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朗読箇所

待降節第 1主日

旧約 ルツ記 4:13−22


13 ボアズはこうしてルツをめとったので、ルツはボアズの妻となり、ボアズは彼女のところに入った。主が身ごもらせたので、ルツは男の子を産んだ。
14 女たちはナオミに言った。「主をたたえよ。主はあなたを見捨てることなく、家を絶やさぬ責任のある人を今日お与えくださいました。どうか、イスラエルでその子の名があげられますように。
15 その子はあなたの魂を生き返らせる者となり、老後の支えとなるでしょう。あなたを愛する嫁、七人の息子にもまさるあの嫁がその子を産んだのですから。」
16 ナオミはその乳飲み子をふところに抱き上げ、養い育てた。
17 近所の婦人たちは、ナオミに子供が生まれたと言って、その子に名前を付け、その子をオベドと名付けた。オベドはエッサイの父、エッサイはダビデの父である。
◆ダビデの系図
18 ペレツの系図は次のとおりである。ペレツにはヘツロンが生まれた。
19 ヘツロンにはラムが生まれ、ラムにはアミナダブが生まれた。
20 アミナダブにはナフションが生まれ、ナフションにはサルマが生まれた。
21 サルマにはボアズが生まれ、ボアズにはオベドが生まれた。
22 オベドにはエッサイが生まれ、エッサイにはダビデが生まれた。


新約 マタイによる福音書 1:1−6

◆イエス・キリストの系図
1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
2 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
3 ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
4 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
5 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
6 エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、

説教

当たり前が覆されるという希望

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    ベツレヘムの町に
    およそ10年ぶりに帰ってきた女性がいました。
    彼女の名前は、ナオミ。
    この町が食糧難にあったとき、
    彼女は家族と一緒にモアブの野へ旅立ったはずです。
    そう、彼女の夫と息子たちと一緒に。
    でも、帰って来たナオミと一緒にいたのは、
    モアブの野から連れて来た女性でした。
    ナオミがベツレヘムに帰って来た時、
    ベツレヘムの町の人びとは、
    ナオミの事情を察したかもしれません。
    深く事情を探ることはやめておき、
    彼女を知るベツレヘムの町の女性たちは
    ナオミに声をかけました。
    「ナオミじゃないの!?」と。

    ナオミという名前は、
    喜びや甘いという意味です。
    彼女は名前を呼ばれた時、
    今の自分に喜びなんてないことに気づきました。
    だから、ナオミは彼女たちの言葉を拒絶します。
    ナオミとは呼ばないでくれ。
    喜びなんてないんです。
    夫や息子たちを亡くした自分にとって、
    生活を続けることは困難だし、
    将来の望みもありません。
    わたしの人生は甘いどころか、
    とてつもなく苦いんです。
    だから、わたしのことはナオミではなく、
    苦いという意味のマラと呼んでください。
    故郷ベツレヘムに帰って来た時のナオミは、
    このように落胆し切っていました。

    ルツ記がその物語を終えるとき、
    ナオミはベツレヘムの女性たちから
    再び声をかけられます。
    ベツレヘムに帰ってきた後に
    ナオミの身に起こったことにかんして思い起こし、
    女性たちは神をたたえています。
    神はナオミを見捨てませんでした。
    ナオミは、彼女の義理の娘であるルツが
    ボアズと結婚することを通して、
    経済的な支えを得ることができました。
    偶然の積み重ねとも思える出来事の背後に、
    神が確かにそこにいて、
    ナオミを支えたことを
    ベツレヘムの女性たちは喜びました。
    ベツレヘムに戻ったとき、
    自分に声をかけてきた女性たちの言葉を
    否定し、拒絶したナオミでしたが、
    この時は違いました。
    ナオミの上に起こったことのために、
    神を賛美するこの女性たちの言葉に無言で耳を傾け、
    ルツのもとに産まれた子どもを抱いています。
    もう、この女性たちの言葉を否定し、
    拒絶する必要などないからです。
    自分ではもうどうしようも出来ないほどに、
    困難で、先の見えない状況が、
    ナオミが完全に諦めていた状況が
    神によって覆され、
    未来が目の前に拓けたのですから。

    未来が拓けたのは
    何もナオミだけではありません。
    ルツも同じです。
    イスラエルの社会の中で、
    ルツは外国人であるために部外者でした。
    ナオミを支えるために
    彼女と一緒にベツレヘムに来たとはいえ、
    異文化の中で生活をすることは
    大きな困難が伴いました。
    いつでも外国人であるために、
    嫌がらせを受けたり、
    無視されたりする可能性がありました。
    もっとひどい場合は、
    暴力を受けることだってあったかもしれません。
    でも、彼女は偶然、
    ボアズの畑で働き始めたことによって、
    そのような危険から守られました。
    綱渡りのような生活を
    ベツレヘムで始めた彼女でしたが、
    物語の終わりになると、
    ベツレヘムの町の女性たちから
    祝福されるほどになります。
    ナオミにとって、7人の息子たちに勝る義理の娘と、
    ルツは女性たちから最大級の褒め言葉を送られています。
    正直、ふたつの意味で信じられない言葉です。
    というのも、古代イスラエルは男性優位の社会だからです。
    ルツ記の最後に記されている系図が、
    男性たちの名前のみ記されていることからわかるように、
    家族の代表者は男性で、
    跡継ぎである息子が最も大切にされました。
    ですから、そんな大切にされている息子たち7人よりも、
    ルツが大切な存在だと伝えていることは、
    古代イスラエルの文化の中では、
    ありえないほどの褒め言葉でした。
    その上、ルツはモアブ人です。
    外国人であり、部外者です。
    彼らの常識では、息子たちよりも
    外国人女性が重要だなんて、あり得ませんでした。
    でも、そんな文化的常識を越えて、
    当たり前が覆されて、
    ルツの存在はベツレヘムの町で
    歓迎され、喜ばれています。

    ナオミにとっても、ルツにとっても、
    そして、ベツレヘムの町の人びとにとっても、
    当たり前であったことが覆されて、
    物語が終わっています。
    神がルツ記に登場する人びとに、
    直接働きかけたという描写は
    ルツ記の中にほとんどありません。
    けれど、ルツ記はその始まりに、
    神がイスラエルの地に
    食べ物を与えてくださったと伝えます(1:6)。
    そして、この物語の終盤に、
    神がルツを身ごもらせ、
    男の子を与えたことを伝えています(4:13)。
    ルツ記の物語で神の働きはほとんど見えません。
    けれども、その物語を挟み込み、包み込む形で、
    ルツ記は神が働いていることを伝えています。
    ですから、ルツ記の物語のその背後に、
    神の働きと導きがあったことを
    わたしたちは知っています。
    神の働きを通して、
    当たり前のことが覆されました。

    わたしたちが当たり前だと諦めることを
    神が覆されることは、
    ルツ記の物語の中で留まることではありません。
    ルツ記は系図で終わり、
    物語は未来へと続いています。
    この系図は、マタイによる福音書の冒頭に記されている
    系図と結びついています。
    それはイエス・キリストへと結びついていく系図です。
    この系図の中にルツの名前があることに、
    マタイの大きな意図が見えるでしょう。
    というのも、男性の名前を中心に記して
    系図を作成するという文化の中で、
    このように女性の名前が出てくることは
    何かを強調したい証拠だからです。
    ベツレヘムの町の女性たちから祝福されたルツですが、
    彼女は本来、イスラエルの社会にとって、
    外国人であり、のけ者です。
    そんな部外者を、輪の外にいる人を
    招き、受け入れることを伝えるかのように、
    イエス・キリストの系図の中に
    ルツの名前が記されています。
    それは、社会で当たり前と認識されていたことを
    イエスさまが覆すという希望を伝えているかのようです。
    主イエスの訪れは、すべての人への平和の訪れです。
    だからこそ、それは、
    当たり前が覆されていくことでもあるでしょう。
    誰かの当たり前は、
    その当たり前という常識に押しつぶされている
    誰かの不幸だからです。
    また、「そんなの当たり前だ」というつぶやきは、
    わたしたちの諦めの証しだからです。

    わたしたちには、覆ってほしい
    当たり前がいくつもあります。
    戦いが当たり前の世界。
    ハラスメントに耐えるのが当たり前の社会。
    女性はこうであれ、男性はこうであれと、
    性別による役割分担を押し付ける価値観。
    結婚や子どもを産むことが
    すべての人にとって幸せなことだという価値基準。
    性的少数者に寛容的でない社会。
    富裕層は更に豊かになり、
    貧しい人たちは更に貧しくなることが
    当たり前の社会構造。
    その現実を当たり前と
    諦めてしまっている人びとの心。
    外国人労働者や日雇い労働者の搾取。
    気候変動による災害。
    挙げ始めればきりがないほどに、
    わたしたちは「当たり前」と言って、
    自分の心を騙し、
    諦めていることがあることに気付かされます。
    わたしたちの希望は、イエスさまが訪れることを通して、
    わたしたちに平和をもたらしてくださることです。
    当たり前を覆してくださることです。

    わたしたちは、待降節(アドヴェント)を迎えました。
    主イエスがわたしたちのもとに
    来てくださることを待ち望む季節です。
    どうか、キリストの平和が訪れ、
    わたしたちの当たり前を打ち砕いてくださいますように。
    キリストの平和が訪れ、
    わたしたちの当たり前を覆してくださいますように。


週報より

  • 2023.12.3 週報より抜粋・要約

  • ① きょうから待降節(アドヴェント)です。
    主キリストの来臨を待ち望み、主が来られることへの備えをする季節です。
    今週の礼拝から1本ずつ火を灯すキャンドルが増えていきます。
    キャンドル・サービスとクリスマス礼拝で、4本目のキャンドルを灯します。
    今年のクリスマス関連の集会は、下記の予定です。
    みなさま、どうぞご予定ください。
    クリスマスまでの季節が恵みに満ちたものとなりますように。
    12月23日(土) キャンドルサービス(午後7時30分から)
    12月24日(日) クリスマス礼拝(午前10時40分より)
    クリスマス祝会(礼拝後。持ち寄りの食事会)

    ②きょうはの礼拝後、ティータイムのあとに月例役員会をおこないます。
    教会役員のみなさまはよろしくお願いいたします。
    おもな議題は、クリスマス関連の予定についてです。
    役員会で話し合ってほしいことがある方は、
    牧師または役員までお知らせください。

    ③ 来週の礼拝後に、月報『モレノ』の編集会をおこないます。
    モレノのチームのみなさま、よろしくお願いします。
    1月号(新年・クリスマス号)の原稿締切日は来週の日曜日です。
    月報へのみなさまのご寄稿をお待ちしています。
    絵、写真、原稿など、なんでも、お気軽にご寄稿ください。

    ④ クリスマス献金にご協力ください。
    牧師へのクリスマス手当、キリスト教関連団体への寄付などに用います。
    受付テーブルの献金袋をご利用ください。

    ⑤ あすは神学校のクリスマス会と神学校教授会です。
    今回はオンラインでの開催となりました。基嗣牧師が出席予定です。

    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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