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朗読箇所

降誕節第1主日

旧約 創世記 1:1−5


13 イザヤは言った。「ダビデの家よ聞け。あなたたちは人間に
もどかしい思いをさせるだけでは足りず
わたしの神にも、もどかしい思いをさせるのか。
14 それゆえ、わたしの主が御自ら
あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み
その名をインマヌエルと呼ぶ。


新約 ヨハネによる福音書 1:1−5

◆イエス・キリストの誕生
18 イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。
19 夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
20 このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
21 マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
22 このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
23 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
24 ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、
25 男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

説教

暗闇が深まる世界で輝き続ける光

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    「闇は光に勝たなかった」と、
    ヨハネは書いています。
    それは、果たして、わたしたちが今年1年を
    振り返るときに抱く感想と同じなのでしょうか。
    コロナ・ウイルスの広がりによって、
    不安と恐怖に包み込まれていた世界が、
    少しずつ以前のような活動を取り戻してきたことは、
    たしかに喜ばしいことです。
    もちろん個人差はありますが、
    マスクを外す機会も徐々に減ってきましたし、
    コロナを理由に個人の行動や活動を制限されることは
    ほとんどなくなってきました。
    またどこかのタイミングで急に
    社会全体に大きな影響を与えるほどに
    ウイルスが広がりだすのではないかという不安は
    心のどこかにありつつも、
    「コロナ禍」と呼んでいたものを
    少しずつ乗り越えつつあるように感じていることは、
    わたしたちにとって良いニュースです。
    ただ、この一年、喜ばしいことばかりではありませんでした。
    世界は希望で溢れ、光に包まれていると言うよりは、
    将来の不安と恐怖で溢れ、
    世界が闇で覆われていると感じる出来事の方が
    遥かに多くありました。
    ロシアとウクライナの間で行われている戦争は
    終わりが見えてきません。
    家族や友人の命、住む場所を奪われるだけでなく、
    ウクライナは新しい兵器の実験場とまでなっています。
    物価は上がり、税金も増えているのに、
    その分の生活の保障は満足になされず、
    富む人はさらに豊かになり、
    貧しい人はさらに奪われる現実が広がっています。
    アイドルグループに所属する若者たちに、長期間にわたって、
    性暴力が繰り返しおこなわれたことが大きく報じられました。
    気候変動が原因で、森林火災や洪水、気温の上昇に
    世界は苦しんでいます。
    ハマスの人びとによって、イスラエルに対して、
    無差別なテロ行為が行われ、
    たくさんの人たちが人質として連れ去られました。
    それに対するイスラエルの過剰な報復攻撃は止まらず、
    ガザで暮らすたくさんの人たちの命を奪い、
    安全と平穏を脅かしています。
    他にも、SNSを開けば、毎日のように
    ハラスメントや暴力や嫌がらせを受けた
    誰かの叫び声が聞こえてきます。
    毎日のように、差別や偏見で溢れた言葉が投稿され、
    当事者が傷つけられています。
    このような現実を見せつけられているわたしたちは、
    素直に首を縦に振って、
    ヨハネの言葉に同意することなどできません。
    いや、むしろ、光は徐々に、か細く、小さく、弱まり、
    暗闇がこの世界を覆っているではないかと感じます。
    わたしたちが希望として抱く光が力を失い、
    暗闇がこの世界にますます広がっていくように感じます。
    それなのに、闇は光に勝たなかったと、
    なぜヨハネは言い切るのでしょうか。

    それは、ヨハネが考える光は、
    わたしたちが自分自身の努力や能力によって
    勝ち取るような光とは違うからです。
    成功や繁栄、夢の実現とは違う、
    わたしたち自身の中から出てくる光とは全く違うものを
    ヨハネは光と言っています。
    ヨハネがわたしたちの希望として伝える光とは、
    神の言葉であり、
    人となってわたしたちの間に来てくださった、
    神の子イエス・キリストです。

    イエスさまが、どのような意味で、
    わたしたちの光であるのかについて、
    ヨハネは、「初めに」と語り始めることから、
    この福音書の物語を始めました。
    実は、ユダヤの人びとにとって、
    「初めに」という意味のギリシア語、エン・アルケーは、
    特別な意味を持っていました。
    というのも、このフレーズは、
    ユダヤの人びとが大切にしていた聖書の、
    つまりわたしたちが旧約聖書と呼ぶものの、
    最初の書物を指し示す言葉でもあったからです。
    古代の書物には、
    現代に生きるわたしたちの手元にあるような
    タイトルはついていません。
    古代の人たちは、特定の書物を指すとき、
    最初のいくつかの単語で呼びました。
    ユダヤの人びとにとって、
    エン・アルケー、はじめに、という言葉は、
    旧約聖書の最初の書物である、
    創世記の最初に記されている言葉です。

    創世記のはじまりにおいて、
    神は世界に向かって語りかけています。
    この世界を造るとき、
    神がまず初めに行ったことが、
    言葉によって語りかけ、
    光をこの世界に与えることでした。
    不思議に思うは、「光あれ」と語りかけ、
    この世界に光を造った後に、
    神が太陽を造ったことが記されることです。
    自然界において、何よりも大きな光の源といえば、
    太陽のはずです。
    これがなければ、闇のままのはずです。
    ですから、どこか矛盾しているかのようにも感じます。
    もちろん、創世記1章の物語は、
    科学的な物語ではなく、
    古代の人びとの信仰のレンズで見た、
    この世界の姿を描いているので、
    科学的に誤りがあるのは当然のことです。
    創世記1章は、そういった科学的に世界を見た
    その観察結果を伝えようとしているのではなく、
    わたしたちを包み込む信仰的な現実を
    象徴的に表しています。
    また、神が初めに創り出したその光は、
    太陽の光がこの世界を照らすよりも前に、
    他のどんな光がわたしたちを照らすよりも前に、
    この世界のはじまりのときに、
    神が「光あれ」と語りかけることによって、
    この世界のすべてと、そこに住むすべての生き物と、
    わたしたち自身を照らし出してくださった光です。
    そして、「光あれ」というその言葉から、
    まさに、この世界が命に溢れていったことを
    創世記はそのはじめに物語ります。

    ヨハネは、このように世界のはじまりを祝福し、
    世界に決して失われることのない光を与え、
    世界を命で溢れさせた神の言葉と、
    イエス・キリストを結びつけています。
    闇に包まれ、混沌であった世界に、
    神がはじめに語りかけ、光で照らしたように、
    暗闇が広がり、その暗さが
    更に深まっていくように思えるこの世界に、
    イエス・キリストが光として来てくださいました。
    これがヨハネが強く確信し、
    福音書のはじめに宣言していることです。
    それはまるで、イエス・キリストを通して、
    新しい創造が始まるかのようです。
    イエス・キリストを通して、命が新しくされる。
    そのような出来事が始まるかのようです。
    そうです。
    小さな光に見えるかも知れないけど、
    この世界を照らし出すために、
    イエスさまはわたしたちのもとに来てくださいました。
    暗闇はまだまだ深いし、広がっているように感じます。
    だけど、わたしたちに命を与え、
    わたしたちを新しく生かす世界の光として、
    イエス・キリストはわたしたちのもとに来てくださいました。
    その光は、あのクリスマスの日から、
    イエス・キリストが産まれたあの日から、
    ずっと輝き続けています。
    それは、人の悪や罪がどんどん膨れ上がり、
    暗闇が広がっているように見える、
    今のこの時代において、決して変わりません。
    主イエスにあって、この世界は照らされ続けています。
    イエスさまは、暴力に晒される世界の中で、
    それでも、憎しみに押し流されないように抵抗し、
    平和を求めて、人を愛することを決して諦めない姿を
    十字架の死へ向かって歩むことを通して示されました。
    報復が当たり前の世界で、
    イエスさまは、人を赦す生き方があることを示されました。
    成功や繁栄こそが人の光だと信じてやまない世界で、
    自分のものを分け合うことを通して、
    他の人のいのちが豊かになる道があることを示されました。
    そして、争いや衝突が終わらず、
    深い暗闇へと歩んで行く世界で、
    お互いを愛し合って、支え合って生きていける、
    天のみ国へと続いていく道があることを示されました。
    ですから、たとえどれほど
    この世界に暗闇が広がっていったとしても、
    わたしたちから光が奪われることはありません。
    主キリストこそが、暗闇の中で輝き続ける、
    わたしたちの光だからです。
    ますます暗闇が広がっていくように感じる世界だからこそ、
    わたしたちは主キリストが
    わたしたちの光として来てくださっていることを
    忘れずにいましょう。
    そして、どうか、主キリストを通して受け取った光が
    みなさんを通して、少しずつでも、
    この世界へ広がっていきますように。
    深まり続ける闇の中であっても、
    たしかな光をわたしたちは与えられているのですから。


週報より

  • 2023.12.31 週報より抜粋・要約

  • ① きょうは2023年最後の礼拝でした。
    良いときも悪いときもわたしたちの信仰の旅路を導いてくださった
    神に感謝をしつつ、共に礼拝するひとときを持ちましょう。
    新しい年が神さまの恵みと祝福のうちにあることを祈ります。
    あす、2024年最初の日は元旦礼拝をおこないます。
    例年通り、元旦礼拝は11時からはじめます。

    ② 来週の日曜日、礼拝後に餅つきをおこないます。
    来週の餅つきの準備や段取りなどについて、相談が必要です。
    準備などにご協力いただける方は礼拝後に横の部屋にお集まりください。

    ③ 来週は礼拝後に月例教会役員会を予定しています。
    礼拝後に餅つきをする予定ですし、今のところ大きな議題もありませんので、
    1月の役員会は短縮で行う予定です。

    ④ クリスマス献金にご協力ください。
    牧師へのクリスマス手当、キリスト教関連団体への寄付などに用います。
    受付テーブルの献金袋をご利用ください。


    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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