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朗読箇所

公現後第5主日

旧約 サムエル記 上 3:1−10

◆サムエルへの主の呼びかけ
1 少年サムエルはエリのもとで主に仕えていた。そのころ、主の言葉が臨むことは少なく、幻が示されることもまれであった。
2 ある日、エリは自分の部屋で床に就いていた。彼は目がかすんできて、見えなくなっていた。
3 まだ神のともし火は消えておらず、サムエルは神の箱が安置された主の神殿に寝ていた。
4 主はサムエルを呼ばれた。サムエルは、「ここにいます」と答えて、
5 エリのもとに走って行き、「お呼びになったので参りました」と言った。しかし、エリが、「わたしは呼んでいない。戻っておやすみ」と言ったので、サムエルは戻って寝た。
6 主は再びサムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言った。
7 サムエルはまだ主を知らなかったし、主の言葉はまだ彼に示されていなかった。
8 主は三度サムエルを呼ばれた。サムエルは起きてエリのもとに行き、「お呼びになったので参りました」と言った。エリは、少年を呼ばれたのは主であると悟り、
9 サムエルに言った。「戻って寝なさい。もしまた呼びかけられたら、『主よ、お話しください。僕は聞いております』と言いなさい。」サムエルは戻って元の場所に寝た。
10 主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」


新約 ヨハネによる福音書 1:35−42

◆最初の弟子たち
35 その翌日、また、ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。
36 そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。
37 二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。
38 イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ――『先生』という意味――どこに泊まっておられるのですか」と言うと、
39 イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。
40 ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。
41 彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア――『油を注がれた者』という意味――に出会った」と言った。
42 そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ――『岩』という意味――と呼ぶことにする」と言われた。

説教

主イエスは問いかけながら、招く

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    福音書は、イエス・キリストを
    人びとに紹介するために記されています。
    でも、ヨハネ福音書はここまで、
    イエスさま自身の言葉を記してきませんでした。
    ヨハネ福音書がここまで何度も語り続けていることは、
    イエス・キリストが誰なのかを指し示すことです。
    わたしたちの光であるイエスさまを見てください。
    わたしたちの命の源である
    イエスさまを見つめてください、というように。
    イエスさまが現れたときも、
    洗礼者ヨハネがイエスさまを指し示し、
    イエスさまがどのような人かを説明し続けます。
    けれど、この福音書を
    読み進めるわたしたちは、ここに至るまで、
    イエスさま本人の言葉を聞くことはできませんでした。
    ここにきてようやく、ついに、
    ヨハネ福音書はイエスさまの言葉を紹介します。

    この福音書が一番最初に紹介する
    イエスさまの言葉は、
    イエスさまのもとに来たふたりの人たちに、
    イエスさまが問いかけるものでした。
    「何を求めているのか」。
    イエスさまのこの問いかけは、
    「何を探しているのか」とも訳せます。

    あなたたちは、何を探しているのですか。
    そんな風に急に問いかけられても、
    答えるのはとても難しいものです。
    一体、何を求めて、何を探して、
    人びとはイエスさまのもとに近づいてきたのでしょうか。
    新約聖書に収められている、4つの福音書を読んでみると、
    ある人たちは、病気を癒やしてもらうために、
    ある人たちは、イエスさまの起こす奇跡を見るために、
    またある人たちは、イエスさまの語る言葉を聴くために、
    イエスさまのもとに来たことがわかるでしょう。
    みんなが集まってくるから自分も来てみた、
    という人たちもいたことでしょう。

    また、わたしたち自身も、
    一体、何を求めて、何を探して、
    イエスさまのもとに来るのでしょうか。
    生きる知恵を求めてでしょうか。
    心の平安を求めてでしょうか。
    正義や愛を知るためでしょうか。
    抱えている問題の解決を求めてでしょうか。
    苦しい状況の中に救いを求めてでしょうか。
    どんな理由であれ、イエスさまは振り返り、
    わたしたちに問いかけるでしょう。
    何を求めているのか。
    何を探しているのか。
    わたしたちの願いは何なのでしょうか。
    わたしたちの心の奥深く、
    わたしたちの存在の根っこの部分で、
    わたしたちは一体何を求め、
    何を探しているのでしょうか。
    何度も何度も繰り返して、考えてみたくなる問いかけです。

    ただ、イエスさまのこの問いかけは、
    洗礼者ヨハネのふたりの弟子たちが、
    明確な目的をもって近づいて来たから、
    彼らの動機を考え直してもらうために
    伝えたというものではありませんでした。
    というのも、彼らはただイエスさまの後をついて行くだけで、
    それ以上の行動を起こせずにいました。
    自分たちの大切な指導者である、
    洗礼者ヨハネが自分よりも重要な人物だと言うから、
    イエスさまの後をついて来たのはいいけど、
    話しかけることもできずにいました。
    そんな風に躊躇する彼らの存在に気づき、
    イエスさまは彼らの方を振り返って、
    「何を求めているのか」「何を探しているのか」と、
    彼らに問いかけることから、
    イエスさまと彼らの対話は始まりました。
    イエスさまの方から関わりを持とうとすることから、
    彼らの関係が始まりました。
    イエスさまに一体自分は何を求めているのだろうか。
    イエスさまのもとで、一体何を探しているのだろうか。
    イエスさまにそのように問いかけられたからこそ、
    イエスさまと関わる中で、
    彼らは自分の心の奥深くの願いや
    存在の根底にある思いや叫びに向き合い続け、
    考え続けることになったと思います。

    さて、そんな問いかけを受けた
    このふたりの人たちは、
    「どこに泊まっておられるのですか」と
    イエスさまに問いかけました。
    イエスさまの寝泊まりしている場所を
    彼らが知りたかったわけではありません。
    彼らは、イエスさまと時間を
    共にしたいと願ったのでしょう。
    だって、彼らはイエスさまのことを
    ほとんど知らなかったのですから。
    自分たちの大切な指導者である、
    ヨハネがこの人こそ光だと伝えるイエスさまを知るために、
    イエスさまとゆっくり話をしてみたかったのです。
    ただ単に顔見知りになるのではなく、
    イエスさまと本当の意味で出会いたかったのです。

    そんな彼らに、イエスさまは
    「来なさい。そうすれば分かる」と答えます。
    どこにイエスさまが泊まっているのか、
    その場所がわかるようになる
    という意味ではありません。
    ここでイエスさまが使っている言葉は、
    直訳すると、「来なさい、
    あなたたちは見るだろう」です。
    イエスさまについて来て、一緒に歩み、旅をして、
    イエスさまと共にいるならば、
    イエスさまのあらゆる行動を見て、
    イエスさまのことを知ることになる。
    イエスさまを通して、
    神を見つめることにもなるだろう。
    そして、イエスさまを見ることを通して、
    神がこの方を通して、わたしたちに行おうとしていることを
    わたしたちは見ることになるだろうということです。

    実際、イエスさまについて来たこのふたりも、
    イエスさまと出会った他の弟子たちも、
    イエスさまと一緒に時間を過ごし、この人を見つめる中で、
    イエスさまと出会いました。
    このときの出来事は、このふたりにとって、
    心を震わせ、人生を変えられる
    出会いだったからでしょう。
    午後4時頃と、時間が記されています。
    日がもうすぐ暮れるため、
    旅立つには遅すぎる時間であり、
    彼らがイエスさまのもとに泊まった理由を
    説明するためにこの時間は記されたのでしょう。
    けれど、やはりそれ以上に、
    イエスさまと出会ったこの出来事を
    他の人たちに証言したこのふたりにとって、
    この瞬間は忘れられない瞬間だったことを
    伝えているかのようです。
    午後4時頃、日暮れの少し前の時間帯に、
    わたしたちは主イエスと出会った。
    「何を求めているのか」とイエスさまから問いかけられ、
    自分の心の底で求めているものと向き合っている中で、
    「来なさい。見ることになるだろう」と呼びかけられた。
    これがわたしたちとイエスさまの出会いでしたと、
    ふたりの人はこの福音書を通して、
    わたしたちに証言しているのです。
    でも、彼らはすぐにイエスさまについて
    すべてのことを知ったわけでも、
    すぐさまイエスさまによって起こる
    神の働きのすべてのことを見たわけではありません。
    彼らは時間をかけてイエスさまと旅をし、
    イエスさまのことを見て、イエスさまと神を知っていきました。
    そして、イエスさまと一緒に過ごす中で少しずつ、
    自分が何を求めているのか、
    何が本当に必要であるのかを知っていきました。

    ひとつ興味深いことに、ヨハネ福音書は、
    このふたりの弟子たちが誰であるのかについて、
    ひとりの名前のみを明らかにしています。
    ペトロの兄弟であるアンデレのみを
    わたしたちに知らせています。
    もう一人は誰だったのでしょうか。
    もう一人の名前は、
    なぜ明らかにされていないのでしょうか。
    聖書学者たちは、「イエスの愛しておられた弟子」と
    この福音書の中で呼ばれている人物を想定しています。
    この福音書を記した著者自身が、自分の存在をそこに描き、
    イエスさまとの出会いを思い起こしているのでしょう。

    けれど、名前を敢えて記さないことによって、
    著者はこのイエスさまと出会った瞬間に、
    この福音書の物語を読み、耳を傾ける、
    わたしたちのことも招こうとしているように思えます。
    名前のわからないこの弟子と、
    あなたの姿を重ね合わせてください。
    あなたもイエスさまから「何を探しているのか」と、
    問いかけられているんですよ。
    あなたは何を必要としているんですか。
    人に愛されることですか。
    失敗や挫折のない人生を送ることですか。
    何も恐れない強い心を持つことですか。
    まわりの人と平和に生きることですか。
    どうか、その願いや叫びを包み隠さないで、
    イエスさまのもとに持ってきてください。
    アンデレにも、名前を知られていないこの人にも出会い、
    「来なさい」と呼びかけてくださったように、
    イエスさまは今日も、あなたに呼びかけておられるんですよ。
    「来なさい。見るようになるだろう」と言って、
    心にいろいろな願いを抱き、叫びを抱えるあなたに、
    イエスさまが出会い、関わってくださるんです。
    だから、どうかイエスさまのもとに来てください。
    そんな風に、この福音書の物語は、
    わたしたちに呼びかけているかのようです。

    きょう、わたしたちは何を求めて、
    イエスさまと出会うのでしょうか。
    どんな願いであっても、どんな叫びであっても、
    わたしたちが抱くものすべてをイエスさまは受け止め、
    わたしたちと出会い、
    わたしたちと信仰の旅路を共に歩んでくださいます。
    イエスさまはわたしたちに問いかけながら、
    わたしたちをこの旅へと招いています。
    「何を探しているのか」。
    イエスさまとの歩みを通して、
    わたしたちは何度も、何度も、
    新しい自分の願いや叫び、
    怯えて、不安に支配される心とも出会うのでしょう。
    どんな風に人を愛したら良いのか。
    どんな風に生きれば良いのか。
    何を頼りにして歩めば良いのか。
    わからない。
    絶対これが正しいという答えもすぐには見つかりません。

    けれど、イエスさまは
    そんなわたしたちの声を聞きたがっています。
    何を探しているのかと、問いかけておられます。
    さぁ、あなたの話を聞かせてください。
    こっちにおいでよ。
    一緒にこの旅を歩みながら、探していこう。
    神があなたたちの間に立って、
    その願いや叫び、不安な思いや心の葛藤に耳を傾けて、
    自分の力ではどうしようも出来ない状況に、
    手を伸ばしてくださるのだから。
    そのような出来事を、あなたたちは見ることになるのだから。
    きょうも、イエスさまは
    わたしたちに問いかけ、呼びかけています。
    何を探しているのか。
    わたしのもとに来なさい。
    そうすれば、神の働きを見るようになるだろう。

週報より

  • 2024.02.04 週報より抜粋・要約

  • ① きょうはティータイム後に、月例役員会をひらきます。
    教会役員のみなさまよろしくお願いします。

    ② 『交読詩編』の購入についてのお知らせ
    個人用の『交読詩編』の購入希望の方のリストを
    受付テーブルの上に置いておきます。
    希望を出された方は、ご自分の名前があるかをご確認ください。
    個人用の購入は、きょうまで注文を受け付けたいと思います。

    ③ 来週の礼拝後に、月報『モレノ』の編集会をおこないます。
    モレノチームのみなさま、よろしくお願いします。

    ④ あすは神学校の卒論発表会と関東地区の牧師研修会が開催されます。
    あす午前に、ナザレン神学校を卒業論文発表会がZoomで開催されます。
    次の3月に卒業予定の國安洋子神学生が発表予定です。
    卒論発表会とその前の教授会に、基嗣牧師が出席予定です。
    午後は、地区の牧師研修会が目黒教会で開催されます。
    「ポスト・コロナと教会: 三位一体論から教会の在り方を再考する」
    という題で、石田学先生が講演をしてくださいます。
    良い会となるよう、お祈りお願いします。

    ⑤   【公告】 年次教会総会のお知らせ
    2月18日(日)の礼拝後に、年次教会総会を開催します。
    教会員の皆さまはご出席ください。
    やむを得ず欠席をされる方は、委任状のご提出をお願いします。
    委任状の書式はとくにありません。
    委任状は、LINEでのメッセージやメールでも提出可能です。

    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください。
    受付テーブルの上にある家の箱で集めた募金は、
    ナザレン教会を通してボランティア団体、各被災自治体などへ送金されます。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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