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朗読箇所

復活節第4主日

旧約 イザヤ書12:4-6

◆枯れた骨の復活
1 彼はわたしに言われた。「人の子よ、自分の足で立て。わたしはあなたに命じる。」
2 彼がわたしに語り始めたとき、霊がわたしの中に入り、わたしを自分の足で立たせた。わたしは語りかける者に耳を傾けた。
3 主は言われた。「人の子よ、わたしはあなたを、イスラエルの人々、わたしに逆らった反逆の民に遣わす。彼らは、その先祖たちと同様わたしに背いて、今日この日に至っている。
4 恥知らずで、強情な人々のもとに、わたしはあなたを遣わす。彼らに言いなさい、主なる神はこう言われる、と。
5 彼らが聞き入れようと、また、反逆の家なのだから拒もうとも、彼らは自分たちの間に預言者がいたことを知るであろう。


新約 ローマの信徒への手紙1:2-7

◆挨拶
1 キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから、――
2 この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、
3 御子に関するものです。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、
4 聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。
5 わたしたちはこの方により、その御名を広めてすべての異邦人を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました。
6 この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです。――
7 神に愛され、召されて聖なる者となったローマの人たち一同へ。わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。

説教

神に召されているひとりとして

音声を聴く

  • 説教者  石田学 牧師

     

    パウロほどたくさんの手紙を書いた人は、
    おそらく最初の教会では他にいませんでした。
    しかも、ただ手紙を書いたのではなく、
    パウロが書いたのは使徒としての、
    公式な書簡でした。
    現代人が手紙を書くのとはわけが違います。
    今なら切手を貼ってポストに入れるか、
    あるいは現代人はもう、
    文字を手で書くことさえ、滅多にしません。
    ポストなど今の若者には無縁でしょう。
    今の時代、たいていはEメールや、
    もっと手軽な方法でやりとりします。
    パウロの時代は書くための材料を手に入れて、
    それを手書きしなければなりませんでした。
    ほとんどの場合、パピルス紙を買ってきて、
    かまどのススなどが材料のインクで書きます。
    いちばんの問題は、
    どうやってその手紙を届けるかです。
    その点ローマ帝国は便利でした。
    手紙を届ける仕組みがありましたから。
    ただ、それを一般人が使えたかどうかは別です。
    役人や政治家、そして軍人のための制度でした。
    おそらくパウロの手紙は、
    誰かに頼んで運んでもらうか、
    誰かを使者として選んで届けてもらったでしょう。
    ローマの信徒への手紙は、
    誰がローマに届けたかがわかっています。
    手紙の最後で、
    パウロ自身がが手紙を託して届けさせる、
    その人物について書いていますから。
    コリントで書かれた手紙を、
    ローマのキリスト者に届けたのは、
    ケンクレアイ教会の女性聖職者フェベです。
    フェベはコリントからローマまで、
    手紙を持って旅をしたのでした。
    さて、そのようなパウロの手紙ですが、
    ほとんどの手紙は形式に則っています。
    最初に差出人の名前、
    ついで受取人の名前が書かれます。
    差出人について、あるいは受取人について、
    いろいろな説明が書き加えられることもあります。
    でも、たいていの場合、
    「パウロから誰々へ」という形式です。
    ところが、ローマの信徒への手紙は違います。
    差出人は1節、最初にありますが、
    受取人については、7節でようやく書かれます。
    その間には別のことが挟み込まれています。
    では、その間にある2−6節は何でしょうか。
    ここには福音についての説明があるのです。
    ローマにいるキリスト者に対して、
    パウロは何よりもまずはっきりさせたい、
    重要なことがあったからでしょう。
    その、最初に告げるべきだと考えた重要なことが、
    2−6節の部分です。
    二つのことをパウロは、
    ローマの信仰者にどうしても最初に、
    はっきりとさせておきたいと考えたのでした。
    二つのことの第一は、
    「福音とは何か」ということをローマの信仰者に、
    簡潔だが明確に告げることでした。
    福音とは何か。
    パウロははっきり、こう言い切ります。


    この福音は、御子に関するものです。


    このことにこそ、ローマのキリスト教徒が知るべき、
    何にもまして重要なことがありました。
    人はたいていの場合、
    誰でもどこでも、時代を越えて、
    福音すなわち「よい知らせ」が何かを、
    それぞれ自分の願望や世間の常識などに基づいて、
    勝手に考えるものです。
    多くの人は、福音(良い知らせ)とは、
    初詣に行って願うようなことだと思っています。
    安全、成功、大願成就、無病息災、長寿、
    そういったことを願ったり保証されたり、
    手に入れたりできること。
    あるいは貧、病、苦から救われること。
    そうしたことを福音と考えています。
    その点、古代世界も現代もほとんど変わりません。
    だが、そうなのでしょうか。
    福音とはそういうものを手に入れることでしょうか。
    パウロはまったく別のことを福音と呼びます。
    福音とは、御子に関するものだと。
    そのことをこの手紙の最初で宣言するのです。
    福音とは、御子に関するもの。
    この言葉の意味は明らかです。
    キリストを通して受けることのできる恵み、
    キリストを通してしか受けることのない恵み。
    それこそが福音であることを、
    パウロは最初にはっきりと告げるのです。
    キリストを通してしか受けることのない、
    神の恵みとは何か。
    わたしたちは知っているはずです。
    福音とは、神の民としての身分であり、
    キリストを通して受けるものであり、
    罪の赦しと天の国籍が恵みとして与えられること。
    それが福音だということを。
    この点でローマのキリスト者には、
    重大な問題がありました。
    彼らのある者たちが、
    福音にキリスト以外のものを持ち込んだのです。
    キリストを信じることはよいし、必要だ。
    だがキリストだけでは福音として不充分だ。
    律法を守り偶像に捧げた肉を食べてはならない。
    それらを守ることが救いには必要だ。
    そのように教える人々がいました。
    この手紙のもっと後で触れますが、
    ローマのキリスト者の間で互いに、
    何を食べるか何を食べないかで対立し、
    律法を守るか守らないかで裁き合い、
    キリスト者同士が分断されていました。
    本来、御子キリストによる救いと、
    キリストを通して与えられる約束、
    それだけが教会を一つに結ぶ、
    教会の信仰の心臓(ハート)のはずです
    その他のどのようなものも、
    人を裁く根拠にはならず、
    誰かを排斥する理由にはなりません。
    キリストに関するもの以外、
    何であっても、
    教会を一致させることはできず、
    教会を分断する原因ともなりません。
    そういうことがあってはならないということを、
    パウロは信仰的な信念として抱いていました。
    御子に関する福音の根幹に関わることなら、
    教会は時に対立し、
    場合によっては分裂もありました。
    福音の根幹を歪めている人々については、
    異端として排除することもありました。
    しかし、それ以外のいかなる理由も、
    教会を一致させ、あるいは断絶させることは、
    パウロにとってあってはならないことでした。
    たとえば、同じハイソサエティな人々が、
    自分たちの上品な交わりによって、
    教会を一致させるなら、それは間違いです。
    黒人と白人の教会を分けることも、
    それが肌の色や人種でなされるなら、
    パウロは断固反対することでしょう。
    現代でも教会が福音ではないことで一致すれば、
    それは間違いです。
    もし教会が政治的信念や思想で一致するなら、
    それは間違いです。
    もし教会がマジョリティとマイノリティで、
    対立し分かれるなら間違いです。
    性的少数者への差別、貧富の格差などで、
    教会が分断されるなら問題です。
    教会はキリストによる救いの恵みを、
    それだけを福音として信じ、
    それだけを唯一のきずなとして結ばれる、
    神に召された人々の群れだからです。
    第二にパウロが最初に強調することは、
    あなたがたは「異邦人の中にあって召された」
    ということです。
    異邦人という言葉は、
    日本ではよそ者、異国の人といった程度の、
    軽い意味で理解され使われています。
    しかし、本来「異邦人」ということは、
    とても重い意味を持っている言葉でした。
    イスラエルの民が神に選ばれた、
    特別な神の民であるとすれば、
    イスラエルの民以外の人々は例外なくすべて、
    神とは関係の無い民、神にふさわしくない民、
    という意味での異邦人でした。
    事実、神はイスラエルの民を恵みによって選び、
    ご自分の「宝の民」として愛し慈しみ、
    特別な恵みの契約を与えたのでした。
    その意味でイスラエルの民は、
    特別な、神に選ばれた民でした。
    しかし、神がそのようにされたのは、
    イスラエルの民を優越民族とするためではなく、
    特権階級を与えるためでもありませんでした。
    他民族を見下す地位に就かせるためでなく、
    まして異民族すなわち異邦人を差別し、
    汚れた民として排斥するためでもありません。
    皮肉なことに、
    この世的には弱小民族であったヘブライ人、
    後のユダヤ人は多くの場合、
    異邦人から差別され迫害されてきましたが。
    イスラエルの民が神に選ばれ祝福されたのは、
    彼らをとおして神の恵みと祝福が、
    全世界の全ての民、すなわち異邦人らに、
    伝えられ、もたらされるためでした。
    だから預言者イザヤはイスラエルの民について、
    このように高らかに歌いました。


    その日に、あなたがたは言うであろう。
    「主に感謝せよ、御名を呼べ。
    もろもろの民にその業を知らせ
    その名が崇められていることを告げよ。
    主をほめ歌え、主は大いなることをされた。
    これを全地に知らせよ。
    シオンに住む者よ、
    叫び声を上げて、喜び歌え。
    イスラエルの聖なる方は、
    あなたのただ中にいます偉大な方。」
    (イザヤ12:4−6)


    なぜ全世界の全ての民の救い主が、
    イスラエルの民すなわちユダヤ人であったのか、
    その理由は、それが
    最初からの神の約束の実現だからです。
    イエス・キリストの福音が、
    全世界に伝えられ、広められています。
    世界のすべての人は、
    この福音をとおして神に召されています。
    イエス・キリストの福音をとおして、
    ということがすべてです。
    誰も人の働きやおこない、
    自分の能力や獲得したものをとおして、
    神に召され、受け入れられることはありません。
    ただ福音を信じることによって、
    神の恵みのゆえに神に召されたのでした。
    だから、わたしたちは、
    神の前に何も誇るべきものがありません。
    わたしたちはただ、神に感謝を捧げるだけです。
    わたしたちは福音をとおして、
    神の恵みと救いを受け、
    わたしたちは神に賛美と感謝を捧げます。
    ここで一つ、
    わたしたちが忘れてはならない、
    重要なことがあります。
    パウロがそのことをこの手紙の最初に、
    わたしたちに明らかにしています。
    それは、神に召されたことには、
    目的と意味があることです。
    いったい、わたしたちは何のために、
    神に召されているのでしょうか。
    それは、「キリストのものとされるため」です。
    わたしたちは放浪者からキリストに属する、
    神の民とされました。
    わたしたちは罪の奴隷から、
    キリストの僕として仕えるようになりました。
    わたしたちは無国籍の定住者から、
    天に永遠の国籍と持つ、
    神の国を故郷とする旅人とされました。
    わたしたちはいま、キリストのもの。
    クリスチャンという言葉は、
    キリストのものという意味を持っています。
    わたしたちのすべてがキリストのもの。
    そして驚くべきことに、
    この事実は同時に、その逆も真実です。
    キリストのものはわたしたちのものです。
    神の子であるというキリストの身分は、
    わたしたちのもの。
    キリストが神に愛されている子であれば、
    わたしたちも神に愛される神の子。
    キリストが神の恵みに満ちておられるから、
    わたしたちも神の恵みを豊かに受け、
    今この世にあっても神の恵みに満ちて、
    この世を旅しています。
    神に召されているとは、そういうことです。
    神に感謝。



週報より

  • 2022.05.08 週報より抜粋・要約

  • 皆さまのゴールデン・ウィークは
    いかがでしたか。
    好天の日が多く、
    よい日々を過ごされたことと思います。
    すてきな日々のおかげで、
    雑草がすくすくと育ちました。
    来週15日の礼拝後、
    十分間除草をしたいと思います。
    ご協力くださる方は、
    来週よろしくお願いします。   

    ・きょうはティータイム後に
    月例教会役員会を開きます。   
    教会役員の皆さまはよろしくお願い致します。
    おもな議題は毎月の報告事項の
    確認と承認、その他です。
    役員会へのご提案、要望などは
    役員のどなたかにお知らせください。
    役員の皆さまは付属館にいらしてください。

    ・来週は月報『モレノ』編集
    企画会をいたします。
    モレノ・チームの皆さまは
    よろしくお願いいたします。   
    記事を投稿してくださる方は、
    来週までによろしくお願いします。

    ・9月までの教会役割担当表を作成しました。
    係を申し込んでくださった皆さまは、  
    新しい担当表でご担当くださる日を
    確認してください。    
    変更が必要な場合は、
    前後と方と交代してくださるか、
    もしくは牧師にお知らせください。
    変更の場合は、
    会堂後ろの担当表にご記入ください。 


    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。


    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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