<三位一体後第13主日>

2020年9月6日()   礼拝説教
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無意味なことはない、キリストと出会うなら  (石田 学牧師)
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◇ 聖書  < 新共同訳 >

1) 旧約聖書
イザヤ書52:7−10

◆主は王となられる

7 いかに美しいことか
山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。彼は平和を告げ、恵みの良い知らせを伝え
救いを告げ
あなたの神は王となられた、と
シオンに向かって呼ばわる。
8 その声に、あなたの見張りは声をあげ
皆共に、喜び歌う。彼らは目の当たりに見る
主がシオンに帰られるのを。
9 歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃虚よ。主はその民を慰め、エルサレムを贖われた。
10 主は聖なる御腕の力を
国々の民の目にあらわにされた。地の果てまで、すべての人が
わたしたちの神の救いを仰ぐ。

2) 新約聖書

マルコによる福音書6:45−56


◆湖の上を歩く

45 それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸のベトサイダへ先に行かせ、その間に御自分は群衆を解散させられた。
46 群衆と別れてから、祈るために山へ行かれた。
47 夕方になると、舟は湖の真ん中に出ていたが、イエスだけは陸地におられた。
48 ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた。
49 弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、幽霊だと思い、大声で叫んだ。
50 皆はイエスを見ておびえたのである。しかし、イエスはすぐ彼らと話し始めて、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われた。
51 イエスが舟に乗り込まれると、風は静まり、弟子たちは心の中で非常に驚いた。
52 パンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたからである。

◆ゲネサレトで病人をいやす

53 こうして、一行は湖を渡り、ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ。
54 一行が舟から上がると、すぐに人々はイエスと知って、
55 その地方をくまなく走り回り、どこでもイエスがおられると聞けば、そこへ病人を床に乗せて運び始めた。
56 村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。

(聖書 終り)

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◇ 説教 
(石田 学牧師)         2020年9月6


無意味なことはない、キリストと出会うなら


わたしたちはマルコによる福音書から、

毎週の礼拝説教で学んでいます。

きょう、本当は53−56節のはずでした。

しかし、先週の聖書箇所を含めて、

45節から読ませていただきました。

45節まで遡らないと、

きょうの箇所、特に53節の不思議さが、

はっきりと理解できないからです。

マルコ福音書はごく自然な語り口で、

53節を語り始めます。

「こうして、一行は湖を渡り、

ゲネサレトという土地に着いて舟をつないだ」。

ゲネサレトという土地に着いた。

マルコはそう語ります。

でもおかしいでしょう。

45節にはこうあります。

「イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、

向こう岸のベトサイダへ先に行かせ」と。

ちょっと整理して考えて見ましょう。

イエス様は夕暮れになってから、

弟子たちを無理矢理舟に乗せて、

向こう岸のベトサイダという町に向かわせた。

ところが弟子たちは暗くなった湖で、

不本意な事態に遭遇します。

山から吹き下ろす強烈な風が逆風となって、

舟を激しく揺り動かし、

前に進むことができなくなったのです。

おそらく夜の間ずっと舟にしがみついて、

転覆したり振り落とされたりしないよう、

苦闘していたのでしょう。

そんな弟子たちのところへ、

イエス様が湖の上を歩いて来て、

舟に乗り込むのです。

すると風は静まりました。

しかし、一晩中苦闘していた弟子たちに、

ベトサイダまで漕ぎ進める体力はありません。

そこで、いちばん近い村に向かいます。

その村がガリラヤ湖の北西にある、

ゲネサレトという地方でした。

ところがマルコ福音書は、

弟子たちがそんな苦労をしたなどとは、

一言も告げず、きわめて自然なことのように、

「一行はゲネサレトという地方に着いた」と

ふつうに物語ります。

ベトサイダではなく、ゲネサレト。

カタカナの地名でわかりにくいですね。

後で聖書後ろの地図で調べてください。

ベトサイダはガリラヤ湖の北部すこし東。

ゲネサレトは湖の北西にあたります。

湖のことですから、

遠く離れているといってもたかが知れています。

二つの土地はたぶん直線で10キロほどの距離。

古代ですから、バスも電車もありません。

歩いたら五時間か六時間でしょうか。

湖を舟で渡れば2時間程度と思います。

本来の目的地であるベトサイダではなく、

想定していなかったゲネサレトに着いたのは、

湖上で逆風にさらされたからです。

弟子たちにしてみれば、命からがら、

やっとの思いで近くの陸を目指したのでしょう。

想定外の逆風に遭い、

目指すところに行き着くことができず、

思いがけないところにたどり着く。

この弟子たちの体験は、

わたしたちの身に起こる出来事を象徴している、

あたかもそのように思われます。

皆さんご自身もこれまでの生涯を振り返って、

いかがでしょうか。

これまですべてが予定通り、

計画通りにものごとが進んできましたか。

順風満帆の歩みばかりだったでしょうか。

それとも、想定外の逆風にさらされ、

危機が訪れ、行き詰まり、思い悩み、

恐れと不安に苛まれる時を過ごした。

そのような体験に心当たりがおありでしょうか。

わたしたちのこの小さな教会の中だけでも、

就職氷河期の逆風に苦しみ、

思ってもいなかった病に倒れ、

仕事がうまくいかず、

想定外の転勤や引越をせざるを得ず、

大切な家族が苦難にあい、

あるいは愛する者を失う、

そんな逆風を体験した方がおられます。

そのような体験をしたことがあるという、

過去の話ではすまされません。

これからのわたしたちの生涯で、

そんな思いがけない逆風にさらされる事態に、

だれが遭遇しないと断言できるでしょうか。

わたし自身は、途方に暮れる深刻な苦境はなく、

波乱万丈の生涯であったわけでもありません。

それでも、嫌な体験や思い出したくない事態、

起きて欲しくなかった出来事や想定外の体験は、

幾つも思い当たります。

思い出すのも嫌なので、

いちいちここで語ることはしませんが、

たしかなことが一つあります。

どれもみな、もし順調に行っていたとしたら、

今、わたしがこの場所にいることはなく、

皆さんとの出会いもなかったということです。

たしかに個々の出来事は嬉しいものではなく、

むしろ、逆風にさらされていることによる、

苦痛と不本意な体験でした。

しかし、自分ではどうしてよいかわからない、

そんな閉塞感に囚われているその時、

望んでいた道がまさに閉ざされてしまった時、

思ってもいない別の道が開かれました。

それは喜んで飛び跳ねるほど魅力的ではなく、

どちらかと言えば仕方なしにという道でした。

それでも、開かれた道を歩んできたことが、

次の道を開いてくれることにもなり、

そうしたことの積み重なりが、

やがてわたしに一つのある確信を、

はっきりと抱かせてくれるに至りました。

それは古代からずっと教会で信じられてきた、

「神の摂理により」という言葉です。

わたしの抱いた確信を、

使徒パウロがローマの信徒への手紙で、

はっきりと語ってくれています。

「神を愛する者たち、つまり

ご計画に従って召された者たちには、

万事が益となるように

共に働くということを、

わたしたちは知っています」(8:28)。

確信を込めたパウロのこの言葉を見ると、

わたしは改めて強く思わされます。

ああ、このクリスチャンの体験は、

わたし個人の体験ではなく、

パウロ個人の体験でもなく、

だれか一部の人の特殊な体験でもなく、

すべてキリストを信じる者に共通する、

神の摂理を体験することなのだと。

イエス様と弟子たちは、

逆風にさらされたために、

本来目指していたベトサイダではなく、

ゲネサレトという地方に着きました。

順調に舟が進んでいたなら、

イエス様が訪れることはなかったはずの、

目的外の地方でした。

弟子たちが逆風にさらされていたゆえに、

ゲネサレトの人々はイエス様と出会いました。

イエス様と弟子たちが、

当初の目的地であったベトサイダに着くのは、

マルコ福音書の8:22になってからです。

それまでの間、

イエス様はゲネサレト周辺の各地を巡り、

多くの人を癒し、教えを宣べ伝えるのです。

予期せぬ回り道のおかげで、

どれほどの人がイエス様と出会えたでしょう。

そう考えると、

苦労に満ちた体験や、

無駄と思われる回り道であっても、

イエス様と出会うならば、

無意味なことは何一つない、

そう確信させられます。

わたしたちが体験した回り道や、

逆風にさらされたと思われる体験は、

イエス様との出会いに通じるものであれば、

それはもっとも大切なものへの導きであり、

イエス様と出会ってから体験する逆風も、

けっして無意味に終わることはない。

そのようにわたしは信じます。

そしてその確信はわたしだけのものでなく、

皆さんの信仰的体験が、

皆さんに与える確信でもあるはずです。

 



(以上)

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