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朗読箇所

四旬節第3主日

旧約 エゼキエル書 36:25−27


25 わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。
26 わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石の心を取り除き、肉の心を与える。
27 また、わたしの霊をお前たちの中に置き、わたしの掟に従って歩ませ、わたしの裁きを守り行わせる。


新約 ヨハネによる福音書 3:1−10

◆イエスとニコデモ
1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。
2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」
3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」
4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」
5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。
6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。
7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。
8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」
9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。
10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。

説教

新しく生まれるってどういうこと?

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    毎週日曜日、礼拝堂に必ず置かれているものがあります。
    それは、パンを置き、ぶどうジュースを入れる
    聖晩餐用のセット。
    そしてもうひとつは、この説教卓の前にある、
    洗礼用のカップです。
    それぞれ聖晩餐や洗礼式がおこなわれるときに、
    パンが置かれ、ぶどうジュースが杯に注がれ、
    そして水がカップの中に注がれます。
    どちらの式も毎週行われるわけではありません。
    それなのに、なぜ礼拝堂に常に置かれているのでしょうか。
    それは、わたしたちがいつも思い起こすためです。
    パンと杯を囲み、割かれたパンを受け取るとき、
    わたしたちの手元に来るパンは、
    わたしたちに罪の赦しを得させるために、
    キリストが傷ついたことの象徴です。
    また、手渡される杯は、
    わたしたちが自分や他人の命をすり減らすのではなく、
    キリストにあってこのいのちを喜び、
    キリストにあって新しくいのちを得ることを
    わたしたちに象徴的に伝えます。
    そして、教会に集う信仰の友たちとパンを食べ、
    杯に入れられたぶどうジュースを
    教会のメンバーと一緒に飲む。
    そんな教会の交わりの経験をいつも思い起こすために、
    聖晩餐がない日も、これらの用具はここに置かれています。

    洗礼用のカップも同じです。
    たとえ洗礼式がなくても、
    わたしたちは自分や
    ここにいる教会のメンバーが
    水を頭や額に注がれ、
    父と子と聖霊の御名によって、
    洗礼を授けられたことをいつも思い起こすために、
    ここに置かれています。

    じつはきょう、洗礼用のカップに水を入れました。
    洗礼式があるからではありません。
    きょう読んだヨハネ福音書の物語の中で
    イエスさまがニコデモに向かって
    「人は、新たに生まれなければ、
    神の国を見ることはできない」(3節)
    と語っているからです。
    わたしたちを新しくするために、
    神が用いた方法こそが
    水と聖霊を用いることでした。

    けれども、わたしたちはイエスさまのそんな言葉に対して、
    疑問を投げかけ、理解できないでいるニコデモと出会います。
    どうしてそんなことがありえるのか。
    わたしたちは本当に
    新しくなることが出来るのだろうか。
    また赤ん坊に戻ってやり直さないとだめなのか。
    そんなこと、どう頑張ってもできない。
    無理です。
    わたしは変われません。
    新しくなれません。
    そんな風に語るニコデモの疑問もよくわかります。

    ニコデモが新しくなることに対して、
    お手上げであるのは、とても象徴的です。
    彼はユダヤ人たちの指導者です。
    おそらくサンヘドリンと呼ばれる、
    ユダヤ人たちの議会のメンバーでした。
    イエスさまがニコデモのことを
    イスラエルの教師と言っているので、
    聖書のことにも精通していました。
    彼はヨハネ福音書の中であと2回登場しますが、
    彼が登場する他の箇所からは、
    彼が多くの財産を持っていることが
    推測できます(19:39参照)。
    政治的にも、宗教的にも、経済的にも力があり、
    能力のある優秀な彼が自分では変われない。
    新しく生きることができないと言っています。

    自分では新しくなれない。
    変わることができない。
    それは、わたしたちも同意するところです。
    わたしたちは、この時代、この文化の水に
    どっぷりと浸かって生きているため、
    どう足掻いても、どれだけ抵抗しても、
    良い意味でも、悪い意味でも、
    時代の文化や価値観に染まっています。
    長年染み付いた生き方や
    考え方を変えるのは困難です。
    誰かを傷つけてしまったり、
    失敗を重ねてしまったり、
    何とか軌道修正をしていこうと思っても、
    変えられるのはほんの僅かなことが多いです。
    だから、イエスさまの言葉に驚かされます。
    「人は、新たに生まれなければ、
    神の国を見ることはできない。」
    神の国は、神が支配される領域のことです。
    つまり、わたしたちが新しく生まれなければ、
    神の平和も、神の正義も見ることはできない。
    体験することもできない。
    そのようにイエスさまは伝えているのです。
    ニコデモもわたしたちも無理と言っているのに、
    イエスさまは無理難題を押し付けているのでしょうか?
    変わることができない、新しく生きることができない、
    そんなわたしたちをイエスさまは
    絶望させたいだけなのでしょうか?

    そんなことはありません。
    実は、「新しく生まれなければならない」という、
    イエスさまの言葉にはふたつの意味が込められています。
    「新しく」と訳されている言葉は、
    「上から」とも訳せます。
    翻訳という作業は、意味をひとつに決めなければならないので、
    二重の意味がある言葉の片方の意味が
    わからなくなってしまうことがあります。
    二重の意味を持っている言葉だからこそ、
    ニコデモは片方の意味にばかり捕らわれてしまいました。
    どうやったら新しくなれるのだろうか。
    自分の力でどうにかする道に捕らわれてしまいました。
    けれども、イエスさまは「上から」という意味を込めています。
    つまり、それは、神によって変えられ、
    神によって新しくされるという道です。
    それは、水と霊を用いた方法でした。

    水と霊によって新しくされる。
    それは、イエスさまが生み出した発明ではありませんでした。
    旧約聖書の時代でも約束されている方法です。
    きょうは旧約聖書からエゼキエル書を開きました。
    預言者エゼキエルを通して、
    神はイスラエルの民に水を振りかけ、その水を通して、
    神が彼らをあらゆる罪の汚れから清めると語っています。
    そして、霊を与えることを通して、
    心を新しくすると約束しています。
    イエスさまはニコデモとの対話の中で、
    彼に伝えているのです。
    「ニコデモ、これはあなたに起こることだよ」と。
    水によってあなたは清くされ、
    聖霊によってあなたは新しくされる。
    水と霊を受けるとき、あなたを新しくする
    神の働きが始まるんだよ。
    イエスさまはニコデモとの対話の中で、
    彼にこのことを伝えようとしています。

    水と霊によって、新しくされる。
    わたしたちは洗礼式を通して、
    そして、洗礼用のカップを
    この礼拝堂に置き続けることを通して、
    その事実を思い起こし続けています。
    水と霊によって、新しくされることは、
    わたしたちの教会がこの小山の地に建つ前から、
    日本に福音が届くよりもはるかに前から、
    キリスト教会が抱き続けてきた確信です。
    それは、洗礼を受けた瞬間に、
    新しくされるといったような、
    魔術の類ではありません。
    わたしたちの抱える問題は、生涯続きます。
    わたしたちが自分に嫌気が差すほどに、
    罪はわたしたちに絡みついて離れません。
    人を妬んでしまいます。
    平和よりも争いを作ってしまいます。
    小さな自分のミスを隠そうと、嘘を積み重ねてしまいます。
    人を自分の思い通りにコントロールしようとしてしまいます。
    愛や憐れみよりも、怒りや欲に支配されて行動してしまいます。
    これがすべてではありませんが、
    それらはわたしたちの現実のひとつです。
    けれども、水と霊によって、
    わたしたちは新しく生まれると、
    イエスさまが約束してくださっています。
    水と霊によって、神がわたしたちに働き続けてくださるからです。

    ところで、イエスさまと語り合ったニコデモは、
    この物語の中では、最後まで無理解のままでいます。
    「どうして、そんなことがありえましょうか」(9節)
    とイエスさまに問いかけた後、
    彼の姿はいつの間にか見えなくなってしまいます。
    水と霊について、つまり洗礼について
    教会が抱くこの確信を伝えるためだけに
    ニコデモは登場して、利用されたのでしょうか。
    そうだとするならば、ニコデモが
    夜にイエスさまのもとに訪れたことは、
    まさに象徴的です。
    ヨハネ福音書において、夜は、
    イエスさまに対する理解の無さを象徴的に示すのですから。
    でも、ニコデモは、十字架の上で死んだイエスさまを
    お墓に葬るシーンで登場します。
    目立ってイエスさまに従おうことはありませんでしたが、
    彼もまたイエスさまを慕う弟子のひとりであったことが
    ヨハネ福音書の終わりで明らかになります。
    ということは、夜に訪れたニコデモの姿は、
    わたしたちに違う側面を示すでしょう。
    夜の闇の中で、彼は、
    光であるイエスさまのもとを訪れました。
    理解できない現実を抱えながらも、
    イエスさまに近づいていきました。
    そして、わたしたちが知らないところで、
    ヨハネ福音書が記録しないところで、
    ニコデモに水が注がれ、
    聖霊の息が吹きかけられたのでしょう。

    このニコデモの姿は、イエスさまが
    「風は思いのままに吹く」と、
    聖霊のことを示して語った言葉を思わせます。
    すぐにニコデモは変わりませんでした。
    けれども、神が望んだとき、
    彼に聖霊の風が吹き込み、彼は新しくされました。
    それがいつ訪れるかは、わたしたちにはわからないけれども、
    確かに、わたしたちの人生の中に神が働き、
    神がわたしたちを徐々に、ゆっくりと、
    また時には急激に、新しくされます。
    そんな風に、わたしに、またここにいる誰かに、
    そして、わたしたちの教会全体に、
    神が働き、新しくするというのですから、
    わたしたちの信仰の旅は、
    とても驚きに満ちているものと言えるでしょう。
    神がわたしたちに愛を注ぎ、憐れみを与え、
    平和を作り出し、わたしたちを新しく変えていく。
    そんな出来事を何度でも、何度でも見たいですし、
    その驚きを一緒に味わっていきたいですね。

週報より

  • 2024.03.03 週報より抜粋・要約

  • ① きょうは礼拝後に、新旧役員合同で月例教会役員会をおこないます。
    教会役員のみなさまは、よろしくお願いいたします。
    新年度の役員との引き継ぎと新年度の役割決めをおこないます。

    ② 来年度の礼拝の係やチームにご協力いただける方を募集しています。
    係を担当してくださる方、チームに入ってくださる方は、
    受付テーブルの上にある申し込み用紙に記入して、投書箱に入れてください。
    受付の係やモレノ・チームに協力いただける方がいらっしゃると助かります。

    ③ 先週からいのちのことば社の「ぶんでんリレー」がはじまりました。
    3月24日(日)まで、小山教会でキリスト教関連のグッズや書籍を購入できます。
    熊谷多賀子さんが担当をしてくださいます。

    ④ あすは日本ナザレン神学校の入学試験です。
    稲葉奈々さんが受験をします。覚えてお祈りください。
    神学校の教授会が開催されるため、あすは基嗣牧師も神学校へ行く予定です。

    ⑤ 教会のもみの木が伐採されました。
    2月27日に伊藤秀夫さんと熊谷哲郎さんが伐採の作業をしてくださいました。ありがとうございました。

    ⑥ 次週礼拝後、月報モレノの編集会をおこないます。
    モレノチームのみなさまはよろしくお願いいたします。
    原稿や写真のご寄稿は、来週の日曜日が締切となります。


    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください(受付テーブルの上にある家の箱)。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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