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朗読箇所

三位一体後第6主日

旧約 ヨナ書 3:1−10

◆ニネベの悔い改め
1 主の言葉が再びヨナに臨んだ。
2 「さあ、大いなる都ニネベに行って、わたしがお前に語る言葉を告げよ。」
3 ヨナは主の命令どおり、直ちにニネベに行った。ニネベは非常に大きな都で、一回りするのに三日かかった。
4 ヨナはまず都に入り、一日分の距離を歩きながら叫び、そして言った。「あと四十日すれば、ニネベの都は滅びる。」
5 すると、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった。
6 このことがニネベの王に伝えられると、王は王座から立ち上がって王衣を脱ぎ捨て、粗布をまとって灰の上に座し、
7 王と大臣たちの名によって布告を出し、ニネベに断食を命じた。「人も家畜も、牛、羊に至るまで、何一つ食物を口にしてはならない。食べることも、水を飲むことも禁ずる。
8 人も家畜も粗布をまとい、ひたすら神に祈願せよ。おのおの悪の道を離れ、その手から不法を捨てよ。
9 そうすれば神が思い直されて激しい怒りを静め、我々は滅びを免れるかもしれない。」
10 神は彼らの業、彼らが悪の道を離れたことを御覧になり、思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた。


新約 マルコによる福音書 1:14−15

◆ガリラヤで伝道を始める
14 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、
15 「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

説教

この都を愛する神

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    先月、キリスト教主義の大学に招かれて、
    大学の礼拝で聖書のお話をしてきました。
    20分ほどの時間をいただけたので、
    小山教会の礼拝で以前話したことのある内容を
    大学生向けに手直しして話すことにしました。
    準備を始めてみると、
    わたしが想定していた以上に、
    直さなければいけない言葉が
    多かったことに気づきました。
    日曜日に教会で顔を合わせている
    ここにみなさんであればすぐにわかる話も、
    普段会わない学生たちには通じないこともあります。
    大学に入って、はじめてキリスト教に触れる
    学生たちばかりなので、
    教会や聖書の専門用語はそう何度も使えません。
    使うならば、説明が必要です。
    説明ばかり増えると、退屈な話しになってしまい、
    届けたいことも伝えられません。
    そんなことを考えながら準備してみると、
    小山教会で語った礼拝説教が、
    まったく違うものに変わっていることに気づきました。
    それはある意味で、当然の結果です。
    だって、語りかける相手が変わると、
    その相手に合わせて、
    話す言葉は変化していくのですから。
    できる限り、目の前にいる相手に
    自分の伝えるべきことを伝えるためには、
    それなりの工夫や配慮が必要です。

    ニネベへたどり着いたヨナは
    どうだったのでしょうか。
    彼はイスラエルが
    南北のふたつの王国に
    分かれていた時代の、
    北王国の預言者です。
    彼が普段語りかける相手は、
    同じ信仰を共有する同胞たちでした。
    神といえば、イスラエルの神ヤハウェのことを意味しますし、
    「立ち返りなさい」と伝えれば、
    神から心が離れてしまっている人たちに、
    神に心を向けるようにという招きとして、
    受け止められたことでしょう。

    でも、ヨナが神によって「行け」と伝えられた場所は、
    慣れ親しんだ場所でもなければ、
    自分の仲間たちがいる場所でもありませんでした。
    彼が行かなければならなかった場所は、
    アッシリア帝国の都、ニネベでした。
    アッシリア帝国といえば、
    古代世界の人びとにとっては、
    悪や暴力の象徴です。
    彼らは自分たちに従わない国に対しては、
    軍隊を派遣し、無慈悲な暴力によって
    その国を蹂躙する残酷な人たちとして、
    よく知られていました。
    そんな彼らにヨナはどのように語りかけ、
    神の思いを伝えたでしょうか。

    驚いたことに、ニネベの人びとに語りかける
    ヨナの言葉は「あと四十日すれば、
    ニネベの都は滅びる」(ヨナ3:4)という、
    とても短いものでした。
    旧約聖書が書かれたヘブライ語で、
    ヨナの言葉を確認してみると、
    単語数ではたったの5単語ですので、
    更にその短さがよくわかります。
    本当は、神に遣わされた預言者として、
    もっと語るべきことが
    他にもあったのではないでしょうか。
    同じ信仰を持っていない、
    違う文化で生きる人たちに語りかけるのですから、
    本当はもっとニネベの人びとに
    適した語り方だってあったはずです。
    でも、ヨナは「ニネベの都は滅びる」とだけ語りました。
    なぜ滅びるのかなど、伝えません。
    悔い改めをニネベの人びとに
    呼びかけることもありません。
    神の赦しを願い、神の憐れみを求めて、
    神に呼びかけるようにと促すこともありません。
    ヨナは、ニネベの人びとの心を
    イスラエルの神に向ける努力をしていません。
    何よりも、ヨナの口からは、
    イスラエルの神の名前である、
    ヤハウェの名前さえ出てきません。
    正直、誰がこの言葉を
    受け入れるのだろうかと思ってしまうほど、
    ヨナの言葉は短く、そしてニネベの人びとに
    神の思いを届けるための配慮も、
    彼らに対する愛情もまったくありません。
    むしろ、こんなにも短く、
    そしてまったく効果的に思えない言葉を
    ニネベの人たちに語りかけるヨナの姿から、
    ヨナの本心が透けて見える気がします。

    ヨナにとって、
    彼がニネベの人びとに語った言葉は、
    警告ではないのでしょう。
    きっと、ヨナはニネベの都に
    滅びてほしかったのだと思います。
    彼らは、ヨナにとって、
    憎むべき敵であり、悪の象徴だからです。
    だから、彼は最小限の言葉で
    ニネベの滅びのみを語りました。
    もしかしたら、そこには憎しみも
    込められていたのかもしれません。
    でも、そんなヨナの思いとは裏腹に、
    ニネベに住む人びとは
    ヨナの言葉を聞くとすぐさまうろたえ、
    騒ぎ出し、悪の道を離れて、
    神に向かって祈り始めました。
    どんな立場の人も、
    ニネベの王さまをはじめ、
    身分の高い人も、低い人も、
    神を信じ、悔い改め、
    ニネベの都中の人びとが、
    神の憐れみを求めてひたすら祈りました。
    何と皮肉に溢れた展開が待っていたことでしょうか。

    ヨナ書が読者に伝えたいことは明らかです。
    ニネベの人びとの悪名が
    どれほど世界中に響き渡っていたとしても、
    神は彼らを憐れみ、
    愛しておられるということです。
    ヨナの目に、アッシリアの悪や暴力は
    とても大きなものでした。
    彼が心に抱いた憎しみだって
    大きなものだったはずです。
    でも、ヨナ書はニネベの悪の大きさよりも、
    ニネベが大きい都であったことを何度も、
    そして過剰に強調しています。
    ヨナ書が記録するニネベの大きさは、
    実際のニネベの都よりも遥かに大きなものです。
    それは、人口が多かったから
    という理由ではありません。
    3節でニネベが「非常に大きな都」であると記されていますが、
    ヘブライ語では「神にとって大きな都」という意味です。
    聖書協会共同訳は、「神にとって」という言葉を
    都の大きさを強調する言葉として訳していますが、
    文字通り受け取っても良いでしょう。
    ニネベとそこに住む人びとの存在は、
    神にとって大きなものでした。
    彼らがどれだけ悪を重ねても、
    どれだけ暴虐の限りを尽くしたとしても、
    それでも、ニネベが
    神の憐れみを受けるべき都で、
    そこに住む人たちが
    神の愛を受けるべき人たちであることは変わりません。
    神はすべての人を憐れみ、
    この世界を愛する神だからです。

    ただ正直、わたしたちはこの事実を
    確信をもって言いにくい時代に
    生きていると思います。
    ロシアやイスラエルによる戦争は、
    いつになっても終わりません。
    憎しみがさらなる憎しみを生み、
    暴力に暴力を重ね、
    人びとの行動に
    歯止めが効かなくなっています。
    神の怒りが過ちを積み重ねる人びとに
    注がれることを願い、
    神の徹底的な裁きが起こることを
    期待することの方が遥かに簡単です。
    もしかしたら、もうすでに、
    わたしたちは心の何処かで
    ヨナと一緒に声を重ね合わせているのかもしれません。
    神の裁きを願いながら、
    このままだと、滅ぶことになるぞ、と。
    でも、ヨナ書はそんなふうに、
    目の前に広がる暴力や悪に憎しみを抱き、
    神の名の下で報復を正当化し、
    さらなる暴力を重ねようとするこの世界に、
    立ち止まる必要性を伝えているかのようです。
    正気になれ。
    憎しみと暴力に心が染まり、
    争いを生み出し続けている人びともまた、
    神に愛されている人ではないか、と。
    彼らの悪や暴力が
    どれほど大きいものと思えたとしても、
    それでも、神は彼らを愛し、
    憐れみを抱いています。

    そんな神の思いに気づく時、
    ヨナの言葉が別の意味をもって響くように、
    ヨナ書は言葉を選んでいます。
    一見、ヨナがニネベの人びとに語りかけた言葉は
    ニネベの滅びを願っています。
    直訳すると、「ニネベはひっくり返る」です。
    でも、実際のところ、ここでのヨナの言葉は、
    もっと曖昧な意味を持っています。
    「ニネベは向きを変える」とも読めるからです。
    もちろん、ヨナにそんなつもりはなかったでしょう。
    彼は、ニネベの滅びしか願っていなかったと思います。
    でも、実際に彼が選んだ言葉は、
    悪や暴力の道を歩むニネベの人びとが向きを変えて、
    悪や暴力の道から離れる。
    そんな可能性があることを伝える言葉でした。
    神が悪や暴力を正しく裁き、
    平和と正義をこの世界に実現してくださることは
    たしかに、わたしたちの心からの願いです。
    でも、同時に、暴力の渦中にある人びとや、
    憎しみの連鎖からどうしても
    抜け出せずにもがいている人びとがいるのは事実です。
    争いの歯車にさせられ、
    抵抗できずにいる人びともいるのも事実です。
    神はまさに、まさにそのような人に、
    愛と憐れみを注ぎたいと
    願っているのではないでしょうか。
    だから、わたしたちは
    悪や暴力の終わりを願いますが、
    悪や暴力を生み出している人びとの
    滅びは決して願いません。
    そうではなく、誰もが向きを変えて、
    平和への道を選び取っていくことを願います。

    それは、戦争や、わたしたちの目に見える大きな暴力を
    生み出す人びとに限った話ではありません。
    わたしたちの生活と遠い場所に、
    暴力や人の悪があるわけではありません。
    程度は違えど、わたしたちの日常にだって、
    さまざまな形の暴力があります。
    それは、言葉によるものかもしれないし、
    文化的な価値観の押し付けかもしれません。
    差別的なものかもしれませんし、
    社会構造に基づくものかもしれません。
    だから、わたしたちはあの日のヨナの声に、
    声を合わせます。
    わたしたちの暮らすこの社会の暴力がひっくり返り、
    わたしたちがこの社会でともに生きる人たちと一緒に、
    平和を目指す道へと向きを変えていけるように、と。
    それが、この世界を、この世界にあるあらゆる町を、
    愛しておられる神が願っておられることです。
    そんな祈りをわたしたちは
    絶やさずに続けていきたいですし、
    その祈りの実現を願って、
    平和を目指す道を歩み続けていきたいですね。
    キリストの平和がみなさんと共にありますように。

週報より

  • 2024.07.07 週報より抜粋・要約

  • ① 昨日より東京基督教大学(TCU)の学生さんが教会に滞在されています。
    学生のみなさんを心から歓迎します!
    10日間の滞在を通して、小山教会の働きをお手伝いしてくださいます。
    きょうは礼拝後に、歓迎のランチの会を開催します。費用は無料です。
    ランチ会への自由献金は、受付テーブルの上の献金箱で受け付けています。
    ランチの後は、TCUのみなさんが最近の賛美歌を紹介してくださる予定です。

    ② こどものみなさんへのおしらせ
    ランチのかいがおわったら、TCUのみなさんといっしょにあそびましょう。

    ③ 夏季献金のお願い
    牧師の夏の手当とピアノの調律のための献金です。
    受付テーブルに置いてある献金袋をご利用ください。

    ④ きょうはランチの会の後に、月例役員会を行います。
    教会役員のみなさま、よろしくお願いいたします。
    今回の議題は、教会墓地と会計報告のみですので、短縮して行います。

    ⑤ こども一日キャンプのお知らせ
    今週の土曜日は、10時からこども一日キャンプを予定しています。
    TCU生のみなさんが、楽しいイベントを準備してくださっています。
    どうぞお楽しみに。たくさんの子どもたちの参加をまっています。
    親子での参加も、お手伝いをしてくださる大人も大歓迎です!
    準備にご協力いただける方は、牧師までお知らせください。
    当日は、お昼(たこ焼きとフルーツポンチ)を食べて解散の予定です。

    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください(受付テーブルの上にある家の箱)。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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