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朗読箇所

復活節第2主日

旧約 エゼキエル書37:1−11

◆枯れた骨の復活
1 主の手がわたしの上に臨んだ。わたしは主の霊によって連れ出され、ある谷の真ん中に降ろされた。そこは骨でいっぱいであった。
2 主はわたしに、その周囲を行き巡らせた。見ると、谷の上には非常に多くの骨があり、また見ると、それらは甚だしく枯れていた。
3 そのとき、主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨は生き返ることができるか。」わたしは答えた。「主なる神よ、あなたのみがご存じです。」
4 そこで、主はわたしに言われた。「これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。
5 これらの骨に向かって、主なる神はこう言われる。見よ、わたしはお前たちの中に霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。
6 わたしは、お前たちの上に筋をおき、肉を付け、皮膚で覆い、霊を吹き込む。すると、お前たちは生き返る。そして、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。」
7 わたしは命じられたように預言した。わたしが預言していると、音がした。見よ、カタカタと音を立てて、骨と骨とが近づいた。
8 わたしが見ていると、見よ、それらの骨の上に筋と肉が生じ、皮膚がその上をすっかり覆った。しかし、その中に霊はなかった。
9 主はわたしに言われた。「霊に預言せよ。人の子よ、預言して霊に言いなさい。主なる神はこう言われる。霊よ、四方から吹き来れ。霊よ、これらの殺されたものの上に吹きつけよ。そうすれば彼らは生き返る。」
10 わたしは命じられたように預言した。すると、霊が彼らの中に入り、彼らは生き返って自分の足で立った。彼らは非常に大きな集団となった。
11 主はわたしに言われた。「人の子よ、これらの骨はイスラエルの全家である。彼らは言っている。『我々の骨は枯れた。我々の望みはうせ、我々は滅びる』と。


新約 マタイによる福音書28:11−15

◆番兵、報告する
11 婦人たちが行き着かないうちに、数人の番兵は都に帰り、この出来事をすべて祭司長たちに報告した。
12 そこで、祭司長たちは長老たちと集まって相談し、兵士たちに多額の金を与えて、
13 言った。「『弟子たちが夜中にやって来て、我々の寝ている間に死体を盗んで行った』と言いなさい。
14 もしこのことが総督の耳に入っても、うまく総督を説得して、あなたがたには心配をかけないようにしよう。」
15 兵士たちは金を受け取って、教えられたとおりにした。この話は、今日に至るまでユダヤ人の間に広まっている。

説教

都合の悪い物語

  • 説教者  稲葉基嗣 牧師

     

    教会は、神がイエスさまを通して、
    わたしたち人間に与えた救いの出来事を
    福音と呼んでいます。
    これは良い知らせだ、と。
    ただ、改めて考えてみると、
    この単語だけ聞いてもよくわからないなと感じる言葉です。
    一体何が良い知らせなのでしょうか。
    福音という言葉は事細かにそれを説明はしません。
    人それぞれに良い知らせは違うでしょうから、
    福音という言葉だけを聞いても、
    何も心に届きませんし、
    当然、何も心に響くものはありません。

    福音という言葉は、
    ギリシア語ではエウアンゲリオンといいます。
    わたしの前後の世代だと、この言葉の響きは、
    アニメ、エヴァンゲリオンの方を
    思い起こす方のほうが圧倒的に多いと思います。
    日本では、そうかもしれませんが、
    新約聖書で描かれている時代ではどうだったでしょうか。
    エウアンゲリオン、福音という言葉を聞いて、
    当時の人びとが良い知らせだすぐに連想したのは、
    ローマ皇帝のもとに子どもが生まれたこと、
    つまり、新しいこの世界の支配者が誕生することでした。
    また、その子の成人や、その子が新しい皇帝に即位すること、
    皇帝の演説や命令、戦いでの勝利の知らせはすべて、
    エウアンゲリオンとして理解されました。
    ローマの皇帝の導きの下で、
    ローマ帝国全体に平和と幸福が実現すると
    信じられ、受け止められていたからです。

    もちろん、新約聖書が告げる福音は、
    ローマ皇帝を喜ぶことではありません。
    ローマ皇帝を喜ぶことが当たり前の世界で、
    新約聖書は良い知らせは皇帝によってではなく、
    イエス・キリストを通して、
    神からもたらされたと宣言しています。
    ですから、新約聖書は皇帝の誕生ではなく、
    この世界を支配される王である方として、
    イエスさまが誕生したことを
    良い知らせとして喜びます。
    皇帝の演説や命令ではなく、
    イエスさまの語られた言葉にこそ、
    わたしたちにとっての導きの光があると
    新約聖書は宣言しています。
    そして、ローマ帝国が戦いに勝利したことよりも、
    イエスさまが死者の中からよみがえり、
    人類の最大の敵である、死に勝利されたことを喜びます。
    こうやって考えてみると、
    イエスさまを通して神がもたらした良い知らせって、
    この世界を支配する人たちにとっては、
    かなり都合の悪い知らせだったのだなと思わされます。
    喜びも、平和も、将来への希望も、この世界を治める権威も、
    皇帝ではなく、イエスにこそあると宣言しているのですから。
    そして、この世界を支配する
    ほんの一握りの人たちの支配は過ぎ去り、
    イエスさまこそがこの世界の王として訪れたというのですから。
    自分の権力や地位が過ぎ去ってしまうなんて、
    支配者たちにとっては悪い知らせです。

    きょうの福音書の物語に登場する、
    祭司長や長老と呼ばれる、
    ユダヤの宗教指導者たちにとっても、
    イエスさまの周辺で起こったこれまでの出来事と、
    イエスさまが復活したという知らせは、
    とても都合が悪いものだったようです。
    彼らはとにかく、
    イエスさまのことや、イエスさまの語る教えを拒絶し、
    その教えが広がることを恐れていました。
    イエスさまの存在そのものが彼らにとって不都合でした。
    ですから、銀貨を払って、イエスさまの身柄を押さえ、
    イエスさまを十字架にかけて殺しました。
    でも、まだ安心しきれません。
    死んだ後よみがえると
    イエスさまが語っていたことを思い出して、
    墓を兵士たちに守らせました。
    弟子たちがイエスさまの身体を盗んで、
    「イエスがよみがえった!」と言い出さないように。
    でも、兵士たちはその役目を果たすことが出来ませんでした。
    天使が現れて、倒れて、気を失ってしまっていたのですから。
    天使が現れたことは、
    明らかに、神がイエスさまを通して働かれている証拠でした。
    イエスは本当に復活してしまったのかもしれない。
    そう感じさせるだけの出来事であり、
    それを証言する彼らの言葉も真実味を帯びていたのでしょう。
    だから、長老たちと祭司長たちは
    兵士たちからの報告を聞いたとき、
    この事実を隠そうとします。
    別の物語をでっち上げます。
    兵士たちが寝ている間に、
    弟子たちがイエスの身体を盗んだ、と。
    これって、長老たちと祭司長たちが
    最初に防ごうとしたことですね。
    最悪な結果よりは、ましだと思ったのでしょう。
    どちらであっても、弟子たちによって、
    イエスさまの復活が広められてしまいます。
    でも、身体を盗んだ弟子たちが、
    主イエスはよみがえられた!と言い回る、というシナリオのほうが、
    まだ信憑性が低いように思えたのでしょう。
    このようにして、彼らは、自分たちにとって都合の悪い物語を、
    賄賂を用いて、たくさんの銀貨を用いて、
    どうにかして自分たちにとって都合の良い物語へと書き換えて、
    その偽りの物語を周りに広めていきました。
    何だか、やっていることは現代の人びととあまり変わりませんね。
    お金を用いるかどうかはさておき、
    自分にとってできる限り都合の良い物語を広め、
    自分の評判を良くしたい。
    都合の悪い物語は、どこかに封印しておきたい。
    そんな人間の罪深い姿が垣間見える物語です。
    でも、長老たちや祭司長たちの都合に合わせて作られた物語は、
    彼らが事実を隠そうと試みて、賄賂を兵士たちに渡したことも含めて、
    ユダヤ人の間で広がってしまいました。
    そして、イエス・キリストがよみがえられたことを告げる物語が、
    彼らにとって不都合だった、隠し通したかった出来事が、
    世界中へと広まってしまいました。
    結局のところ、彼らの試みは失敗に終わりました。

    ところで、福音って、誰にでも都合の悪い物語なのでしょうか。
    たしかに、この世の支配者にとっては、
    都合の悪い物語なのかもしれません。
    天の国は、この世界の富や名誉が継続する場所ではないのですから。
    現状維持を好む人たちにとって、
    イエスさまによって神がわたしたちに与えた良い知らせは、
    都合の悪い物語なのかもしれません。
    神は、わたしたちに様々に語りかけるのですから。
    立ち止まり、同じ場所にとどまりたいのに、
    行け、旅立てと言われることだってあるのですから。
    主導権を握って、自分で物事を動かしていきたい人たちにとっても、
    都合の悪い物語かもしれません。
    もっと働きたいときに、
    静まれと言われたりすることがあるのですから。
    また、自分だけの利益を求めて戦いたいときに、
    和解を勧められたり、
    持っているものを手放すことを
    強いられたりすることがあるからです。
    たしかに、福音はわたしたちにとって
    不都合なことを告げる物語なのかもしれません。
    その最たるものは、罪の指摘でしょう。
    イエスさまを通して与えられている良い知らせは、
    わたしたち人間が罪深い生き方から、
    神のみ心から離れた状態から、
    本来あるべき姿に回復されるということです。
    嬉しい知らせである反面、
    ある意味でそれは現状を否定されることです。
    わたしの今の状態が悪い状態だって?
    罪深い状態だって?
    神の思いから遠ざかった生き方をしているだって?
    そんなふうに、反発したくなりますし、
    入ってもいない檻に入れられるような感覚さえ覚えます。
    そう考えると、主イエスにある福音は、
    誰にでも都合の悪い物語として届く可能性があるといえるでしょう。
    耳をふさぎたくなる神の言葉が
    良い知らせとして届くことだってあるのです。

    でも、そんな都合の悪さに勝って、
    イエス・キリストにある福音は、
    わたしたちに喜びと希望を告げる物語です。
    天の国は、ほんの一握りの人のためのものではなく、
    あなたのためのものだと、神はわたしたちに向かって、
    いや、すべての人々に向かって語りかけています。
    この地上で手に入れたすべてのものを最後には失って、
    わたしたちは死の瞬間を迎えるのかもしれません。
    けれども、神がわたしたちを招いておられる天の国において、
    神はこの地上でわたしたちが得るものに
    遥かにまさるものを与えようとしておられます。
    悲しみに暮れる時、
    嘆きで心が満ちる時、
    自分の抱える罪の深さや、人間の醜さに悩まされる時、
    同じ信仰をもって、悩みを分かち合ながら、
    この地上を旅する仲間がいることをイエスさまは告げています。
    何よりも「わたしが共にいる」と、
    イエスさまはわたしたちに語りかけてくださっています。

    時々、わたしたちが良い知らせと受け止めている福音は、
    都合の悪い物語として、みなさんのもとに届くかもしれません。
    でもどうか、それにもまさる幸いが福音にあることに目を留め続けて、
    この地上での信仰の旅路を
    みなさんが歩み続けていくことができますように。
    ときには、一緒に神と共に歩む幸いを分かち合いながら、
    またときには、心に感じた不都合さを共に分かち合いながら、
    わたしたちはこの旅を続けていきましょう。
    神の言葉を聞く時にわたしたちが感じる不都合さを乗り越えて、
    神の憐れみが、わたしたちに働きかけ、わたしたちを包み込むと、
    わたしは強く信じています。
    どうか、神の恵みと憐れみがみなさんと共にありますように。

週報より

  • 2023.04.16 週報より抜粋・要約

  • ① 暖かくなり、除草が必要な時期になってきました。
    来週から礼拝後の10分間除草を再開します。隔週で行います。
    また、定期的に教会の庭や花壇のお手入れに来てくださる皆さん、
    いつもありがとうございます。

    ② きょうはティータイムの後、モレノ編集会を会堂横の部屋で開きます。
    モレノ・チームの皆さまはよろしくお願いします。
    モレノ・チームに加わらずに、単発での参加も大歓迎です。
    モレノ5月号の製本は、土曜日午後2時から予定しています。

    ③ 教会の電話番号が新しくなりました。
    090-8924-7249 が新しい教会の番号です。
    ご登録よろしくお願いします。
    教会の電話は基本的には持ち歩かず、牧師室に置いておきます。
    電話対応が可能な時間は平日と日曜日の9時〜14時頃です。
    それ以外の時間は教会のメールアドレスにご連絡ください。
    緊急時は、教会員名簿に掲載されている
    基嗣牧師の携帯番号へお電話ください。

    ④ 礼拝係とチームに加わってくださる方を募集しています。
    イベント、モレノ、アッシャーに協力してくださる方が
    もう少しいてくださると助かります。
    礼拝の係とチームは、いつから入っても、いつ抜けても大丈夫です。
    ご協力いただける方は、4月中に申込みをよろしくお願いします。



    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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