目によみがえられたことを。
    神の御子はこの世界に、
    神なき世界と思われたこの世界に、
    死からよみがえって再び来られました。
    わたしたちはそのことを知り、信じます。
    それは二千年前の出来事でしょうか。
    いいえ。
    神の御子を殺したと考える人々が、
    ほんとうに殺して葬り去りたかったのは、
    主イエスが人々に教え、示した、
    愛を生きることであり、
    憐れみを抱く道であり、
    神の平和を作る生き方をすることであり、
    権力や欲によってではなく、
    正義と公平によって世の中を築くことでした。
    そうであるなら、
    わたしたちが御子キリストを信じて、
    愛を生きようと願い、
    憐れみ深さを抱いて歩み、
    神の平和を作ろうと努力し、
    正義と公平によって世界を形作ろうとするなら、
    今も神の御子はわたしたちをとおして、
    この世に来てくださるはずです。
    だから、わたしたちは祈ります。
    神の御子が我が内に来て、
    我が内に住んでくださいと。
    その祈り、その願いを、
    主イエスは聞き届けてくださいます。
    今も主イエスは聖霊の働きにより、
    霊においてわたしたちの内に来ています。
    神の御子の愛と憐れみ、
    そして神の平和が、

    わたしたちをとおして世に表されるために。


週報より

  • 2022.04.10 週報より抜粋・要約

  • ・先週は皆さまのご協力で
    無事に礼拝が守られました。
    よい礼拝を捧げてくださり、
    ありがとうございました。       
    ・きょうはティータイム後に
    月例教会役員会を開きます。   
    教会役員の皆さまは
    付属館にいらしてください。   
    おもな議題は、
    定例の報告とその承認、
    新年度の予定などです。
    役員会への提案、
    ご意見などがありましたら、
    お知らせください。
    ・きょうは役員会後に
    「モレノ」編集会をおこないます。      
    役員会が一週後ろにずれましたので、
    編集会もずれるはずですが、
    来週は復活祭のため、
    モレノ編集会を開くことができません。
    変則的な編集会になってしまい、
    参加できない方も出てしまいますが、
    今回だけ変則的な仕方で
    編集会をおこなわせてください。
    ・きょうは礼拝のあとで、
    ミニ運動会をします。
    子どもと、気持ちが子どもの人たちが
    参加できます。           
    子どもたちと、
    気持ちが子どもの皆さま、
    どうぞご参加ください。
    ・復活祭のごあんない                  
    今年の復活祭(イースター)は、
    来週4月17日です。
    皆さまと復活祭の礼拝を守ること
    楽しみにしています。
    今年は教会で昼食を用意しますので
    どうぞお楽しみに。
    食事の後、有志の皆さまと
    墓参にまいります。    
    ・イースター献金にご協力ください。
    世界宣教とキリスト教団体への募金、
    教会の働きに用います。


    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。


    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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