朗読箇所
三位一体後第11主日
旧約 ダニエル書 12:1–3
◆
1 その時、大天使長ミカエルが立つ。彼はお前の民の子らを守護する。その時まで、苦難が続く
国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。しかし、その時には救われるであろう
お前の民、あの書に記された人々は。
2 多くの者が地の塵の中の眠りから目覚める。ある者は永遠の生命に入り
ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
3 目覚めた人々は大空の光のように輝き
多くの者の救いとなった人々は
とこしえに星と輝く。
新約 ヨハネによる福音書 5:19–30
◆御子の権威
19 そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。
20 父は子を愛して、御自分のなさることをすべて子に示されるからである。また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。
21 すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。
22 また、父はだれをも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。
23 すべての人が、父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わない者は、子をお遣わしになった父をも敬わない。
24 はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。
25 はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。
26 父は、御自身の内に命を持っておられるように、子にも自分の内に命を持つようにしてくださったからである。
27 また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。
28 驚いてはならない。時が来ると、墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、
29 善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
30 わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意志ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。」
説教
時の狭間で生きるわたしたちの祈り
-
説教者 稲葉基嗣牧師
わたしたちは毎週の礼拝を通して、
繰り返し、繰り返し、主の祈りを祈っています。
イエスさまが教えてくださった大切な祈りであり、
今の時代に生きるわたしたちにとっても、
必要な祈りだと強く信じているから、
多くの教会はこの祈りを祈り続けています。
この主の祈りを通して祈る、
神の思いが天で行われるように、
神の思いがこの地上においても
実現しますようにという祈りは、
わたしたちにとって切実な願いです。
神の願いが実現しているとは思えない出来事や状況が、
この世界には溢れているからです。
戦争や紛争はいつまでも終わりません。
どれだけ核保有の危険が語られても、
相手を信頼して、自分から武器を置くことをやめられません。
対話を通して平和を作り出していくことが
満足にできていません。
協力し合って平和の道を模索するよりも、
政治や経済的な力関係に踊らされて、
自分たちの利益を追い求めて行動しています。
いじめや差別、
ハラスメントの被害を受けて叫ぶ声が
あらゆる場所から聞こえてきます。
家庭内暴力、デートDV、被災地における性被害など、
人間の悪意や罪深さを語り、
多くの人に悲しみを与えるニュースは絶えません。
また、現代社会は文明を維持し、
発展することにばかり心を奪われ、
この大地から資源を過剰に搾取し、
地球環境を激しく傷つけてきました。
このように、わたしたちから遠い場所でも、
わたしたちの身近なところでも、
神のこの世界に対する願いは実現してはおらず、
この世界は様々な形で傷ついています。
人も、動植物も、地球全体も、
その命が傷ついています。
愛や憐れみをもって目の前にいる人たちと
共に生きる社会を築くよりも、
自分たちの友人を作るよりも、
誰かの上に立ち、誰かを支配し、
敵を作り出し、排除することに必死です。
神の平和や正義が、今、この世界において、
完全には実現していないことは、
誰の目から見ても明らかです。
そして、いのちが傷つけられ、
世界の美しさが損なわれていることは、
誰の目から見ても明らかです。
そのような世界において、
わたしたちは神に向かって祈り続けています。
天において神の願いが実現しているように、
この地上にも、この世界全体においても、
神の願いを成し遂げてください。
平和な社会を実現してください。
誰もがお互いを尊重し、
目の前の人の弱さも
自分との違いも受け止めることができる、
そんな憐れみに溢れた社会を築かせてください。
力による支配ではなく、
お互いを愛する思いを抱いて、
手を取り合い、協力し合う世界となりますように。
わたしたちは、そんな風に神に願い続けますが、
今この瞬間、神の願いが実現するとは思えないと、
時々、諦めてしまいます。
遠い未来において、
キリストが再びこの世界に来られる時に、
天の御国が実現する。
その時まで、この世界は悪くなる一方なのではないか。
その時が来るまで、平和など実現しないのではないか。
そんな風に、半ば諦めながら、神に祈ってしまいます。
でも、ヨハネ福音書を開いてみるとどうでしょうか。
イエスさまはそんなわたしたちに向かって、
「違う」と語りかけておられることに気付かされます。
というのも、イエスさまは
「今がその時である」(5:25)と宣言されたからです。
イエスさまによれば、
「今」はどのような時なのでしょうか。
イエスさまはふたつのことを語っています。
それは、イエスさまが命を与える時。
そして、イエスさまが裁く時です。
このことについて、少し疑問を抱くのは
わたしだけでしょうか。
命を与えることと、裁くことは、
何だか、矛盾した考えのように感じます。
というのも、裁くという言葉には、
罰を与えるという意味が
ついて回ることが多いからです。
でも、イエスさまはすべての人を
死や滅びへと導くことを目的として、
裁きを行うわけではありません。
むしろ、イエスさまが
すべての人のもとにもたらしたいものは、
生き生きとした、喜びにあふれる命です。
イエスさまがすべての人のもとに
もたらしたいものは、
神の愛に基づく罪の赦しと、
救いの望みと、復活の希望です。
そして、この世界に神の正義と平和が訪れることです。
そのような目的のために、
イエスさまは何が善であるか、
何が悪であるかをわたしたちに伝えるお方です。
今、もうすでに、イエスさまのもとに
裁きの権威があります。
それは、今この瞬間、わたしたちのもとに
他人を裁く最終的な権威は
決してないということです。
わたしたちは時として、
先入観や偏見をもって、
他人を判断しがちです。
そのようなわたしたちの姿勢が、
争いや暴力、差別やいじめを
生み出す原因となることがあります。
でも、そういった、何かを悪、何かを善と
自分の身勝手な物差しで
周囲の人たちを決めつけて判断する権威は、
わたしたちのもとには既にありません。
イエスさまのもとにこそ裁く権威があると、
ヨハネ福音書はわたしたちに伝えています。
ですから、私たちが持つべきは、
他者の善悪を身勝手に判断し、
裁く権威ではありません。
何が善で、何が悪であるかは、
イエスさまが握っています。
ですからわたしたちが持つべきなのは、
何が善で、何が悪であるのかを知る
イエスさまが教えてくださる生き方です。
それは、神の愛と憐れみに基づき、
平和を追い求めて歩むような生き方です。
それはまさに、この世界にいのちをもたらしたい、
イエスさまの願いに応えるようなあり方です。
そのような意味で、イエスさまが裁きの権威を持つことと、
イエスさまが命を与える権威を持っていることは、
矛盾していません。
むしろ、最終的な裁きの権威が
今もイエスさまのもとにあることは、
わたしたちが神の愛と憐れみに基づいて、
平和を追い求める上での
支えとなるのではないでしょうか。
ところで、命を与えることについて、
イエスさまが「今」と語ることに
違和感を覚えるかもしれません。
というのも、イエスさまは「永遠の命」や
死者の復活について語る中で、
「今がその時」と語っているからです。
キリスト教会は、わたしたちが永遠の命に
あずかる日が将来訪れると、信じています。
そもそも、「今、永遠の命を持っている」だとか、
「今、死者が復活する」だなんて言葉、
現代人は誰も信じないでしょう。
それなのに、イエスさまが
「今がその時」と語るのはなぜなのでしょうか。
イエスさまはこの時、
永遠の命や死者の復活を
比喩として用いたと考えると、
この違和感を解消できるでしょう。
イエスさまが永遠の命という言葉を通して
表現したいことは、
神と人間との間に生き生きとした
関係性があることです。
イエスさまは神のうちに命があり、
イエスさまのうちにも命があると語っています。
そして、その命をイエスさまは今、
わたしたちに分け与えてくださる方です。
神との関係があるところに、命があります。
キリスト教会は、天の御国における復活の命は、
将来、わたしたちに与えられるものと信じています。
今はまだ、わたしたちはその命を持っていません。
でも、神との交わりのあるところに、
わたしたちとイエスさまの交わりのあるところに、
イエスさまは命を注いでくださいます。
神との関係性が死んでいるような場所に、
イエスさまとの関係を失った場所に、
イエスさまは命の息を吹きかけてくださいます。
完成された形でいのちを受け取ることは将来のことです。
でも、今この時、この瞬間に、
神と共にあるその生命の豊かさを味わえるように、
イエスさまはわたしたちを
神との交わりへと招いておられます。
このことは、わたしたちにとって、
大きな希望です。
わたしたちはこの世界で争いが続き、
命が傷つけられ、人びとの心が荒む現実を見つめる時、
罪深い人間が作り出す世界なんて、
こんなものかと、諦めてしまいたくなります。
でも、イエスさまは決して諦めていません。
今この瞬間、イエスさまは
命を注ぎだしてくださっているのですから。
わたしたちに命の息を吹きかけ、
わたしたちを通して、この世界に
命の豊かさを取り戻そうとしておられるのですから。
平和の実現や、天の御国の完成は、
将来の出来事かもしれません。
でも、今、この瞬間、僅かかもしれないけど、
この地上でイエスさまを通して、
命の息が吹きかけられています。
今この瞬間、命の回復は始まっています。
わたしたちはそんな時の狭間で生きています。
今すでに神から命が注がれている、今現在のこの時と、
神の御国が実現する将来の時との、
その間で、わたしたちは生きています。
神が約束してくださっている天の御国を見据えながら、
希望し、待ち望み、目標にしながらも、
今この時、神の願いがこの世界に実現していくことを
わたしたちは決して諦めずに願い続けます。
それが、きょうこの瞬間を生きる、
わたしたちの努めであり、心からの希望です。
どうか、神との交わりにあって
命を与えられているみなさんを通して、
この世界に命が溢れていきますように。
週報より
- 2024.08.11 週報より抜粋・要約
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① きょうは平和聖日です。
わたしたちは8月を平和のために祈る月としています。
きょうは礼拝の中で平和の祈りを祈ります。日々の祈りとしてご活用ください。
② きょうは礼拝後、ティータイムの後に月例教会役員会を行います。
教会役員のみなさまはよろしくお願いいたします。
主な議題は、こどもキャンプと9月の教会全体会についてです。
③ あすは目黒教会で関東地区NYI(青年会)の集会があります。
神学生の稲葉奈々さんが青年たち向けの説教をする予定です。
基嗣牧師は家族と一緒に参加した後、都内で一泊します。
翌日夜に小山に戻る予定です。
④ こどもキャンプのご案内
8月24日(土)−25日(日)に小山祈りの家でこどもキャンプを開催予定です。
こどもたちが遊んでいるそばで、集まった方たちが
ゆっくり過ごせるスペースも用意する予定です。
どなたでもご参加ください。参加費はひとり500円です。
また、こどもキャンプ開催のために献金のご協力をお願いします。
受付テーブルの上にあるモレノ用の投書箱または献金袋をご利用ください。
宿泊したメンバーは、礼拝に間に合うように教会に移動する予定です。
25日(日)の礼拝は通常通りです。
・能登半島地震の救援募金にご協力ください(受付テーブルの上にある家の箱)。
・書き損じ・出し忘れのはがきをください
(アジア学院に寄付)
・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
牧師にお知らせください。
小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
詳しくは牧師にお尋ねください。
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以上