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朗読箇所

三位一体後第1主日

旧約 ヨナ書 1:1−4

◆ヨナの逃亡
1 主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。
2 「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」
3 しかしヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗り込み、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。
4 主は大風を海に向かって放たれたので、海は大荒れとなり、船は今にも砕けんばかりとなった。


新約 ローマの信徒への手紙 8:31−39

◆神の愛
31 では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。
32 わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。
33 だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。
34 だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。
35 だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
36 「わたしたちは、あなたのために
一日中死にさらされ、
屠られる羊のように見られている」と書いてあるとおりです。
37 しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。
38 わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、
39 高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

説教

神の言葉との衝突

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    旧約聖書の時代、イスラエルの国には
    「預言者」と呼ばれる人たちがいました。
    彼らの使命は、神から与えられた言葉を
    人々に伝えることです。
    けれど、彼らが語るように示された言葉は、
    希望に溢れる言葉よりも、
    不都合な言葉の場合がほとんどでした。
    そのため、人々が神に心から立ち帰り、
    彼らがお互いに支え合い、
    神に喜ばれる共同体となっていくために、
    本当はここまで厳しいことは
    伝えたくないけれども、
    預言者たちは心を痛めつつも、
    人々に語り続けました。

    きょうの物語に登場する、ヨナという人もまた、
    預言者のひとりでした。
    ヨナは、ダビデ王からおよそ200年後の
    紀元前8世紀に活動をしていた預言者です。
    ヨナが活動をしていたそのとき、
    イスラエルの民が築いた王国は、
    北と南のふたつに分かれていました。
    ヨナが活動していたのは、北王国の方です。
    このとき、北王国の王として国を治めていたのは、
    ヤロブアム2世という王さまでした。
    このヤロブアム2世の時代、
    北王国の社会の中で格差は広がり、
    不正義がはびこっていました。
    ヨナは「ヨナ書」以外で唯一、
    「列王記」の下巻にのみ登場をするのですが、
    彼はヤロブアム2世に向かって預言を語っています。
    けれども、ヨナの語った言葉は、
    ヤロブアム2世を非難するものではありませんでした。
    ヤロブアム2世の時代に、
    北王国の領土が広がっていくという、
    国の繁栄を告げる言葉でした(列王下14:25)。
    つまり、ヨナは王に向かって
    不都合な言葉を語るのではなく、
    支配者である王にとって
    都合の良い言葉を語る預言者として、
    列王記では記録されていることがわかります。

    きょう、わたしたちが一緒に読んだ「ヨナ書」は、
    そんな預言者ヨナに、神が語り掛け、
    彼に使命を与えることから始まっています。
    神はヨナにこのように語りかけました。

    「立って、あの大いなる都ニネベに行き、
    人々に向かって呼びかけよ。
    彼らの悪が私の前に上って来たからだ。」(ヨナ1:2)

    神がヨナに行くようにと伝える、
    「ニネベ」という町は、北王国から
    北東におよそ1,200kmほど移動した先にある都でした。
    ニネベは、北王国をはじめ、近隣のさまざまな国から
    恐れられていたアッシリア帝国の首都でした。
    アッシリアは当時のこの地域の支配者で、
    アッシリア人は、残酷で無慈悲な人々として知られていました。
    神は、そのような人々のいるところに、
    ヨナを遣わそうとして、彼に呼びかけました。

    なぜ、神は北王国の人々のもとではなく、
    アッシリアの人々のもとへ
    ヨナを遣わそうとしたのでしょうか。
    神はヨナをニネベへ遣わす理由について、
    「彼らの悪が私の前に上って来たからだ」と語りました。
    神は、ヨナを預言者として遣わして、
    悪名高いニネベの人々に
    警告を与えようと計画されていたのです。
    ヨナにとって、神がこのような使命を自分に与えるのは、
    信じられないことだったと思います。
    ヨナは、北王国のために立てられた預言者です。
    それにも関わらず、なぜ敵国である、
    ニネベにまで行かなければいけないのでしょうか。
    なぜ悪名高い、あのニネベの人たちが、
    心を改めることを願って、
    彼らのためにわざわざ自分たちの神の言葉を
    伝えなければならないのでしょうか。
    彼のその心は、疑問や不満でいっぱいでした。
    まさに、神が語りかけた言葉は、
    ヨナにとって不都合なものでした。
    神の言葉を聞いたこのとき、
    ヨナの思いと神の思いとがぶつかり合いました。
    ヨナの心に、大きな葛藤が生まれました。

    彼がどれほど思い悩んだのかはわかりません。
    けれども結果として、ヨナは神から与えられた使命を拒否して、
    タルシシュという場所へ向かう決意をしました。
    タルシシュは、イスラエルの地から地中海を越えて、
    遥か西の方にある場所と考えられています。
    今のスペインを指している可能性もあるそうですが、
    残念ながら確定はできません。
    しかし、いずれにせよ、
    ヨナは神から「行け」と命じられた場所である、
    ニネベとは全く正反対の方向へと向かって行きました。
    その上、もしもタルシシュが
    現在のスペインの位置する場所であったならば、
    ヨナはかなり遠くまで逃げようとしていたことがわかります。
    北王国があった地域からスペインへ行くためには、
    港へ行って船に乗り、地中海を横切り、
    西へおよそ4,000kmもの船旅をしなければなりません。
    古代の帆船は、時速5kmほどの速度で移動できたそうです。
    計算してみると、スペインまでの船旅は、
    少なくとも、およそ1ヶ月はかかることがわかります。
    もちろん、これだけの距離を移動するためには、
    その船に乗るための料金だって、
    当然かなりの金額だったことでしょう。
    ですから、それほど多くの時間とお金をかけてまで、
    ヨナは神から、そして神が彼に与えた使命や
    預言者としての責任から逃げようとしたのです。

    なぜって?
    それは、ヨナが神を
    強く信頼していたこととも関係があります。
    神が預言者である自分に語り掛け、
    使命を与えたからには、
    神が語ったその通りになってしまう、
    という信頼です。
    でも、ヨナは、ニネベの人たちが
    心を改めることを受け入れることはできませんでした。
    むしろ、「神に裁かれて、ニネベの町は滅びて欲しい。
    彼らに悔い改めの余地を与える必要などない」
    というのが、イスラエル人であるヨナの本音だと思います。
    だからこそ、ヨナは神の前から逃げ出したのでしょう。
    神から与えられた使命や責任など関係のないところへ、
    神の力から逃れられる場所を求めて逃げたるために、
    ヨナはタルシシュを目指して旅立ちました。

    このときのヨナの逃亡は、徹底したものでした。
    ヨナはヤッファという港町へ向かいました。
    この当時、このヤッファという町は、
    北王国の領域の中にある港ではありません。
    ヤッファは、ペリシテという国が
    支配する地域の中にある町でした。
    ただ、北王国との境界線にある町なので、
    イスラエル人もこの港町を
    使用した可能性は十分にあるでしょう。
    けれども、ペリシテの領土であったため、
    ヨナの同胞たちは決して多くはなかったと思います。
    ヨナの狙いは、人々の間に紛れ込んで、
    神から逃れようとすることです。
    ヨナは、ヤッファへ行き、
    おそらく彼以外のイスラエル人は
    乗っていなかったであろう船に乗り込むことによって、
    イスラエルの神とは関係のない人々の中へ入って行き、
    そこに溶け込み、彼らの中に紛れ込もうとしました。
    彼らの間に紛れ込み、
    彼らのように振る舞って、
    ヨナは神の前から逃げ出しました。
    そのようにして彼は、
    これから神の前から逃げ出す自分を、
    誰にも止められない状況を作り出しました。
    イスラエルの民であること、
    預言者であることなど、
    名前も、身分も、民族的出自も、
    誰にも問われない場所へと、
    彼は出て行きました。
    ヨナは神の前から逃げ出すために、
    自分の大切なアイデンティティを捨て去ろうとしたのです。

    このように、ヨナが神の前から
    徹底的に逃げるその姿を見つめるとき、
    私たち自身の姿や経験と
    重なる部分があることに気付かされます。
    わたしたちは、ヨナのように
    全力で逃げることはないかもしれません。
    それでも、わたしたちは自分なりの方法で、
    神の言葉を拒否しようとします。
    わたしたちの信じる神は、時に挑戦的に、
    わたしたちに語りかけてくるからです。
    「敵を愛しなさい」(マタイ5:44)、
    目の前の人を「赦しなさい」(マタイ18:22参照)、
    「復讐してはならない」(マタイ5:39参照)
    とイエスさまは語りかけてきます。
    このようなイエスさまの言葉は、
    現代社会において、ますます難しさを感じる言葉です。
    ですから、この耳を閉ざし、
    聞いていないふりをして、
    自分たちの行動を正当化してしまいます。
    神が自分たちに語り掛けていると思っても、
    それが自分にはどうしても受け入れられないと感じたら、
    私たちもヨナと同じように、
    神の前から逃げ出してしまいたくなるのです。
    ですから、神の前から逃げ出すのは、
    何もヨナに限った話ではありません。
    ヨナは、私たち一人ひとりの姿でもあると思うのです。

    けれども、神はそんな私たちを諦めず、
    追いかけてくださる方です。
    神がどれほどヨナを愛し、
    ヨナに対して忍耐強くあり続けたことかは、
    ヨナ書を通して読むと、よくわかります。
    神はこのとき、ヨナに対して、
    かなり荒々しい方法を用いて
    彼を呼び戻そうとしました。
    船に乗って逃げ出したヨナを
    神は嵐を用いて呼び戻そうとしました。
    もちろん、神がヨナを呼び戻し、
    ヨナをニネベへ遣わそうと考えているのならば、
    もっと早い段階でヨナを説得すればよかったでしょう。
    もしも、ヨナが逃げ出した直後に、
    「ダメだ、あなたはニネベへ行くんだ」と神が言うならば、
    ヨナは、嫌々ながら従うしかなかったでしょう。
    けれども、神はそれで良いとは考えませんでした。
    神は、自分の言葉に従って欲しいと、
    ヨナに対して願っている以上に、
    ヨナと交わりを持つことを望みました。
    その意味で、ヨナの一番の問題は、
    神の言葉を聞いたとき、
    それに従おうとしなかったということではなく、
    神に反発をしなかったことです。
    神の言葉を聞いたら、絶対服従というような、
    まるでロボットのような信仰を、
    神はわたしたちに求めているわけではありません。
    神は、ヨナをはじめ、私たち一人ひとりとの間に、
    真実な関係を、血の通った、
    温かい、豊かな交わりを求めています。
    だから、ヨナに語りかけた神は、
    自分の言葉を聞いてそれに疑問や不満を感じたヨナに、
    本当は黙って欲しくはなかったと思います。
    「神さま、なぜですか?」と問い掛け、
    ヨナが「ニネベへ行く」という使命を
    神との対話と交わりの中で、
    受け取って欲しいと願っていたと思います。

    実際、私たちにとって、神の言葉を聞くとき、
    そこにはいつも「なぜ?」という疑問や不満が伴います。
    けれども、神の前に「なぜ?」と問いかけることは、
    決して悪いことではありません。
    寧ろ、神の言葉を聞いたときに、
    私たちが心で抱く疑問や不満に、
    神はしっかり耳を傾けて聞いてくださり、
    私たちと真剣に交わりをもってくださる方です。
    「なぜですか?」と問い掛け、
    神に理解を求めることを通して、
    私たちは、より豊かな信仰へと、
    より真実な神との交わりへと
    導かれていくのだと思います。

    そのような交わりを、
    神はヨナとの間に築きたかったのだと思います。
    だから、神はヨナの感情を押し殺し、
    「いいから、黙って、すぐにニネベへ行きなさい」と
    説き伏せることはしませんでした。
    神はヨナを本当の意味で引き戻すために、
    より豊かな交わりへと彼を招くために、
    彼が徹底的に、神の言葉を拒絶することを許されました。
    神は、ヨナのために、
    ヨナが逃げる姿を耐え忍んで見ておられたのです。
    その上で、嵐を起こすという、荒々しい方法を通して、
    神はヨナに働きかけました。
    嵐を起こすことを通して、神はヨナに伝えたのです。
    「わたしはイスラエルの国のみを支配する神ではない。
    この世界のすべてを造り、支配している神である。
    だから、あなたをニネベへと遣わしたいのだ」と。
    語りかけ、使命を与えたヨナと真剣に向き合おうとしたため、
    ヨナをご自分のもとへ連れ戻すために、
    神はヨナを追いかけたのです。
    ヨナを追い詰め、苦しめたいから、
    神は彼を追いかけたのではありません。
    嵐を起こすほどまでに、神はヨナを愛し、
    ヨナとの交わりを求められたのです。

    このヨナの経験を通して、
    たとえ、私たちが逃げ出したとしても、
    神の愛から私たちを引き離すことは、
    私たち自身の力をもってしても
    不可能だということがよくわかります。
    ヨナに対してそうであったように、
    神は私たちを愛し、わたしたちとの交わりを望み、
    私たちと真剣に向き合いたいと願っておられます。
    たとえ私たちが神の言葉を聞いた結果、
    疑問や不満、様々な恐れや葛藤を抱いて逃げ出したとしても、
    私たちを愛し、私たち一人ひとりとの交わりを求めているから、
    神は私たちを追いかけてくださるのです。

    そのような神が、
    きょうもわたしたちに語りかけておられます。
    神が語りかける言葉は、
    わたしたちに何を与えるでしょうか。
    喜びでしょうか。平安でしょうか。慰めでしょうか。
    それとも、疑問でしょうか。葛藤でしょうか。
    心のざわつきでしょうか。
    神が語りかける声に心が騒いだとき、
    拒絶したくなったとき、そんなときこそ、
    神のもとから離れるのではなく、
    神とぶつかり合い、神と語り合いながら、
    信仰の旅路を歩んで行くことができますように。
    でも、わたしたちはいつもひとりで
    神に問いかけることはできないかもしれません。
    だからわたしたちは、信仰の旅路を一人では歩みません。
    ここにいる教会の仲間たちと一緒に歩んで行きます。
    誰かが神に対して疑問や葛藤や不満を
    抱くならば、それを知るならば、
    わたしたちは一緒に神のもとへと出て行きましょう。
    共に神と衝突し、神と語り合いましょう。
    そのような交わりを神は喜び、
    受け止めてくださるのですから。

週報より

  • 2024.06.02 週報より抜粋・要約

  • ① 先週はクリーンアップデイでした。
    会堂の清掃や整理にご協力くださったみなさま、ありがとうございました。

    ② きょうは礼拝後に、月報『モレノ』編集会と月例教会役員会をおこないます。
    モレノ編集会はティータイムの間に、役員会は編集会の後におこなう予定です。
    モレノチームのみなさま、教会役員のみなさま、よろしくお願いいたします。

    ③ ご協力のお願い
    7月6日(土)から15日(月)に東京基督教大学の学生の方々が教会に宿泊し、
    教会のお手伝いやこどもたちの集会の開催などをしてくださる予定です。
    横の部屋(または会堂)と附属館の1階に宿泊していただく予定ですが、
    宿泊の準備として、教会の方で6名分の寝具を準備する必要があります。
    この期間中、ご自宅にある寝具(布団・枕・タオルケットなど)を
    教会にレンタルしてくださる方がいましたら、とても助かります。
    牧師または教会役員までお知らせください。

    ④ 6月は「謝恩月間」です。
    引退したナザレン教会の牧師とお連れ合いの生活を支えるため、
    ナザレン教会は「謝恩金」を支給しています。
    謝恩金献金はそのために用いられます。
    ご協力いただける方は、受付テーブルの袋をご利用ください。

    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください(受付テーブルの上にある家の箱)。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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