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朗読箇所

三位一体後第7主日

旧約 箴言 10:12


12 憎しみはいさかいを引き起こす。愛はすべての罪を覆う。


新約 フィリピの信徒への手紙 1:3−11

◆フィリピの信徒のための祈り
3 わたしは、あなたがたのことを思い起こす度に、わたしの神に感謝し、
4 あなたがた一同のために祈る度に、いつも喜びをもって祈っています。
5 それは、あなたがたが最初の日から今日まで、福音にあずかっているからです。
6 あなたがたの中で善い業を始められた方が、キリスト・イエスの日までに、その業を成し遂げてくださると、わたしは確信しています。
7 わたしがあなたがた一同についてこのように考えるのは、当然です。というのは、監禁されているときも、福音を弁明し立証するときも、あなたがた一同のことを、共に恵みにあずかる者と思って、心に留めているからです。
8 わたしが、キリスト・イエスの愛の心で、あなたがた一同のことをどれほど思っているかは、神が証ししてくださいます。
9 わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、
10 本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、
11 イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。

説教

キリストの日に向かって歩む教会

  • 説教者  稲葉基嗣 牧師

     

    信仰者が生きる上で陥りやすいひとつの危険は、
    今のままで良いと思うことかもしれません。
    たしかに、それは聖書が語る
    ひとつの大切なメッセージのひとつです。
    ありのままのあなたが素晴らしい。
    どれほど劣等感を感じていたとしても、
    どれほど今の自分に満足できていなかったとしても、
    それでも、神はあなたのありのままを喜ばれている。
    何が出来ても、何が出来なくても、
    神の前で一人の人の価値は決して変わらずに、
    誰もが神の前で尊い存在です。
    フィリピに宛てた手紙を書いたパウロ自身も、
    フィリピの教会の人びとの今現在の姿を喜んでいました。
    彼らがキリストに捕らえられ、
    キリストの福音を受け入れ、
    キリストを信頼し、
    キリストと共に生きていたからです。
    そんな彼らの姿をパウロは喜んでいます。
    パウロがエフェソで投獄され、
    思うように動けない状況にあるという知らせを受けて、
    自分のことを気にかけてくれたフィリピの教会の人びとに
    パウロは深い感謝を覚えています。
    離れているけれども、フィリピの人びととパウロは
    キリストにある深い愛で結ばれていることを
    パウロは強く実感することができたでしょう。
    そして、フィリピの教会の人びとは
    パウロと一緒に旅をしているわけではありませんが、
    キリストを伝えるパウロの旅を支え、祈りに覚えている
    神の恵みによって結ばれているパートナーであると、
    パウロはフィリピの教会の人たちのことを考えていました。
    困難なことが多く、決して成功ばかりではなかったパウロにとって、
    どれほどこのフィリピ教会の人たちの存在が
    励ましとなったことでしょうか。
    どれほど彼らに感謝を抱いたことでしょうか。
    フィリピの教会の喜ばしい姿を思うならば、
    パウロが大きな感謝を覚えることは当然のことに思えます。

    でも、パウロはフィリピ教会は
    今のそのままで良いとは決して考えませんでした。
    どれだけ今の現状が喜ばしかったとしても、
    フィリピ教会の人たちは
    それ以上により喜ばしい未来へと向かって
    歩むようにと招かれているからです。
    パウロはひとつのことを確信しています。
    それは、フィリピ教会の人びとの間で
    神が善い業を始めておられていて、
    神が始めたその善い業は必ず完成することです(6節)。
    善い業って一体どういったものなのでしょうか。
    旧約聖書の伝統を受け継いでいるパウロは、
    神の創造の業を考えていたと思います。
    この世界のすべてのものを造り、
    わたしたちひとりひとりを形作り、
    いのちを与えてくださった神が、
    同じようにフィリピの教会のひとたちの
    日常の歩みの中で働きかけてくださる。
    この世界を善い、美しいものとして造られた
    神の力がわたしたち一人ひとりの
    日常の歩みやそこでの働きの中に臨んでくださる。
    わたしたちに働きかけた神の業や
    わたしたちを通して続けられている神の働きは、
    必ず完成へと向かっていきます。
    だから、どれだけフィリピ教会の人びとのことを
    パウロが喜んでいたとしても、
    パウロは決して、彼らの現状を肯定する言葉のみを
    並べることはしませんでした。
    フィリピ教会の歩みが
    完成へと向かって歩んでいるならば、
    ある意味で、この地上においては、
    常に成長の途上にあるということです。
    そのため、パウロはフィリピ教会に向かって、
    そこに集う一人ひとりの成長を
    また、教会という信仰者が集う群れの成長を
    励ます言葉を語りかけました。

    ところで、信仰者の成長って何なのでしょうか。
    聖書をよく知っていることなのでしょうか。
    祈りが上手なことなのでしょうか。
    教会の成長って何なのでしょうか。
    それは、数が増えることなのでしょうか。
    社会の中で認知度が上がることなのでしょうか。
    たくさんの献金が集まることなのでしょうか。
    パウロが伝えるのはそういったことではありません。
    パウロはわかりやすい判断基準を持つものを
    教会やそこに集う信仰者たちの成長とは捉えていません。
    フィリピ教会の成長を願ったパウロは、
    こんな風に祈りました。

    私は、こう祈ります。
    あなたがたの愛が、
    深い知識とあらゆる洞察を身に着けて、
    ますます豊かになり、
    本当に重要なことを見分けることができますように。
    (1:9−10)

    愛がますます豊かになる。
    もう少し砕けた訳をするならば、
    「愛がめちゃくちゃ溢れる」でしょうか。
    そのような状態は、決してわたしたちの生きる
    この社会で溢れている現実ではありませんね。
    寧ろ正反対のことが起きています。
    愛が冷めることも、
    愛よりも憎しみや呪いの言葉があふれることもあります。
    誰かを気遣い愛するよりも、
    自分のことばかり優先してしまいます。
    また、おそらく多くの人たちにとって
    愛情とは心の問題だと思います。
    愛情とは心で温かい気持ちを感じられるかどうか、
    そういった感情が呼び起こされるかどうかで、
    知識や判断のこととは考えないと思います。
    でも、パウロにとっては違いました。
    わたしたちが頭で考えることと
    愛情を切り離してはいけないとパウロは伝えています。
    たしかに、感情だけで誰かを愛そうと時、
    失敗することがあります。
    知識が欠ける時、わたしたちはしばしば
    愛するべき対象を適切に愛せなくなってしまいます。
    極端なたとえかもしれませんが、
    お菓子をいっぱい食べたがるからといって、
    こどもにお菓子ばかりあげるわけにもいきません。
    本当に愛情を注ぎたいならば、
    成長するために必要な栄養を摂れる食事を
    限界はあるかもしれないけど、
    頑張って届けたいなと願います。
    そう考えると、パウロがこう祈った理由が
    何だかわかってくる気がします。
    わたしたちはいつも同じ人たちと
    付き合っているわけではありません。
    また、時間が経てば、
    自分自身も周りの人も様々な面で変わってきます。
    ですから、愛したいという思いだけで
    愛情を示すことには限界があるのでしょう。
    変わり続けるわたしたちの社会や
    わたしたちのまわりの人たちや
    また、わたし自身を適切に愛するために、
    本当に必要な知識を持とうとすることは
    とても必要なことなのでしょう。
    だから、愛情が感情だけでなく、知識としっかりと結びつき、
    フィリピ教会の人びとの生き方が
    ますます愛情に溢れるものになっていくようにと
    パウロは願い続けました。
    いいえ、フィリピ教会は
    そのような教会を目指し続けることが出来るし、
    フィリピ教会に集う人たちも
    そのような姿を目指し続けることが出来ると、
    パウロは信じていました。
    何よりも、神が成し遂げてくださると
    パウロは神を信頼して、このように祈り求めました。

    パウロはもう少し祈りを加えました。
    「キリストの日には」とパウロは祈っています。
    これは、天の御国に向かって歩む信仰者たちが
    その信仰の旅路を終えて、
    キリストと出会うその日に備えての祈りです。
    わたしたち誰もが最終的に目指している
    神との出会いに備えて、
    将来の希望の日を迎えるために、
    パウロは彼らのために祈りました。
    神の前に清い者と変えられていくように(10節)。
    そして、義の実を結んでいくように(11節)、と。
    神の前できよく、とがめられることのない
    正しい存在になるなんて、
    無理難題だと思ってしまいます。
    わたしたちが欠けだらけであるのは、
    パウロに言われなくても、
    他の人に言われなくても十分わかっています。
    でも、パウロは神を信頼して、
    フィリピ教会の人たちに、
    そしてわたしたちに伝えているのだと思います。
    「いいや、なれるよ。
    この地上での歩みを通して、ゆっくりで大丈夫だから、
    少しずつ、少しずつ、神があなたを清い者へと変えてくれるんだ。
    フィリピ教会全体を神が清い存在へと整えてくれるんだ。
    この手紙を読む教会を、そこに集うすべての人たちを
    神が将来に向かって、少しずつ清い者へと変えてくれるんだ。」
    ああ、何と神への信頼に満ちた祈りなのでしょうか。
    そして、何と教会とそこに集う人たちへの愛情と
    将来への希望と慰めに満ちた祈りなのでしょうか。

    わたしたちは自分の力では変わることができません。
    だから、「そのままで良い」という言葉に
    大きな慰めを覚えます。
    でも、そんなわたしたちに向かって、そんな教会に向かって、
    神は成長を、また変化を促す方でもあります。
    将来のキリストの日に向かう信仰の旅路において、
    神がわたしたちを変えてくださいます。
    神がわたしたちを整えてくださいます。
    神がわたしたちの愛情を溢れさせてくださいます。
    このことを成し遂げてくださると
    パウロを通して約束されている神を
    わたしたちは大いに信頼して良いと思います。
    どうか、神が成長や変化をみなさんに対して願う時、
    柔軟な心をもち、神への信頼を抱いて、
    神の働きかけを受け入れることができますように。
    そして、神がわたしたちの教会に成長や変化を願う時、
    わたしたちは心から喜んで
    神の願いを受け入れていきたいですよね。
    これまでそうであったように、これからも。
    キリストと出会うその日が訪れるまで。

週報より

  • 2023.07.23 週報より抜粋・要約

  • ① モレノチームからのお願い
    先週の日曜日に月報『モレノ』8月号を発行しましたが、
    コピー機のトナー切れのため必要部数を用意できませんでした。
    きょうの礼拝後に残り35部の製本をしたいと思っています。
    ご協力いただけるみなさまはよろしくお願いいたします。

    ② こども1日キャンプのお知らせ
    8月5日(土)10時から毎年恒例のこども一日キャンプを予定しています。
    今回のテーマは出エジプト記に登場するモーセです。
    準備にご協力いただける方は基嗣牧師にお声掛けください。
    来週の礼拝後にイベントチームで集まって、打ち合わせをしましょう。

    ③ 夏季献金にご協力お願いいたします。
    牧師の夏の手当とピアノの調律のための献金です。
    受付テーブルに置いてある献金袋をご利用ください。

    ④ メディア・チームからのお願い
    教会に集まるみなさんが気軽にお互いの声をシェアできたら良いと思い、
    投書箱を受付テーブルに用意してみました。
    メディアチームが用意した「お題」にかんして、
    一言から1ページまで自由に投書することができます。
    書式は問いませんし、手書きでも大丈夫です。
    投書していただいたものは、モレノ・チームと連携して、
    モレノに掲載させていただこうと計画しています。
    記念すべき第1回目のお題は「好きな賛美歌」です。
    ひとり何度でも投稿できますし、被っても問題ありません。
    ひとつのお題を定期的に募集しますので、
    どうぞお気軽に、匿名・ペンネーム・実名で投稿してみてください。

    ⑤ 来週の礼拝後にメディアチームの集まりをします。

    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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