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朗読箇所

待降節第2主日

旧約 サムエル記 下 12:1−10

◆ナタンの叱責
1 主はナタンをダビデのもとに遣わされた。ナタンは来て、次のように語った。「二人の男がある町にいた。一人は豊かで、一人は貧しかった。
2 豊かな男は非常に多くの羊や牛を持っていた。
3 貧しい男は自分で買った一匹の雌の小羊のほかに
何一つ持っていなかった。彼はその小羊を養い
小羊は彼のもとで育ち、息子たちと一緒にいて
彼の皿から食べ、彼の椀から飲み
彼のふところで眠り、彼にとっては娘のようだった。
4 ある日、豊かな男に一人の客があった。彼は訪れて来た旅人をもてなすのに
自分の羊や牛を惜しみ
貧しい男の小羊を取り上げて
自分の客に振る舞った。」
5 ダビデはその男に激怒し、ナタンに言った。「主は生きておられる。そんなことをした男は死罪だ。
6 小羊の償いに四倍の価を払うべきだ。そんな無慈悲なことをしたのだから。」
7 ナタンはダビデに向かって言った。「その男はあなただ。イスラエルの神、主はこう言われる。『あなたに油を注いでイスラエルの王としたのはわたしである。わたしがあなたをサウルの手から救い出し、
8 あなたの主君であった者の家をあなたに与え、その妻たちをあなたのふところに置き、イスラエルとユダの家をあなたに与えたのだ。不足なら、何であれ加えたであろう。
9 なぜ主の言葉を侮り、わたしの意に背くことをしたのか。あなたはヘト人ウリヤを剣にかけ、その妻を奪って自分の妻とした。ウリヤをアンモン人の剣で殺したのはあなただ。
10 それゆえ、剣はとこしえにあなたの家から去らないであろう。あなたがわたしを侮り、ヘト人ウリヤの妻を奪って自分の妻としたからだ。』


新約 マタイによる福音書 1:1−11

◆イエス・キリストの系図
1 アブラハムの子ダビデの子、イエス・キリストの系図。
2 アブラハムはイサクをもうけ、イサクはヤコブを、ヤコブはユダとその兄弟たちを、
3 ユダはタマルによってペレツとゼラを、ペレツはヘツロンを、ヘツロンはアラムを、
4 アラムはアミナダブを、アミナダブはナフションを、ナフションはサルモンを、
5 サルモンはラハブによってボアズを、ボアズはルツによってオベドを、オベドはエッサイを、
6 エッサイはダビデ王をもうけた。ダビデはウリヤの妻によってソロモンをもうけ、
7 ソロモンはレハブアムを、レハブアムはアビヤを、アビヤはアサを、
8 アサはヨシャファトを、ヨシャファトはヨラムを、ヨラムはウジヤを、
9 ウジヤはヨタムを、ヨタムはアハズを、アハズはヒゼキヤを、
10 ヒゼキヤはマナセを、マナセはアモスを、アモスはヨシヤを、
11 ヨシヤは、バビロンへ移住させられたころ、エコンヤとその兄弟たちをもうけた。

説教

キリストの訪れを待ち望む

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    聖書を読む多くの人たちにとって、
    系図の存在は大きなつまずきです。
    聞いたこともない、
    自分とはまったく関係のないように思える人たちの
    名前のリストが延々と続くのですから。
    この人は一体誰なのだろう?
    カタカナばかりで読みにくいな、
    といった感想を抱きながら読むよりは、
    正直言って、系図部分は読み飛ばして
    物語を楽しみたいところです。
    そんな退屈な名前のリストを紹介することから
    福音書が始まるなんて、
    現代日本で生きるわたしたちにとっては驚きです。
    だって、もっと読者の心を
    惹きつける始まり方をした方が、
    間違いなく多くの人に読んでもらえるでしょうから。
    その上、イエス・キリストについて紹介する物語が
    これから始まるのですから、
    尚更、魅力的な始まり方をしてほしいものです。

    ところが、今から2000年近く前、
    1世紀後半に生きたキリストを信じるユダヤ人にとって、
    この始まり方はどうやら魅力的なものだったようです。
    というのも、彼らの信仰にとって、
    とても重要な人びとの名前が数多く並んでいるからです。
    アブラハム、ヤコブ、イサク、ユダ、
    ダビデ、ソロモン、ヨシヤと、
    ここに記されている名前が読まれ、
    その名前の音が耳に届く度に、彼らは簡単に、
    ここに名前が記されている人びとについての物語を
    思い起こすことができました。
    それはまるで、旧約聖書の物語の総集編でした。
    過去の信仰者たちの物語が、
    この系図を通して、
    現在に向かって、
    今生きている自分たちに向かって、
    徐々に徐々に近づいてきました。

    この系図を通して示された信仰者の物語は、
    どこへ向かっているのでしょうか?
    マタイはそのはじめから、
    目標としているところを示しています。
    これは、イエス・キリストへと続く系図です、と。
    ですから、キリストを信じるユダヤ人にとって、
    この系図はとても意味深いものでした。
    ユダヤ人として大切にしている信仰者の物語と、
    イエス・キリストが出会い、
    ひとつに結び合わされているからです。

    そのように聞くと、
    この系図がユダヤ人にとって
    誇り高いものであり、
    栄光に溢れるもののように思えてきます。
    たしかに、この系図は華々しく始まります。
    アブラハムの子、ダビデの子と、
    イエス・キリストの先祖として、
    ふたりの超有名人物を
    紹介することから始めています。
    アブラハムはイスラエルの信仰の
    始まりとなった人物です。
    また、ダビデは
    イスラエルが王国であった時代に、
    国を導いた王さまでした。
    このふたりの人物の流れを汲むというのですから、
    イエスという人物は、
    まさに救い主キリストとして受け止められるに
    ふさわしい人物のように感じられたでしょう。
    あとは、アブラハムから始まり、
    ダビデを経由して、
    イエスへと続く系図を記すのみです。
    当たり障りもなく、
    男性たちの名前を並べれば、
    イエス・キリストのユダヤ人としての
    血筋の良さが伝わるはずです。

    でも、どうやらそれはマタイが
    注目したいポイントではなかったようです。
    この系図を注意深く読んでみると、
    いくつかの興味深い強調点が
    浮かび上がってきます。
    マタイは父親とその息子の名前を
    繰り返し記すことによって、
    系図を一本の線として記録しています。
    けれども、時々その単純なパターンを破って、
    一言、二言付け加えていることに気づきます。
    一番目立つのは、
    タマル、ラハブ、ルツ、
    そしてウリヤの妻という、
    4人の女性たちの名前が
    付け加えられていることでしょう。
    男性たちの名前のみで系図を作ることが
    当然の文化の下で作られたこの系図に、
    敢えてこの4人の女性たちの名前を
    付け加えているのは、とても不自然です。
    どうして彼女たちの名前は
    付け加えられたのでしょうか。

    それは、彼女たちはもともと、
    イスラエルの民ではなかったからでしょう。
    イスラエルの人びとにとって、
    外国人であったけれども、
    イスラエルの民に加えられたのが、
    この4人の女性たちでした。
    この4人の女性たちを紹介することを通して、
    マタイはこの系図が決して
    ユダヤ人だけのためのものではないことを
    伝えようとしているのでしょう。
    イエス・キリストとのつながりがあるのは
    ユダヤ人だけでなく、
    ユダヤ人以外の人びともですよ、と。
    それはまるで、ユダヤ人だけのためではなく、
    すべての人のためにキリストが来たことを
    マタイが伝えているかのようです。

    ただ、この系図の一番の違和感は、
    女性たちの名前が加えられた
    ということではありません。
    おそらく最も大きな違和感を与えているのは、
    「ウリヤの妻」という書き方をしていることでしょう。
    一体なぜ、この女性の名前は
    覆い隠されているのでしょうか。
    ウリヤの妻が有名ではなかったわけでも、
    誰も彼女の名前を知らなかったわけでもありません。
    彼女の名前はバト・シェバです。
    彼女の名前が伏せられている一番の理由は、
    彼女自身の出自が明らかにされていないためなのでしょう。
    バト・シェバの夫であるウリヤは外国人でした。
    そのため、外国人であることを強調するためには、
    バト・シェバの名前を伏せて、
    夫の名前を出す必要がありました。

    でも、本当にそれだけの理由だったのでしょうか?
    ウリヤの妻と記して、彼女の名前を伏せることによって、
    マタイはひとりの人物の過ちを明らかにしています。
    それは、この系図の中でただ一人、
    王と呼ばれている人物である、ダビデの過ちです。
    ダビデは、イスラエルの偉大な王として
    知られている人物でした。
    国が滅びた後も、ユダヤの人びとが、
    ダビデのような王が
    再び現れることを願うほどに、
    彼は理想的な王として
    人びとの間で受け止められていました。

    そんなダビデの過ちとは何だったのでしょうか。
    それは、自分の部下のひとりである
    ウリヤの妻であった、バト・シェバに
    好意を持ってしまったダビデが、
    自分の王としての権力を最大限に用いて、
    彼女の夫であるウリヤを戦死させ、
    バト・シェバを自分の妻にしてしまった
    という事件でした。
    この出来事は、旧約聖書を
    よく知るユダヤの人びとにとって、
    「ウリヤの妻」という名前を聞いただけで、
    簡単に思い出すことのできた出来事だったと思います。
    いやむしろ、バト・シェバと記すよりも、
    ダビデの過ちを強調できたかもしれません。
    そう思うと、一体ダビデのどこが
    理想的な王であり、栄光の王なのかと
    問い掛けたくなることでしょう。

    いや、そもそもイエス・キリストの系図は、
    本当に栄光に溢れる、誇らしい系図なのでしょうか。
    ダビデだけが過ちを犯したわけではありません。
    この系図に記されている一人ひとりの人物の背後に、
    さまざまな歴史があります。
    誇らしい、信仰深い行いもあれば、
    反対に、他人には話せない、
    思い出すだけでも恥ずかしい
    過ちだってあったでしょう。
    誰もが完璧な信仰者ではありませんでした。
    誰もが非の打ち所のない人生を
    送ったわけではありませんでした。
    悩み、誰かとぶつかり合い、傷つき、
    喜びもあれば、悲しみもありました。
    そんな泥臭い、一人ひとりの歩みの中に、
    神が人となって訪れてくださいました。
    完璧で信仰深い家系が続いたから、
    そこに神の子が訪れたわけではありません。
    むしろ、理想の王とみなされていたダビデを筆頭に、
    たくさんの過ちが積み重なった先に、
    イエス・キリストが訪れました。

    なぜなのでしょうか?
    何のためにイエス・キリストは、
    人の罪や過ちが積み重なった先に、人となって、
    わたしたちのもとに来られたのでしょうか?
    それは、わたしたちが
    愛情深く生きているからではありません。
    わたしたちが誰にでも
    手を差し伸べることが出来るからではありません。
    わたしたちが公平に物事を判断でき、
    別け隔てなく人と接することが
    できるからではありません。
    わたしたちがいつも神を愛し、
    神の願いを自分の願いとして
    心に抱いているからではありません。

    イエスさまがわたしたちのもとに来たのは、
    その逆の理由からでした。
    正しく生きたいし、平和を目指したいけれども、
    どうしても過ちを犯してしまう。
    どうしても誰かを傷つけてしまう。
    そんな現実にもがいているわたしたちがいるから、
    イエスさまはわたしたちのもとに来てくださいました。
    公平に人に接するべきだとわかってるし、
    理想は高く持っているけれども、
    どこかでえこひいきしたり、
    時には差別し、排除してしまう、
    そんな現実をわたしたちが抱えているから、
    イエスさまはわたしたちのもとに来てくださいました。
    未来が不透明な現実に頭を抱え、不安を抱いているから、
    イエスさまはわたしたちのもとに来てくださいました。
    イエスさまは、わたしたち一人ひとりの現実の中に訪れ、
    共にいてくださる方です。
    だからわたしたちは神に祈り求めます。
    どうか神がキリストを通して、
    わたしたちのもとを訪れてくださいますように。
    争いや諍いに満ちているわたしたちの世界や日常に、
    平和や他人を思いやる気持ちをもたらしてくださいますように。
    先行きの見えない未来に怯えるわたしたちの心に、
    将来への希望と今を生きる喜びを
    もたらしてくださいますように。
    不公平や不正義がはびこる場所に、
    誰かが当然のように犠牲となっている場所に、
    キリストが訪れ、神の正義がもたらされますように。


週報より

  • 2023.12.10 週報より抜粋・要約

  • ① きょうは礼拝後に、月報『モレノ』の編集会をおこないます。
    モレノのチームのみなさま、よろしくお願いします。
    1月号(新年・クリスマス号)の原稿はきょうが締切日です。
    月報へのご寄稿はいつでもお待ちしています。
    絵、写真、原稿など、なんでも、お気軽にご寄稿ください。
    モレノの製本作業は、いつも通り来週の礼拝の後におこないます。

    ② 2024年の教会カレンダーをお持ち帰りください。
    今年は2種類のカレンダーを選びました。
    お好きな方をお持ち帰りください。
    教会から皆さまへのクリスマス・プレゼントです。

    ③ クリスマス関連の集会のご案内
    12月23日(土)  キャンドルサービス(午後7時30分から)
    12月24日(日)  クリスマス礼拝(午前10時40分より)
    クリスマス祝会(礼拝後。持ち寄りの食事会)
    ④ クリスマス献金にご協力ください。
    牧師へのクリスマス手当、キリスト教関連団体への寄付などに用います。
    受付テーブルの献金袋をご利用ください。

    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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