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朗読箇所

三位一体後第24主日

旧約 創世記 12:1–3

◆アブラムの召命と移住
1 主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷
父の家を離れて
わたしが示す地に行きなさい。
2 わたしはあなたを大いなる国民にし
あなたを祝福し、あなたの名を高める
祝福の源となるように。
3 あなたを祝福する人をわたしは祝福し
あなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべて
あなたによって祝福に入る。」


新約 ヨハネによる福音書 7:32–36

◆下役たち、イエスの逮捕に向かう
32 ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを耳にした。祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。
33 そこで、イエスは言われた。「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。
34 あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」
35 すると、ユダヤ人たちが互いに言った。「わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか。
36 『あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない』と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか。」

説教

主イエスはどこへ行くのだろうか?

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    新約聖書の中には、4つの福音書がありますが、
    どの福音書も後半に向かっていくにつれて、
    イエスさまの周囲は不穏な空気に包まれていきます。
    最終的にイエスさまは逮捕され、
    一方的な暴力と蔑みの中に投げ込まれ、
    十字架の上で命を落とすことになります。
    そんな結末へとこの物語は向かっているからです。
    わたしたちは毎週の礼拝を通して、
    ヨハネによる福音書を少しずつ読み進めていますが、
    イエスさまを敵視する人たちの行動や発言が
    徐々に目立ってくるようになってきました。
    きょう開いた福音書の物語では、
    イエスさまを捕えるために、
    ファリサイ派の人たちと祭司長たちが手を組んで、
    人を遣わしたという報告から始まっています。
    ファリサイ派の人たちは、民衆と共に生き、
    彼らに神の律法に従って生きることを
    熱心に教えた人たちでした。
    彼らは、民衆にとって、
    大きな影響のある人たちだったようです。
    また、祭司長たちは、
    エルサレム神殿で働く人たちです。
    ユダヤ人たちにとって、
    彼らは、たしかな宗教的な権威でした。
    そんなふたつのグループが手を組んで、
    イエスさまを逮捕するために下役たちを遣わしています。
    群衆からの支持を得つつ、
    また、宗教的な権威を伴いつつ、
    イエスさまを逮捕しようと試みているように思えます。
    この時、下役たちが
    イエスさまを逮捕するべきではないと判断したため、
    イエスさまは逮捕されませんでした。
    けれども、想像してみると、この時のイエスさまって、
    結構ピンチだったのではないかと思えてきます。

    自分を捕らえにやって来た人たちに対して、
    イエスさまは何を語ったのでしょうか。
    「もうしばらくの間、わたしはみなさんと一緒にいます。
    もうしばらくの間は、みなさんは、
    わたしのことを見つけることができるでしょう」
    というように語り、
    イエスさまは自分がやがて、
    人びとの前からいなくなることを
    ほのめかしています。
    いや、ここではない、違う場所へ行くと、
    イエスさまは話しました。
    イエスさまの言葉によれば、
    それは「私を遣わした方」、つまり神のところです。
    神のもとから来たイエスさまが、
    神のもとへと帰っていく。
    それは、とても自然なことのように聞こえます。
    けれども、同時に、疑問が湧いてくるかもしれません。
    どうやったら神のもとへ戻った
    イエスさまに会えるのでしょうか。
    イエスさまは、ご自分が神の元へ戻る時が来たならば、
    もうイエスさまを捜しても、
    イエスさまのことを見つけることが
    できないと言っています。
    どれだけ頑張って捜しても、
    どれだけわたしたちが心の底から願っても、
    イエスさまを見出すことは
    できないということなのでしょうか。
    神の子がわたしたちのもとに訪れ、
    わたしたちのそばで生きてくださったというのに、
    それだと、神が更に遠のいてしまったように
    感じてしまいます。
    結局、神はわたしたちと
    共に生きてくださらないのではないかと、
    矛盾さえ感じてしまいます。
    「求めなさい、。
    そうすれば、与えられる。
    探しなさい。
    そうすれば、見つかる」(マタイ7:7)と語ったこともある、
    イエスさまの言葉は誤りであったのでしょうか。

    イエスさまが地上で暮らすことには、
    ひとつの限界が伴っていました。
    たしかに、神がわたしたちと共にいてくださることは、
    イエスさまが人となって、
    この地上で生活をされることを通して、
    十分に明らかにされました。
    でも、イエスさまがこの地上で生きる限り、
    イエスさまと共に生きることが出来る人たちは
    限定されてしまいます。
    肉体はひとつですから、
    とどまれる場所もひとつだけです。
    出会える人たちも限られています。
    どれだけ多くの人に神の愛を伝えたいと願ったとしても、
    イエスさまには制約が多すぎました。
    だからこそイエスさまは、神のもとに帰り、
    神の霊である、聖霊なる神を
    わたしたちのもとに送ってくださいました。
    そうすることによって、すべての人と
    いつも、どのような時も、
    イエスさまは神の霊にあって結ばれています。
    ですから、あらゆる人と共にあるために、
    イエスさまはこの時、
    神のもとへと行くと伝えたのではないでしょうか。

    そう考えると、その場にいて、
    イエスさまの言葉を聞いていた人たちの反応も、
    あながち間違いではないことに気付かされます。
    自分のことを見つけられなくなると語る、
    イエスさまの言葉を聞いていた人たちは、
    イエスさまがどこか遠くへ行こうとしているのだと、
    受け止めたようです。
    その当時、世界各地に離散していた、
    ユダヤ人たちのもとへと
    イエスさまが行こうとしているのではないかと、
    彼らはイエスさまの言葉を聞いて想像しました。
    日本語訳の聖書では、人びとが語った言葉は、
    「ギリシア人に教える」と訳されています。
    民族的な意味でのギリシア人ではなく、
    ギリシア語を話す人びとという意味合いで、
    彼らは、「ギリシア人」と語っているのでしょう。
    ギリシア語は、当時の世界の公用語でした。
    ここでは、ユダヤ人たちが
    ギリシア語を話す人びとと言っているので、
    ユダヤ人以外の人びとを指していると
    考えるのが自然でしょう。
    ということは、イエスさまは
    世界中のあらゆる人びとのもとへ赴き、
    彼らに会いに行こうとしていると、
    イエスさまの言葉を聞いた人たちは、
    勘違いしたようにも取れます。
    でも、これはイエスさまの言葉を聞いた人たちの
    勘違いでありつつも、
    結果的には、イエスさまの願いが
    表現された言葉ともいえます。
    というのも、神の元へ帰ったイエスさまは、
    聖霊をわたしたちのもとに送ることを通して、
    わたしたちと共にいようとしているからです。
    霊にあって、わたしたちと共にあることを通して、
    イエスさまは世界中のあらゆる場所に、
    赴こうとしてくださっています。
    ですから、その意味で、
    イエスさまの言葉を勘違いして
    受け取った人たちの言葉も、
    決して誤りではなかったと
    受け止めることができます。
    イエスさまは最終的には、
    主イエスを信じる者と共にあって、
    世界中へと出て行こうとしておられるのですから。

    ということは、イエスさまは、
    神のもとへと帰って行ったとしても、
    変わらずに、わたしたちと共にいてくださっています。
    事実、今、イエスさまは神のもとにいると
    わたしたちは信じています。
    でも、だからといって、
    イエスさまはわたしたちから
    遠い場所にいるというわけではありません。
    聖霊によってわたしたちは、
    イエスさまと結ばれています。
    わたしたちが探すよりも前から、
    わたしたちが求めるよりも前から、
    イエスさまの方から、わたしたちのもとに来て、
    わたしたちと共にいてくださっています。
    そうです。
    イエスさまをわたしたちのもとに遣わした、
    神の元へとイエスさまが戻ろうとしたのはまさに、
    わたしたちのもとに
    イエスさまが向かってくるためでした。
    イエスさまが、わたしたちと
    いつまでも共にあるためでした。
    そして、イエスさまが
    わたしたちと共に旅をするためでした。

    このように、イエスさまが霊において、
    わたしたちと共にいてくださり、
    わたしたちといつも
    交わりを持ってくださっていることは
    とても幸いなことです。
    わたしたちはイエスさまを通して、愛や憐れみを知り、
    人生の様々な場面で、慰めや励ましを
    受け取ることができるからです。
    でも、イエスさまは、
    わたしたちと個人的に出会うことだけを目指して、
    わたしたちのもとに来たわけではありません。
    わたしたちと一緒に誰かのもとへ行くために、
    イエスさまはわたしたちと共におられます。
    敵意にあふれる世界に、平和や和解を広めるために、
    イエスさまはわたしたちのもとに来てくださいました。
    だから、わたしたちは自分たちの周りで、
    少しでも平和を作っていくために、
    イエスさまと一緒にこの世界を歩んで行きます。
    平和の主であるイエスさまが行きたいと望む場所に、
    わたしたちも歩んで行きます。
    イエスさまは、人を愛するよりも、
    自分自身を愛することばかりを優先するこの世界に、
    他の人の幸福や祝福を願って、
    愛や憐れみの手を差し伸べて、
    生きる道があるんだってことを教えてくださいました。
    だからわたしたちは、誰かの破滅や失敗ではなく、
    共に生きる人たちが
    神の祝福のうちに歩めることを願いながら、
    イエスさまと共に歩んで行きます。
    神の愛や憐れみ、平和や祝福をこの世界に届けることは、
    イエスさまだけがすることではありません。
    特別な人たちや特定の人たちだけが
    することでもありません。
    神の霊にあって、わたしたちと共にいてくださる
    イエスさまは、わたしたちと一緒に、
    そう、みなさんと一緒に、
    神の愛や憐れみ、平和や祝福を
    この世界に届けたいと願っておられます。
    イエスさまが向かう場所が、
    わたしたちの向かう場所です。
    そして、わたしたちが向かう場所が、
    イエスさまが共に向かってくださる場所です。
    どうかイエスさまを通して受け取っている良いものを
    イエスさまと一緒に携えながら、
    毎日の歩みの一歩一歩を
    みなさんが歩んで行くことができますように。

週報より

  • 2024.11.10 週報より抜粋・要約

  • ① きょうは礼拝の中で、こども祝福式をおこないます。
    小学生までのこどもたちを祝福し、神の守りを祈りました。
    こどもたちの成長とこれからの歩みのために覚えてお祈りください。

    ② 昨日からきょうまで、お泊り会を開催しました。
    キャンドルサービスで予定しているこどもたちの劇の準備をした後、
    楽しい時間を過ごしました。
    食事準備のご協力や差し入れをしてくださったみなさま、
    祈りに覚えてくださったみなさま、ありがとうございました。

    ③ 来週の礼拝は、石田学先生が担当です。
    基嗣牧師は、駐在する牧師が不在の教会への礼拝支援として、
    越谷教会へ行ってきます。

    ④ 教会墓地のための献金にご協力お願いします。
    教会墓地の移設と墓石新設は、年内に工事が終了する予定です。
    献金をしていただける方は、受付テーブルにある献金袋をお使いください。

    ⑤ 神学生の稲葉奈々さんを支える会発足のお知らせ
    遅くなってしまいましたが、今年4月よりナザレン神学校での学びを始めた、
    稲葉奈々さんを支える会を立ち上げました。
    わたしたちの教会の働きを神学生として助けてくださることへの感謝と、
    教科書代の少しばかりの援助を教会としてできたらと願っています。
    ご賛同いただける方は献金袋をお渡ししますので、牧師までお知らせください。


    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください(受付テーブルの上にある家の箱)。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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