<三位一体後第5主日>

2020年7月12日()   礼拝説教
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「イエス様に出て行ってくれと言う世界」  (石田 学牧師)
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◇ 聖書  < 新共同訳 >

1) 旧約聖書
エレミヤ書16:19−21

◆主なる神の言葉

19 主よ、わたしの力、わたしの砦、苦難が襲う時の逃れ場よ。あなたのもとに国々は地の果てから来て言うでしょう。「我々の先祖が自分のものとしたのは偽りで、空しく、無益なものであった。
20 人間が神を造れようか。そのようなものが神であろうか。」と。
21 それゆえ、わたしは彼らに知らせよう。今度こそ、わたしは知らせる。わたしの手、わたしの力強い業を。彼らはわたしの名が主であることを知る。

2) 新約聖書
マルコによる福音書5:1−20



◆悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす

1 一行は、湖の向こう岸にあるゲラサ人の地方に着いた。
2 イエスが舟から上がられるとすぐに、汚れた霊に取りつかれた人が墓場からやって来た。
3 この人は墓場を住まいとしており、もはやだれも、鎖を用いてさえつなぎとめておくことはできなかった。
4 これまでにも度々足枷や鎖で縛られたが、鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、だれも彼を縛っておくことができなかったのである。
5 彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
6 イエスを遠くから見ると、走り寄ってひれ伏し、
7 大声で叫んだ。「いと高き神の子イエス、かまわないでくれ。後生だから、くるしめないでほしい。」
8 イエスが、「汚れた霊、この人から出ていけ」と言われたからである。
9 そこでイエスが、「名は何というのか」とお尋ねになると、「名はレギオン。大勢だから」と言った。
10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないようにと、イエスにしきりに願った。
11 ところで、そのあたりの山で豚の大群がえさをあさっていた。
12 汚れた霊どもはイエスに、「豚の中に送り込み、乗り移らせてくれ」と願った。 13 イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると、二千匹ほどの豚の群れが崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々とおぼれ死んだ。 14 豚飼たちは逃げ出し、町は村にこのことを知らせた。人々は何が起こったのかと見に来た。
15 彼らはイエスのところに来ると、レギオンにとりつかれていた人が服を着、正気になって座っているのを見て、恐ろしくなった。
16 成り行きを見ていた人たちは、悪例に取りつかれた人の身に起こったことと豚のことを人々に語った。
17 そこで、人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言い出した。
18 イエスが舟に乗られると、悪例に取りつかれたいた人が、一緒に行きたいと願った。
19 イエスはそれを許さないで、こう言われた。「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことをことごとく知らせなさい。」
20 その人は立ち去り、イエスが自分にしてくださったことをことごとくデカポリス地方に言い広め始めた。日飛び地は皆驚いた。

(聖書 終り)

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◇ 説教 
(石田 学牧師)         2020年7月12日

「イエス様に出て行ってくれと言う世界」

きょうの聖書の出来事は、

まるでホラー映画のはじまりのよう。

そう感じられた方も多いことでしょう。

イエス様がガリラヤ湖を渡り、

向こう岸に着いた時のことでした。

そこはゲラサ人の地方だったと、

マルコは説明しています。

ということは、

そこはユダヤ人の住む地方ではなく、

ユダヤ人ではない人々、

異邦人の地だったということです。

なんでイエス様はわざわざ、

外国にまで出かけて行くことにしたか、

福音書は理由を説明していません。

ただ、この出来事を読むと、

あたかもイエス様は、

一人の男から悪霊を追放するだけのために、

わざわざ湖を渡ったかのようです。

しかも途中で激しい突風にさらされ、

舟が沈みそうになってまで。

向こう岸に着いて舟から陸に上がると、

その事件はすぐに起きました。

一人の男が叫びながら走り寄ってきます。

そしてイエス様の前にひれ伏して言うのです。

「いと高き神の子イエス、

かまわないでくれ。

後生だから、苦しめないでほしい」。

たぶん、この男が走り寄ると、

イエス様はすぐにこう告げたのでしょう。

「汚れた霊、この人から出て行け」。

汚れた霊がこの男の中に住み着いていたのは、

居心地がよかったからでしょうか。

とにかく追い出されたくなかったのです。

悪霊どもにしてみれば、

そこは快適な住処だったでしょうが、

住み着かれた男はたまりません。

彼がどんなに悲惨な状態であったかを、

マルコ福音書は詳しく描写しています。

「この人は墓場を住まいとしており、

もはやだれも、鎖を用いてさえ

つなぎとめておくことはできなかった。

これまでにも度々、

足枷や鎖で縛られたが、

鎖は引きちぎり足枷は砕いてしまい、

だれも彼を縛っておくことはできなかった」。

人の力では抑止できなかったのです。

さらに福音書は続けて説明します。

「彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、

石で自分を打ちたたいたりしていた」。

なんでそんな悲惨な状態になったのか。

その理由は、彼の名から理解できます。

イエス様が男に名を尋ねると、

こう答えたというのです。

「名はレギオン。

大勢だから」。

名前を尋ねられたのに対して、

この男が答えたのは、

彼の本来の名ではなく、

悪霊の正体でした。

完全に悪霊に乗っ取られていたのです。

その名はレギオン。

レギオンはローマ帝国の正規軍団の名称で、

六千人ほどからなる大部隊です。

そんなにたくさんの悪霊が、

この一人の男に入り込んでいるとは・・。

しかも悪霊。

悪霊は親切ではなく憐れみもなく、

まったくわがままで自己中心。

無慈悲で自分の快楽しか考えません。

そんな悪霊が六千も、寄ってたかって、

この男の主人であろうとするのです。

全部の悪霊が一斉に、

勝手な命令、自己中心の指示、

欲望むきだしの要求、

意味のない叫びや喚きなどを、

この男の耳に、頭に、心に、

どなり、ささやき、わめきます。

しかも昼夜かまわず。

絶えられるはずがありません。

この男の悲惨な状態は、

その結果に他なりません。

あまりに異様で奇怪きわまりない様子は、

わたしたちには無縁の、

尋常ではない特殊な出来事と思い込みます。

しかし、ほんとうにそうでしょうか。

この男の姿は、

無数の悪霊に取り憑かれるという、

激レアな状態が引き起こした、

普通はあり得ない事態なのでしょうか。

おそらく、答えは「いいえ」です。

ここまで極端ではなく、

怪奇現象を伴わないとしても、

この男の姿はとても象徴的です。

時代を超えて、現代においても、

世界の現実を映し出しているように思います。

というのも、

わたしたちもまた同じだからです。

日毎に無数の要求が課せられ、

自分のさまざまな願望が心に浮かび、

あれやこれやの義務に追われ、

仕事や学校や社会や家庭や自分自身の、

あらゆる責任が押し寄せてきて、

わたしたちは引き裂かれています。

レギオンの群れが違うことを同時に、

わたしたちに要求しているかのようです。

全部を聞いて従うことなど不可能です。

仕事に追われて自分や家族の時間が奪われ、

へたをすると自分自身を見失いかけ、

不本意なことを押しつけられても、

嫌と言うことも逃れることもできず、

何が自分にとって幸いなのかさえ見えない、

あたかも未来のない墓場のような世界で、

わたしたちはそこで暮らしています。

たぶん、わたしたちの内側からも、

たくさんの願望が湧き出て、

無数の願いが心に浮かび、

尽きない要求が自分自身を駆り立て、

それらすべてを、

モグラ叩きのようにクリアしようと、

ひたすら叩き続けるけれども、

こちらの要求を満たそうとすると、

そちらの願いが果たせない。

あれもこれもと追いかけ、

あれもこれも不満足なまま。

自分のキャリアを追い、

子どもへの期待や願望を抱き、

不安や恐れは後をたたず、

きょうの必要、明日の心配、

それらを右に左に追いかけ回し、

クリアするのに忙しすぎて、

自分の生涯全体を統合する、

ほんとうに大切なものが何なのか、

生涯全体が目指す目的地はどこなのかを、

わたしたちは見失ってしまいます。

そうだとしたら、

全ての人は皆、

無数の命令を叫ぶレギオンに支配される、

この世の犠牲者です。

そこにイエス様が来られると、

イエス様はわたしたちを苦しめ支配する、

悪霊の集団にこう告げるのです。

「汚れた霊よ、この人から出て行け」。

イエス様がわたしたちを悪霊から解放し、

わたしたちに自分の正体を教えてくださり、

わたしたちの生涯が何を目指すべきかを、

はっきりと示してくださいます。

あれもこれもとばらばらに散っていた、

わたしたちの目と心をしっかりと、

一つの究極の宝物へと向けさせてくれます。

わたしたちをイエス様に従う神の民として、

天の国を目指す旅人として、

生涯の全てを歩ませてくださるのです。

レギオンに取り憑かれていた男は、

イエス様によって悪霊から解放され、

正気を取り戻すことができました。

正気を取り戻した男は、

当然のことを願い出ます。

「わたしも一緒に行きたい」と。

しかし、イエス様はこの男に言います。

「自分の家に帰りなさい」。

直接イエス様と行動を共にすることだけが、

イエス様に従うことではないのでしょう。

家に帰ってそこで生きることも、

イエス様に従う道ですから。

しかし、元通りに戻って、

何も変わらない生き方ではだめです。

だからイエス様はこう命じました。

「身内の人に、

主があなたを憐れみ、

あなたにしてくださったことを

ことごとく知らせなさい」。

家族のもとで生活を取り戻して、

しかし信仰者として生きよ。

それがイエス様の告げたことでした。

よかった。

ハッピーエンド・・?

そう思われますか?

わたしには二つの疑問があります。

一つは、悪霊がその後どうなったかです。

豚に入ったレギオンは、

豚といっしょに死んで滅び、

この地方からいなくなったのでしょうか。

福音書にははっきりとは書かれていません。

でも、そうはならなかったと、

わたしたちは推測することができます。

レギオンはどうして豚に入りたがったのか。

その理由は、

この地方に居続けたかったからです。

この地方から追い出されたくなかった。

そうだとすれば、

豚は死んでも、

悪霊の軍団はその地方に居座り続けた。

そう考えるべきでしょう。

この男は解放されたけれども、

この地方が解放されたわけではありません。

豚が崖を駆け下って湖で死んでしまうと、

それを見た豚飼いたちが逃げ出して、

町や村に起きたことを知らせました。

そこで大勢の人々がやって来ます。

彼らは正気に戻った男を見て驚きます。

悪霊に取り憑かれて悲惨な状態だった男が、

いま正気になって座っているのです。

ここに、二つ目の疑問が生じます。

人々は喜んでイエス様に感謝・・

したのでしょうか。

いいえ。

人々はイエス様に驚くべきことを告げます。

「この地方から出て行ってくれ」。

なんで?

悪霊を追放した人を追放しようとするとは、

いったいどうしたことでしょうか。

なぜ感謝も喜びもなく、

迷惑そのものであるかのような仕方で、

イエス様の方を追い出そうとしたのでしょうか。

この事実にこそ、

この世界の現実、この世界の真の問題が、

込められているように思うのです。

この世界には悪霊が住み着いていて、

人々は悪霊のいる現実の方を好むという事実。

それが顕わにされた出来事でした。

悪霊が住み着いていて、

悪霊が追い出されることの方を拒む現実。

異常な現実を異常だと思わず、

むしろそのままにしておきたいと願う現実。

わたしたちが住むこの世界は、

そのような現実のただ中にあります。

あまりに異常な悪霊の仕業に満ちているのに、

人々はそのような状態を維持したいと願い、

今のままで放っておいてほしいと考え、

何も変えないでおきたいと言い張る。

その事実を数え上げたら、

とうていレギオンの数では足りないでしょう。

たとえば、核廃棄物の処理法がなく、

貯蔵場所もなく、

何十万年と保管し続けるという、

信じられない異常さをそのままにして、

原子力に依存する世界。

地球の温暖化が危機的な状況に達し、

現に世界の各地でも日本でも異常気象で、

大災害が続発し、

やがて遠くない将来には、

はるかに巨大な異常が起きると知りながら、

経済発展や国家間の利益争いで、

有効な手を何も打とうとしない世界。

海洋汚染・大気汚染が限界に来ていても、

プラごみの分別さえまともにできない世界。

使用したら破滅することが分かっている、

巨額の費用を要する大量殺戮兵器で、

軍事力の増強を図ろうとする政府。

過重労働で死者や精神を病む人が出ても、

その異常な状態を温存する法律を作る社会。

ああ、どれほどたくさんのレギオンが、

このわたしたちの世界を住処として、

居心地の良さを実感していることか。

でもレギオンの仕業を列挙するのは、

これくらいにしておきましょう。

何時間かけても終わらないでしょうから。

そんな社会に、イエス様が来られます。

レギオンの支配する社会に、

愛を抱かせ、

憐れみ深さを取り戻させ、

弱い者・小さい者を守ることを求め、

レギオンの言いなりになることをやめて、

悔い改めて神に心を向けよと告げ、

罪を赦して神の民となる道を開き、

天の国を目指す旅へと誘う主イエスが、

この世に、この社会に来られます。

でもこの世界は、

イエス様に出て行ってくれと言う世界。

そしてわたしたちはその世界の住民です。

でも、この世界の全ての人が例外なく、

イエス様に出て行けと言うわけではありません。

わたしはどう?

あなたはどう?

イエス様に出て行ってくれと言いますか。

それとも、ここに、

このわたしの心の内に、

わたしと共にいてくださいと言いますか。

わたしたちはすでに、その選択をしました。

「ここに、わたしと共にいてください」。

わたしたちがイエス様を信じるとは、

そのように言い、願い、そうすることです。

イエス様が共におられるなら、

わたしたちは悪霊にこう言うことでしょう。

「汚れた霊よ、出て行け」。

わたしたちはレギオン・フリーの社会を望み、

そのような社会になることを祈り、

そのためにわずかでも自分のできることをします。

自分のできる仕方で、

主イエスに従う生き方をしてゆくのです。

イエス様は今もわたしたちにこう命じます。

「家に帰りなさい。

そして知らせなさい。

主があなたを憐れんでくださったこと、

あなたに何をしてくださったかを」。



(以上)

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