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朗読箇所

公現後第4主日

旧約 出エジプト記 12:14−28


14 この日は、あなたたちにとって記念すべき日となる。あなたたちは、この日を主の祭りとして祝い、代々にわたって守るべき不変の定めとして祝わねばならない。
15 七日の間、あなたたちは酵母を入れないパンを食べる。まず、祭りの最初の日に家から酵母を取り除く。この日から第七日までの間に酵母入りのパンを食べた者は、すべてイスラエルから断たれる。
16 最初の日に聖なる集会を開き、第七日にも聖なる集会を開かねばならない。この両日にはいかなる仕事もしてはならない。ただし、それぞれの食事の用意を除く。これだけは行ってもよい。
17 あなたたちは除酵祭を守らねばならない。なぜなら、まさにこの日に、わたしはあなたたちの部隊をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、この日を代々にわたって守るべき不変の定めとして守らねばならない。
18 正月の十四日の夕方からその月の二十一日の夕方まで、酵母を入れないパンを食べる。
19 七日の間、家の中に酵母があってはならない。酵母の入ったものを食べる者は、寄留者であれその土地に生まれた者であれ、すべて、イスラエルの共同体から断たれる。
20 酵母の入ったものは一切食べてはならない。あなたたちの住む所ではどこでも、酵母を入れないパンを食べねばならない。』」
21 モーセは、イスラエルの長老をすべて呼び寄せ、彼らに命じた。「さあ、家族ごとに羊を取り、過越の犠牲を屠りなさい。
22 そして、一束のヒソプを取り、鉢の中の血に浸し、鴨居と入り口の二本の柱に鉢の中の血を塗りなさい。翌朝までだれも家の入り口から出てはならない。
23 主がエジプト人を撃つために巡るとき、鴨居と二本の柱に塗られた血を御覧になって、その入り口を過ぎ越される。滅ぼす者が家に入って、あなたたちを撃つことがないためである。
24 あなたたちはこのことを、あなたと子孫のための定めとして、永遠に守らねばならない。
25 また、主が約束されたとおりあなたたちに与えられる土地に入ったとき、この儀式を守らねばならない。
26 また、あなたたちの子供が、『この儀式にはどういう意味があるのですか』と尋ねるときは、
27 こう答えなさい。『これが主の過越の犠牲である。主がエジプト人を撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのである』と。」民はひれ伏して礼拝した。


新約 ヨハネによる福音書 1:29−34

◆神の小羊
29 その翌日、ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。
30 『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。
31 わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」
32 そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。
33 わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。
34 わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」

説教

見よ、神の小羊を

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    イエス・キリストとは、一体誰だったのか?
    どういう人物で、どんなことをしたのだろうか?
    それは福音書を読むわたしたちの興味であると同時に、
    洗礼者ヨハネを取り巻く人たちの
    大きな関心ごとでもありました。
    彼らは、洗礼者ヨハネに対して、
    色々な期待を寄せていました。
    彼は、救い主メシアではないか。
    預言者エリヤの再来ではないか。
    といったように、人びとはヨハネについて
    あれこれと噂話をしていました。
    でも、当の本人は、人びとが自分に対して抱く
    そんな期待をすべて否定します。
    自分よりも後に来る人の方が、
    自分よりも優れていると伝えて、
    ヨハネは自分以外の人を指し示すのです。
    その人こそ、暗闇の中で光り輝く、わたしたちの光。
    その人こそ、わたしたちの命。
    あくまでも、自分はその人を指し示すためにいるから、
    どうか、その人を見てくれ、といったように。
    洗礼者ヨハネがこんな調子なのですから、
    ヨハネがそんな風に伝える人物が一体どんな人なのか、
    ヨハネを取り巻く人たちは
    気になって仕方なかったと思います。

    さぁ、いよいよその時がやって来ました。
    イエス・キリストがヨハネのもとに訪れました。
    そう、ヨハネが自分ではなく、
    この人と示し続けた人物が
    ついにヨハネのもとに訪れました。
    ヨハネは、「この人だ」と声高に叫び、
    キリストを指し示します。
    このとき、ヨハネは、
    「見よ、世の罪を取り除く
    神の小羊だ」(ヨハネ1:29)と
    とても印象的な言葉で
    イエスさまを紹介しました。

    その場にいる人たちは、どんな気持ちで
    ヨハネの言葉を聞いたのだろうかと想像します。
    小羊という言葉を聞いて、
    わたしは弱々しい印象を受けます。
    というのも、羊は人間の世話を必要とする、
    家畜化された動物だからです。
    家畜化された動物ですから、羊にとっては、
    人間と共に生きることが、ある意味で当たり前です。
    羊は、羊飼いの助けを得て、
    安全に生きることが出来る動物です。
    羊の群れは、羊飼いの導きがなければ、
    簡単に迷ってしまいます。
    また、羊がその群れを離れて野生化したとしても、
    多くの場合は、肉食動物に捕まり、
    餌として食べられてしまいます。
    彼らに抵抗する力などありません。
    ヨハネがここでイエスさまを指すときに使う
    「小羊」という言葉は、1歳程度の羊を指します。
    動物の成長は人間よりもかなり早いものですが、
    まだ成長しきっているわけではない状態ですので、
    「小羊」と訳されています。
    自分の力では多くのことは出来ず、
    迷いやすく、まだ成長もしきっていない。
    そんな小羊のような存在として、
    紹介されているイエス・キリストに
    頼りなさを感じてしまいます。
    正直、人の身勝手さに翻弄されてしまいそうですし、
    どこに希望があるのかわからない印象を受けます。

    ですから、正直、イエスさまに当てはめるべき、
    もっと良い比喩表現があるのではないかと考えてしまいます。
    たとえば、クマやライオン。
    とても力強いイメージを与えるため、
    とても頼りになるリーダーシップを発揮して、
    人びとを導いてくれそうな印象を与えます。
    とくにライオンは、王さまの権力を示すのに、
    古代イスラエルではとても好まれたイメージでした。
    また、鳥も良いイメージを伝える
    表現となったと思います。
    親鳥がその翼によって雛鳥を守るように、
    信仰者たちを守る救い主というイメージを
    伝えることができそうです。
    でも、ヨハネはイエスさまを示す比喩表現として、
    そういった動物たちを選びませんでした。
    信仰者たちを導く、力のある王としてでもなく、
    人びとを守り、かくまう存在でもなく、
    無力な小羊としてイエス・キリストを紹介しました。
    なぜでしょうか。
    なぜヨハネは、イエスさまを人びとに紹介するとき、
    一番はじめにそんな弱々しいイメージを選んだのでしょうか?

    それは、小羊という言葉に、
    旧約聖書が伝えるイメージを込めたからです。
    洗礼者ヨハネの言葉には、
    旧約聖書のいくつかの物語が提供する
    メッセージが込められています。
    きょう、わたしたちは旧約聖書から、
    出エジプト記12章を読みました。
    この出エジプト記に記されている出来事こそが、
    ヨハネの言葉に込められたメッセージの一つです。
    それは、イスラエルの民がエジプトで
    強制労働をさせられているときのことでした。
    このとき、神がイスラエルの民の叫びを聞いて、
    彼らをエジプトから救い出し、
    奴隷の身分から解放し、彼らに自由を与えました。
    神によって与えられた救いを
    決して忘れることなく、思い起こし続けることが出来るように、
    その記念として毎年守るようにと伝えられているのが、
    過越祭と呼ばれるお祭りでした。
    エジプトで奴隷であったイスラエルの民が
    神の民とされ、自由を与えられたことを
    記念する大切なお祭りです。
    今もユダヤ人の間で、
    3月または4月にお祝いされているほど、重要な祝祭です。
    聖書の時代、このお祭りが始まる前の日に用意されたのが、
    一匹の、傷のない、1歳のオスの小羊でした。
    この小羊は、次の日から始まるお祭りのために、
    その日の夕暮れに犠牲として屠られました。

    ヨハネ福音書は、過越祭の前日に用意されるこの小羊を
    イエスさまとを重ね合わせています。
    というのも、イエスさまが十字架にかけられ、
    十字架の上で息を引き取った日を
    過越祭の前日の出来事として
    ヨハネ福音書は描いているからです(19:14参照)。
    過越祭がイスラエルの民が奴隷から解放され、
    自由とされ、神の民とされたことを記念する日であったように、
    イエス・キリストが十字架にかけられた出来事は、
    解放と自由をすべての人に伝える出来事でした。
    神の小羊であるイエスさまの十字架上での死を通して、
    神は、すべての人を罪の束縛から解放し、自由とし、
    すべての人を神の子として受け入れてくださいました。
    だから、このとき、イエスさまは
    ライオンやクマや鳥とは表現されませんでした。
    弱々しく、人びとの犠牲として捧げられる小羊。
    小羊イエスとして、人びとの前に登場したのです。

    ですから、イエスさまこそが「世の罪を取り除く」と
    洗礼者ヨハネが叫んだとき、
    罪を取り除くその方法として考えられたのは、
    圧倒的な力を示すことではなかったことは明らかです。
    大きな権威によって、驚くべき神の奇跡によって、
    この世界にあふれる暴力や不正義が
    一掃されるわけではありません。
    眩しい光を当てられて、憎しみが一瞬で消え去るわけでもなく、
    急に愛情が心に溢れてきて、争いが終わり、
    赦しや和解が成立するわけでもありません。
    神が選んだ方法は、イエスさまをわたしたちのもとに
    弱々しい、小羊として送ることでした。
    人の罪を消し去る力を振りかざすのではなく、
    むしろ、人の罪や悪意に翻弄され、傷つけられ、
    命を奪われていくのが、
    神の小羊であるイエスさまが歩んだ道でした。
    罪の赦しをすべての人に与えるために、
    神が選んだ方法は、神の子であるイエスさまが
    自らの命を削り、その生命を奪われるという道でした。

    「見よ、神の小羊を」と、
    洗礼者ヨハネは、わたしたちに向かっても叫んでいます。
    それは、憎しみや暴力や争いに飲み込まれ、
    傷ついていくキリストの姿です。
    けれどもそれは、決して終わらない、暴力や争い、
    人間の罪や悪意の連続を断ち切るための神の方法です。
    神は、もうこれで終わりにしたいと願っています。
    小羊であるイエスさまの姿を見つめたわたしたちが、
    暴力や争いの連続を選び、
    そこに加担するのではなく、
    罪や悪に染まった道を選ぶのでもなく、
    ただただ、わたしたちが神の愛と憐れみに生きる自由を
    選び取り続けて欲しいと神は願っています。
    神が小羊であるイエスさまをわたしたちのもとに遣わし、
    洗礼者ヨハネをはじめ、
    ヨハネ福音書の物語がわたしたちに向かって、
    神の小羊であるイエスさまを見よと、指し示しています。
    そう、神の小羊を見つめることから、
    わたしたちの日々の歩みを始めるようにと、
    神はわたしたちを促しています。
    暴力や憎しみに加わっていくのではなく、
    神がわたしたちに与えてくださった、
    自由と平和、愛と憐れみをもって生きる、
    わたしたちのこの歩みは、
    神の小羊を見つめることから始まります。
    神の小羊キリストのもとで、
    あらゆる暴力とあらゆる悪が終わりを告げ、
    人間のあらゆる罪が赦されます。
    神の小羊キリストのもとから、
    愛と憐れみが流れ出てきます。
    神の小羊キリストのもとから、
    平和と和解の道がはじまります。
    だから、わたしたちは喜びと希望をもって
    ヨハネの声に耳を傾けます。
    「見よ、神の小羊を」と叫び、
    主イエスを指し示すあの声に。
    祈りましょう。

週報より

  • 2024.1.28 週報より抜粋・要約

  • ① 月報『モレノ』2月号が完成しました。
    ご協力くださったみなさま、ありがとうございました。

    ② 『交読詩編』購入のお知らせ
    礼拝での朗読聖書が聖書協会共同訳に変更したことにより、
    詩編交読の訳も新しくする必要があります。
    教会の備品として、新しく30部の『交読詩編』を購入予定です。
    昨年、天に召された佐々木法子さんの記念として購入します。
    個人用の購入をご希望の方は、牧師までお知らせください。
    教会用と一緒に注文をします。

    ③ 教会教育委員会主催のリレー講義の順延のお知らせ
    『道・真理・命 〜 恵みの旅としての弟子の歩み』という書籍を用いて学ぶ、
    リレー講義が午後4時から予定していましたが、
    担当者の都合により、2月25日(日)に延期となりました。

    ④ 今月25日に福岡教会牧師の矢野正教先生が天に召されました。
    福岡教会の方々と矢野先生のご家族の上に神の慰めを祈ります。
    福岡教会のこれからの歩みのために覚えてお祈りください。

    ⑤ 【公告】 年次教会総会のお知らせ
    2月18日(日)の礼拝後に、年次教会総会を開催します。
    教会員の皆さまはご出席ください。
    やむを得ず欠席をされる方は、委任状のご提出をお願いします。
    委任状の書式はとくにありません。
    委任状は、LINEでのメッセージやメールでも提出可能です。

    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください。
    受付テーブルの上にある家の箱で集めた募金は、
    ナザレン教会を通してボランティア団体、各被災自治体などへ送金されます。

    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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