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朗読箇所

復活節第4主日

旧約 アモス書3:9-4:3

◆サマリアの滅亡
9 アシュドドの城郭に向かって
エジプトの地にある城郭に向かって告げよ。サマリアの山に集まり
そこに起こっている狂乱と圧政を見よ。
10 彼らは正しくふるまうことを知らないと
主は言われる。彼らは不法と乱暴を城郭に積み重ねている。
11 それゆえ、主なる神はこう言われる。敵がこの地を囲み
お前の砦を倒し、城郭を略奪する。
12 主はこう言われる。羊飼いが獅子の口から二本の後足
あるいは片耳を取り戻すように
イスラエルの人々も取り戻される。今はサマリアにいて豪奢な寝台や
ダマスコ風の長いすに身を横たえていても。
13 万軍の神、主なる神は言われる。聞け、ヤコブの家に警告せよ。
14 わたしがイスラエルの罪を罰する日に
ベテルの祭壇に罰を下す。祭壇の角は切られて地に落ちる。
15 わたしは冬の家と夏の家を打ち壊す。象牙の家は滅び、大邸宅も消えうせると
主は言われる。

4篇
◆サマリアの女たち
1 この言葉を聞け。サマリアの山にいるバシャンの雌牛どもよ。弱い者を圧迫し、貧しい者を虐げる女たちよ。「酒を持ってきなさい。一緒に飲もう」と
夫に向かって言う者らよ。
2 主なる神は、厳かに誓われる。見よ、お前たちにこのような日が来る。お前たちは肉鉤で引き上げられ
最後の者も釣鉤で引き上げられる。
3 お前たちは次々に、城壁の破れから引き出され
ヘルモンの方へ投げ出されると
主は言われる。


新約 マタイによる福音書6:19-21

◆天に富を積みなさい
19 「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
20 富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
21 あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」

説教

噛みつかれてしまった!

  • 説教者  稲葉基嗣 牧師

     

    預言者アモスが活動したのは、
    イスラエルの北王国が政治的にも、
    経済的にも成功していた時代でした。
    イスラエルを取り囲んでいた周辺の国がかつてほど力がなく、
    自分の国のことに集中する必要があったため、
    北王国は貿易や政治に集中することができました。
    国の領土も、あの理想の王である
    ダビデやソロモンが治めていた頃のように広がりました。
    ヤロブアム2世という名の王は長い期間、国を治め、
    北王国の政治も安定していました。
    なので、もしも旧約聖書が否定的に描かなければ、
    この時代は良い時代と評価されたかもしれません。

    でも、北王国が経済的に、政治的に繁栄しているその影で
    多くの人びとが苦しんでいる事実に気づき、
    預言者アモスは声を上げました。
    アモスは、北王国の都サマリアに向かって語ります。
    けど、はじめは直接サマリアに向かってではなく、
    アシュドドとエジプトに向かって
    呼びかけることからはじめました。
    アシュドドは、海の民といわれたペリシテ人たちの町です。
    ペリシテ人は、かつてイスラエルの民を苦しめた民族です。
    エジプトもそうです。
    イスラエルの民はかつて、エジプトで奴隷でした。
    そんなペリシテとエジプトに向かって、
    アモスは呼びかけます。
    サマリアでのすさまじい騒ぎと
    そこで行われている圧政を見なさい、と(3:9)。
    イスラエルの民はペリシテやエジプトから受けていた
    かつての苦しみからは解放されているはずです。
    けれども、イスラエルの民は苦しみ続けていました。
    今度は、ペリシテやエジプトが原因ではありません。
    自分たち自身です。
    サマリヤの都の中に、自分たち自身の中に、
    自分たちを苦しめる原因はありました。
    アモスの言葉が積み重なると、
    徐々にその理由がわかってきます。
    アモスの言葉のターゲットは、
    明らかに、北王国のほんの一握りの人たちです。
    経済的な繁栄によって、生活が更に豊かになり、
    贅沢品に囲まれて暮らしていた人たちです。

    なぜ彼らがターゲットにされたのでしょうか。
    経済的な成功が罪深いから?
    神がお金を嫌っているから?
    贅沢は悪いことで、もっとシンプルな生活をすべきだから?
    そういうわけではありません。
    問題であったのは、ほんの一握りの上層階級の人たちが、
    自分たちの生活が裕福になったのにも関わらず、
    北王国で暮らすその他の大多数の人たちの生活を
    踏みにじってきたからです。
    この時代、イスラエルの社会の大多数は農民でした。
    そんな彼ら、農民たちの生活は実に不安定なものでした。
    不作が続いたら、種を買えなくなってしまいます。
    種を買うためのお金がなくなってしまったら、
    やむを得ず自分の土地を売って、種を手に入れました。
    そして、地主から土地を借りて、
    何とか生活を続けなければなりませんでした。
    そのようにして、持つ者が更に持ち、
    豊かな者が更に豊かになり、
    多くの人たちからは資産が奪われていきました。
    そんな搾取のシステムが
    北王国の中で、神の民の間で出来上がっていました。

    北王国の上流階級の人びとが手に入れた資産や裕福さは、
    北王国の農民たちの犠牲のもとで成り立ったものでした。
    だから、アモスは言いました。
    「彼らは暴力と略奪を
    城郭に積み重ねている」(3:10)。
    アモスのこの言葉は、
    北王国の中心部に集められている彼らの財産を
    比喩的に表現しているのでしょう。
    彼らの財産は、まさに、多くの人たちから搾取した結果であり、
    経済的な暴力を積み重ねた結果でした。
    そんな彼らは、おそらく貿易で手に入れた
    長椅子に快適に腰掛け、寝台に横たわりました。
    そこには獅子、つまりライオンの姿が
    装飾の一部として付けられていたようです。
    ライオンは権力の象徴でしたから、
    ライオンのように力強い神の保護を期待して、
    神の名の下に自分たちの権力や地位や生活が安定することを願って、
    彼らは椅子に座り、寝台に横たわりました。

    そういえば、ライオンや獅子という言葉、
    どこかで耳にしましたね。
    ライオンと神を結びつけることは、
    アモスのお気に入りの比喩表現の方法です。
    信頼して、経済的な繁栄を味わい、横になっていたら、
    ライオンに噛みつかれてしまった!
    残るのは、口と片耳だけ。
    何ともゾッとする表現です。
    そして、何とも皮肉な結末です。
    ライオンの守りの中にあると信じていたのに、
    ライオンに噛み殺されてしまうのですから。

    ただ、12節に記されているこの比喩で、
    噛み殺されてしまう羊がイスラエルなのは明らかなのですが、
    噛み付くライオンが誰なのか、
    またライオンの口から羊を救い出す
    羊飼いが誰なのかはわかりません。
    ライオンが神ならば、
    誰がイスラエルをその裁きから救い出すのでしょうか。
    神の前では人間は無力です。
    誰も助け出せないから、
    結局残ったのは身体の一部なのかもしれません。
    もしも神の裁きから
    イスラエルを助け出せる人びとがいるならば、
    そのような人たちこそが、
    まさに神に選ばれた民と呼べるのかもしれません。
    自分たちは神に選ばれた民だと考えていた
    イスラエルの民は、一体どんな顔をして
    その光景を見ればよいのでしょうか。
    また、もしも羊飼いが神ならば、
    ライオンは彼らが信頼している
    その経済的な豊かさなのかもしれません。
    律法には、羊飼い自身が誤って羊を失ったり、
    盗んだりしたのではなく、
    肉食動物に襲われて羊が食べられてしまったのならば、
    その証拠として羊の一部を提示しなければいけない
    というものがあります(出エジプト記22:9−12)。
    だから、もしも羊飼いが神ならば、
    神はイスラエルがライオンに噛み殺されることに対して、
    自分は何の責任もないとさえ言っていることになるでしょう。
    いずれにせよ、とても強烈なイメージを
    アモスは北王国の人びとに突きつけています。

    アモスがこのような強烈な言葉を語ってまで
    北王国の人びとに伝えたかったこととは何だったのでしょうか。
    それは、経済的な豊かさや贅沢さは、
    本質的には人を守ることができないということです。
    たしかに経済的なゆとりや豊かさは、
    人の心や生活を豊かにします。
    でも、その手元にある豊かさの背後に
    誰かの苦しみや涙があるならば、
    その贅沢さの背後に搾取があるならば、
    財産を蓄えることは、
    本質的には暴力と略奪を積み重ねていることです。

    これって、現代社会で生きるわたしたちにとっても、
    とても挑戦的な言葉に聞こえてきます。
    わたしたちは普段の生活では、
    目に見えて、わかりやすく
    誰かを搾取しているわけではありません。
    でも、日々購入するものの背後で、
    不当に誰かを搾取してしまっているかもしれない。
    気づかない間に、現代の社会が築いているシステムによる
    その暴力に加担してしまっているのかもしれない。
    考えすぎると、何も買うことが出来なくなってしまうほどに、
    アモスの言葉は、痛いほどに現代社会と
    そこで生きるわたしたちを批判する言葉です。
    わたしたち自身も財産を積み重ねることによって、
    暴力と略奪を積み重ねている可能性があるのですから。
    わたしたちが生きる社会が
    誰かにとっての暴力と略奪を
    積み重ねている可能性が常にあるのですから。

    ああ、でも、どうやってわたしたちは
    このアモスの言葉に対して、
    真摯に耳を傾けることができるのでしょうか。
    この世界に宝を積もうとする時、
    知らず識らずのうちに暴力を積み重ねてしまう。
    いや、ただ平安に日々生きていきたいだけなのに、
    その日常が誰かにとっての暴力や略奪にさえなってしまう。
    そんなわたしたちに向かって、
    「天に宝を積め」と
    イエスさまは語りかけました。

    神にとっての宝は、わたしたちが
    この地上でどれだけ成功したかではありません。
    わたしたちがどれだけこの地上で富を得たかでもありません。
    むしろ、わずかなものかもしれないけど、
    わたしたちの手元にあるもので
    どれだけ共に生きる人たちを愛することが出来たか。
    わたしたちの手元にあるもので
    憐れみや愛を抱いて、
    どれだけ苦しむ人に手を差し伸べることが出来たか。
    イエスさまが願った天に宝を積むって、
    そういうことだと思います。
    わたしたちがどれだけ持っているかは関係ありません。
    どれだけのものを持っているのかにかかわらず、
    わたしたちは天に宝を積んでいくことが出来るのですから。

    天に宝を積むことを通して、
    イエスさまは天にわたしたちの心を置くように勧めます。
    わたしたちは、天に向かって旅をしているからです。
    もしも、地上にばかり宝を積んでいたら、
    ここから離れることができません。
    もしも、地上に宝を積むことばかりに執着していたら、
    それはいずれ、暴力や略奪へと変わってくるとアモスは叫びます。
    天に向かって歩むことができず、
    最終的には、地上の富に噛みつかれてしまう
    そんな結末になってしまうぞと、アモスは警告します。
    もちろん、生活していく上で、
    財産を蓄えることはどうしても必要なことです。
    自分のために、家族のために、愛する人のために、
    わたしたちは財産をこの地上に積んでいきます。
    でも、わたしたちは暴力に加担したり、
    誰かを不当に傷つけたり、破綻させる形で
    地上に財産を積む道は選びません。
    選びたくありません。
    同時に、この地上のあらゆるものに
    過剰に心を奪われたくないから、
    天に、神のみもとに心を向けることを忘れたくないから、
    わたしたちは天に宝を積むことを選んでいきます。

    そんな旅に、みなさんは招かれています。

週報より

  • 2023.04.30 週報より抜粋・要約

  • ① モレノ・チームよりお知らせ。
    モレノ5月号に原稿を寄稿してくださったみなさま、
    写真を投稿してくださったみなさま、ありがとうございました。
    6月号の原稿と写真を募集しています。
    原稿や写真はモレノ・チームのメンバーか基嗣牧師まで。
    データでの寄稿は、oyamanazarene@gmail.com で受け付けています。

    ② 来週は月例教会役員会です。
    役員の皆さまはよろしくお願いいたします。
    おもな議題は、教会の備品の確認や牧師就任式についてです。
    教会役員会で話し合ってほしいことがありましたら、
    基嗣牧師か教会役員にお知らせください。

    ③ 平原知之先生、セニー先生からニュースレターが届いています。
    横の部屋の掲示板に掲示してありますのでご覧ください。
    タイでの宣教のために覚えてお祈りください。
    また、平原先生たちの働きのためにサポートをしていただける方は、
    牧師までお知らせください。

    ④ 先週27日(木)に宮城周子(ちかこ)牧師の葬儀がおこなわれました。
    今月25日(火)に嵯峨教会の牧師の宮城周子先生が天に召されました。
    葬儀は石田学先生の司式で嵯峨教会の関係者のみでおこなわれました。
    嵯峨教会の方々と宮城先生のご友人の上に神さまの慰めを祈ります。
    嵯峨教会のこれからの歩みのためにも覚えてお祈りください。


    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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