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朗読箇所

三位一体後第4主日

旧約 アモス書8:4-14

◆商人の不正
4 このことを聞け。貧しい者を踏みつけ
苦しむ農民を押さえつける者たちよ。
5 お前たちは言う。「新月祭はいつ終わるのか、穀物を売りたいものだ。安息日はいつ終わるのか、麦を売り尽くしたいものだ。エファ升は小さくし、分銅は重くし、偽りの天秤を使ってごまかそう。
6 弱い者を金で、貧しい者を靴一足の値で買い取ろう。また、くず麦を売ろう。」
7 主はヤコブの誇りにかけて誓われる。「わたしは、彼らが行ったすべてのことを
いつまでも忘れない。」
8 このために、大地は揺れ動かないだろうか。そこに住む者は皆、嘆き悲しまないだろうか。大地はことごとくナイルのように盛り上がり
エジプトの大河のように押し上げられ
また、沈まないだろうか。

◆終わりの日
9 その日が来ると、と主なる神は言われる。わたしは真昼に太陽を沈ませ
白昼に大地を闇とする。
10 わたしはお前たちの祭りを悲しみに
喜びの歌をことごとく嘆きの歌に変え
どの腰にも粗布をまとわせ
どの頭の髪の毛もそり落とさせ
独り子を亡くしたような悲しみを与え
その最期を苦悩に満ちた日とする。
11 見よ、その日が来ればと
主なる神は言われる。わたしは大地に飢えを送る。それはパンに飢えることでもなく
水に渇くことでもなく
主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。
12 人々は海から海へと巡り
北から東へとよろめき歩いて
主の言葉を探し求めるが
見いだすことはできない。
13 その日には、美しいおとめも力強い若者も
渇きのために気を失う。
14 サマリアの罪にかけて誓う者ども
「ダンよ、お前の神は生きている。ベエル・シェバよ
お前の愛する者は生きている」と言う者どもは
倒れて再び立ち上がることはない。


新約 ヘブライ人への手紙4:8-11


8 もしヨシュアが彼らに安息を与えたとするのなら、神は後になって他の日について語られることはなかったでしょう。
9 それで、安息日の休みが神の民に残されているのです。
10 なぜなら、神の安息にあずかった者は、神が御業を終えて休まれたように、自分の業を終えて休んだからです。
11 だから、わたしたちはこの安息にあずかるように努力しようではありませんか。さもないと、同じ不従順の例に倣って堕落する者が出るかもしれません。

説教

安息日はいつ終わる?

  • 説教者  稲葉基嗣 牧師

     

    からだを休めることの大切さは、
    誰もが知っていることです。
    休むことなく、眠ることなく、
    機械のように働き続けることは誰にもできません。
    疲れがたまるとミスが増えますし、
    考えもまとまらなくなります。
    からだや心の調子を崩しやすくなります。
    からだを休めず、忙しくし続けると、
    大切な人との時間さえ取れなくなってしまいます。
    そんなことわかっているのに、
    悲しいことに、現代社会は
    ますます休みにくくなっているようにも思えます。
    インターネットやスマートフォンは
    わたしたちの生活やコミュニケーションを便利にしました。
    でも、いつでも人と関わることが出来てしまいます。
    場所も時間も問わずに、いつでも仕事が出来てしまいます。
    だからこそ、適度に、適切に休むことは
    わたしたちが現代社会で生きる上でとても大切なことです。
    でも、休むことについて
    調べてみるときに大抵出会うのは、
    次の仕事に着実に取り組み、
    しっかりとした成果を出すために
    休むことは大切なのだといった声です。
    そのような声にとって休むことは、
    長く、より効率よく働き続け、
    何か良い成果を出し続けるためのコツです。
    休みをうまく利用してリフレッシュして、
    何か良いものを生み出さないと、
    わたしたちには何の価値も
    残らないかのように感じてしまいます。

    でも、聖書が語る休みは、
    現代社会が声高に叫ぶこのような声とは
    まったく違う方向を向いています。
    安息日という7日に1度の休みを
    聖書は紹介しています。
    日本語で読むと、まさに休む日ですね。
    でも、安息日は単なる休む日とは違います。
    ヘブライ語ではシャバット。
    「止まる」「停止する」という意味です。
    つまり、神は安息日という日を通して、
    すべての人に向かって
    立ち止まるようにと招いているのです。
    働き続け、成果を出し続けるために、
    休みを利用する現代社会にとって、
    とても挑戦的な日といえます。
    聖書において紹介されている安息日はまるで、
    立ち止まることそのものに
    大きな意味があると伝えているかのようです。

    立ち止まることを通して、
    イスラエルの民はふたつのことを思い起こしました。
    ひとつは、自分たち人間が神に造られ、
    いのちを与えられていることです。
    旧約聖書の最初の書である創世記1章は、
    6日間かけて神がこの世界を造り、
    7日目に神は休んだという、
    天地創造の物語を紹介しています。
    この世界にいのちを与えた神が
    わたしたち人間に必要だと考えたリズムが、
    6日動いて、1日立ち止まるというリズムでした。
    神は、7日目にご自分が造った世界の美しさを
    見て、喜び、楽しみました。
    神がこの世界のすべてを喜び、
    その素晴らしさを味わったように、
    わたしたち人間にも神の創造のわざを
    いのちに溢れるこの世界を、
    自分自身の存在を
    喜び、味わってほしいと願ったから、
    神は7日目に立ち止まることを
    安息日を通して提案しました。
    6日間の間に忘れてしまいがちな
    いのちの豊かさと尊さをわたしたちが思い起こすために。
    神がつくったこの世界の美しさや
    神によって造られた自分自身や
    ともに生きるすべての人たちの存在や
    その命の豊かさを喜び、味わうために。
    そのために、イスラエルの民は、
    安息日を守り続けました。

    イスラエルの民が立ち止まることを通して
    思い起こしたもうひとつのことは、
    あらゆる人間が、誰一人欠けることなく平等であることです。
    社会的立場や性別や仕事の内容にかかわらず、
    あらゆる人々が平等に立ち止まる日が安息日でした。
    奴隷も、その主人も、
    王も、その家来も、
    立場に関係なく、誰もが立ち止まり、
    誰もが同じ期間休んだ日が安息日でした。
    立ち止まり、休む機会を得るための条件はありません。
    どれほどお金を積んでも、
    どれほど社会的に重要な立場に立っていたとしても、
    その期間を短くしたり、長くしたりすることはできません。
    完全に平等な休みの日でした。
    普段の6日間の日常の中では
    不平等な人間の社会に、
    安息日は誰もが平等に休み、
    誰もが立ち止まる時間をもたらしました。
    ですから、この日は、
    あらゆる搾取から誰もが解放されて、
    すべての人の尊厳の回復が目指されるべき日でした。

    そう考えると、さきほど読んだアモス書に記されている
    商売人たちの言葉には衝撃を受けてしまいます。
    彼らは、安息日はいつ終わるのかと口を揃えて訴えました。
    もちろん、実際に訴えているわけではありません。
    彼らの考えをアモスが代弁して、
    「君たちの態度や生き様はこういうことだよ?」
    と伝えているのです。
    彼らが安息日が早く終わるのを望んでいる理由は、
    早く商売がしたかったからです。
    早く仕事に戻りたかったからです。
    それはある意味では、
    良いこととも言えるかもしれません。
    わたしたちは、それぞれに形は違えど、
    この世界やそこで生きる誰かのために
    仕えて生きるようにと促されているわけですから。

    でも、安息日が早く終わって、
    早く自分の仕事に戻りたいと願っている
    彼らの動機はたくさんの人々に仕えて、
    多くの人の喜びをこの世界にもたらしたい
    といったものではありませんでした。
    むしろ、その逆です。
    彼らの大きな動機は、
    弱い人々から更に搾取して
    彼らを更に苦しめたいというものでした。
    麦を計る器を通常より若干小さくして、
    たとえば、1kg/2,000円と表記されているのに、
    2000円で950gしか買えないようにして、
    お金を必要以上に騙し取ろうと彼らはしていました。
    貧しい人たちほど、
    このような不正に苦しんだに違いありません。
    「安息日はいつ終わるのか?」と問いかけた彼らは、
    安息日が終わって、また再び、
    搾取や不正をすることが
    当たり前の日常に早く戻りたいと願っていました。
    アモスが彼らの言動を強く批判するのは、
    このような理由からでした。
    彼らのこのような考え方は、
    安息日が伝える立ち止まることの意味から、
    遠く離れているものだと思います。
    安息日は、すべての人の命の尊さを
    思い起こす日だったのではないでしょうか。
    また、安息日は、すべての人の平等が
    この社会で実現するのを
    願う日だったのではないでしょうか。
    確かに、彼らは安息日を守ってはいました。
    でも、安息日に休み、神を礼拝していたとしても、
    この日に思い起こすべき神の思いに
    耳を傾けずにいたのが彼らの現実でした。
    「安息日はいつ終わるの?」
    まさにこの言葉は、
    安息日を単なる制度のひとつに貶め、
    そこに込められた意味などには
    決して耳を傾けようとしない
    北王国で商売をしていた人々の姿勢が
    よくわかる言葉ですね。

    きょう、わたしは説教題を
    「安息日はいつ終わる?」と付けました。
    いつ終わるのでしょうか?
    金曜日の日没から、
    土曜日の日没までが安息日ですね。
    キリスト教会は、安息日は守っていないので、
    もしかしたら、あまり関係のない問いなのかもしれません。
    でも、実はそうではありません。
    きょうは新約聖書からヘブライ人への手紙を読みました。
    著者は「安息日の休みは、
    神の民にまだ残されています」(ヘブライ4:9)
    と語っています。
    わたしたちは信仰の旅路において、
    安息日の休みの終わりではなく、
    安息日の休みのその始まりに向かっていると、
    この手紙はわたしたちに伝えています。
    著者が語るのは、
    7日ごとの安息日のことではありません。
    わたしたちの信仰の旅路の終わりに訪れる、
    神のもとで安息する日のことを指しています。
    天の御国においてこそ、
    安息日に込められた事柄は実現するからです。
    天の御国においてこそ、
    神に与えられたいのちを
    お互いに心から喜べる日が来ると
    わたしたちは信じています。
    天の御国においてこそ、
    この社会で苦しんだ搾取や不平等は過ぎ去り、
    お互いに対等な存在としてすべての人と出会えると
    わたしたちは信じ、待ち望んでいます。

    なるほど。
    そう考えると、「安息日はいつ終わるの?」
    という問いは間違っているのかもしれませんね。
    天の御国において実現する安息が
    完全に終わって欲しくなどありませんしね。
    このような安息に向かって歩んでいる
    わたしたちにとっては、
    「安息日はいつ始まるの?」
    という問いこそ重要なのでしょう。
    安息日はいつ始まるのでしょうか。
    ヘブライ人への手紙の言葉から考えるならば、
    安息日は天の御国において始まるといえるでしょう。
    それは喜ばしい回答ですし、前向きな回答です。
    でも、ある意味では後ろ向きな回答です。
    この世界でその安息は実現しない
    という諦めとも取れるからです。
    わたしたちは毎週の礼拝で
    一緒に祈り続けていることがあります。
    それは、神の思いが天でなされるように、
    地にも神のみこころが実現するようにという祈りです。
    安息日が告げる喜びが完全に実現する日は、
    天の御国においてなのかもしれません。
    でも、わたしたちは諦めません。
    今よりも、少しでも、
    お互いのいのちを踏みにじることなく、
    お互いのいのちを尊び、喜ぶ日が
    この地上で訪れることを願い続けます。
    今よりも、少しでも、
    立場や境遇や文化や言葉やあらゆる壁を乗り越えて、
    お互いに親しく語り合う日が訪れることを願い続けています。
    神がそんな未来を実現してくださることを願いながら、
    わたしたちはこの信仰の旅路を歩んでいます。
    神にあって、いのちの尊さを喜び、
    あらゆる人たちが平等に語り合える、
    そんな安息日のはじまりを目指して、
    わたしたちはこの信仰の旅を歩み続けていきましょう。

    「安息日はいつ始まるのですか?」と問いかけながら。

週報より

  • 2023.07.03 週報より抜粋・要約

  • ① 先週はクリーンアップ・デイでした。
    みなさまのご協力ありがとうございました。
    ② きょうの礼拝後、有志の方による10分間除草をおこないます。
    ご協力よろしくお願いいたします。

    ③ きょうの礼拝後、10分間除草の後に月例役員会をおこないます。
    教会役員のみなさまはよろしくお願いいたします。
    おもな議題は、こども1日キャンプとクリスマス関連についてです。
    役員会で話し合ってほしいことがある方は、
    牧師または役員までお知らせください。

    ④ 来週の礼拝後にメディア・チームのミーティングをおこないます。
    メディアチームのみなさまはよろしくお願いします。
    どんな内容か興味がある方の参加や単発のみの参加も大歓迎です。

    ⑤ 来週は礼拝後に月報モレノの編集会もおこなう予定です。
    原稿の締切は来週の日曜日です。
    みなさまのご寄稿をお待ちしています。
    絵、写真、原稿など、なんでも、お気軽にご寄稿ください。

    ⑥ 夏季献金にご協力お願いいたします。
    牧師の夏の手当とピアノの調律のための献金です。
    受付テーブルに置いてある献金袋をご利用ください。


    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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