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朗読箇所

待降節第4主日

旧約 ミカ書 5:1–4a


1 エフラタのベツレヘムよ
お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのために
イスラエルを治める者が出る。彼の出生は古く、永遠の昔にさかのぼる。
2 まことに、主は彼らを捨ておかれる
産婦が子を産むときまで。そのとき、彼の兄弟の残りの者は
イスラエルの子らのもとに帰って来る。
3 彼は立って、群れを養う
主の力、神である主の御名の威厳をもって。彼らは安らかに住まう。今や、彼は大いなる者となり
その力が地の果てに及ぶからだ。
4 彼こそ、まさしく平和である。アッシリアが我々の国を襲い
我々の城郭を踏みにじろうとしても
我々は彼らに立ち向かい
七人の牧者、八人の君主を立てる。


新約 ルカによる福音書 2:1–20

◆イエスの誕生
1 そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
2 これは、キリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
3 人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ旅立った。
4 ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。
5 身ごもっていた、いいなずけのマリアと一緒に登録するためである。
6 ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
7 初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。
8 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
9 すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
10 天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
11 今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。
12 あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
13 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
14 「いと高きところには栄光、神にあれ、
地には平和、御心に適う人にあれ。」
15 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。
16 そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。
17 その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。
18 聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。
19 しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。
20 羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。

説教

歩み寄るクリスマス

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    わたしたちは、毎年変わることなく、
    クリスマスをお祝いします。
    良い時も、悪い時も、
    イエスさまの誕生をお祝いしています。
    神が人間となって、
    わたしたちのもとに来てくださったことは、
    わたしたちにとって、
    驚くべきことであり、
    そして喜びだからです。
    神の子であるイエスさまが
    人間としてわたしたちと
    共に生きることを
    選んでくださったということは、
    まさに、神の側から
    わたしたち一人ひとりに歩み寄り、
    神が寄り添ってくださっていることの証しです。
    イエスさまは、わたしたちのもとに
    来てくださったことを通して、
    わたしたちの喜びも、悲しみも
    一緒に経験してくださいました。
    わたしたちのことをよく知りたいと願い、
    わたしたちと共に生きることを
    イエスさまは選んでくださいました。
    だからわたしたちは、
    喜ばしいときだけでなく、
    悲しみのときも、失望するときも、
    困難の中にあるときも、
    わたしたちに歩み寄り、
    わたしたちと共に生きてくださる、
    イエスさまの誕生を思い起こして、
    毎年この時期には、
    クリスマスをお祝いします。

    わたしたちだけでなく、
    世界中の教会が
    お祝いしているクリスマスですが、
    新約聖書が描くイエスさまの誕生の物語は、
    どのようなものだったのでしょうか。
    たしかに、天使たちは歌い、
    イエスさまの誕生を祝福しています。
    それを聞いた羊飼いたちは、喜んで、
    一目散に産まれたばかりの
    イエスさまを探しました。
    けれども、当事者である、
    イエスさまの両親のマリアとヨセフにとっては、
    決して常に喜びに包まれていて、
    順調で、そして、華やかなものだった、
    というわけではありませんでした。
    それはもっと困難に満ち、
    不安な思いを抱え続けるものでした。

    マリアもヨセフも、ナザレの村に
    住んでいたはずです。
    それなのに、マリアの出産が近い時期に、
    彼らはベツレヘムへと
    旅をしなければなりませんでした。
    ヨセフの出身地のベツレヘムで、
    住民登録をしなければならなくなったからです。
    ナザレからベツレヘムまでは、
    およそ120kmほどの距離を歩く旅になります。
    マリアは以前、親戚のエリサベトを訪ねて、
    この近くまで来たことがありました。
    とはいえ、出産間近の身体ですから、
    同じ感覚で旅をすることなどできません。
    身体に負担がかからないように、
    ゆっくりと移動したとして、
    順調ならば、少なくとも10日ほどの期間が
    必要な旅であったと推測できます。
    いや、そもそも、出産が近い時期に、
    このような旅をしなければならないなんて、
    そもそも順調ではありませんね。

    実際、マリアはベツレヘムに到着した後、
    ベツレヘムで出産をすることになります。
    それは、予定通りであったのか。
    それとも、故郷のナザレに戻り、出産のときを
    迎えようとしていたのかはわかりません。
    彼女にとって慣れた場所で、
    よく知った近所の人たちに助けられながら、
    出産の時を迎えることができたならば、
    彼女にとってどれほど良かっただろうか
    と考えてしまいます。
    わたしは、マリアとヨセフが
    ベツレヘムにたどり着いて、
    すぐにマリアが産気づいたのかなと思っていました。
    イエスさま誕生の物語を絵本で読んだりすると、
    そのようなシーンが描かれることが多いからです。
    もしも、そうであったならば、
    ベツレヘムへと向かったその旅とベツレヘム滞在は、
    マリアにとっては、心身ともに疲れ切ってしまうほど、
    過酷な旅であり、出産のときであったと思います。

    けれども、近年の聖書学の研究成果は、
    彼女が経験したであろう
    その過酷さを若干和らげてくれます。
    「宿屋には彼らの泊まる所が
    なかったからである」(7節)という短い言葉から、
    わたしはこれまで、マリアとヨセフの状況を
    想像してきました。
    「宿屋」と訳されている言葉は、
    単に「滞在する場所」を意味する単語です。
    当時、強盗が利用することもあった、
    商業的な宿屋を夫婦や子連れの旅人が
    利用することはありませんでした。
    そのような文化的な事情も考えるならば、
    滞在する場所がなかったということを
    ルカは伝えたいのでしょう。
    そのため、わたしは、
    ヨセフが親戚や知人を訪ねては、
    住民登録の時期のせいで
    人がいっぱいだから何度も断られた、
    といった風にこの物語を読んでいました。

    けれども、聖書学者たちの研究によれば、
    家の2階部分に増設された部屋が、
    結婚した夫婦に、割り当てられていた
    ということがわかっています。
    ただ、そこには飼い葉桶はなく、
    夫婦ふたりのみが滞在するための、
    狭い部屋でした。
    普段ナザレで暮らすこの夫婦が
    ヨセフの親戚の家に滞在するうえで、
    割り当てられた部屋でしたので、
    彼らが滞在した場所は、客間だったのでしょう。
    ですから、ベツレヘムにたどり着いてすぐに、
    親戚や知人の家を何軒も訪ねては、
    滞在を断られるということはありませんでした。
    ナザレからベツレヘムへの旅を終えて、
    マリアはしばらくの間、
    身体を休める余裕はあったのでしょう。
    でも、ベツレヘムにいるとき、
    彼女は出産を経験することになります。
    ルカが指摘している問題は、
    泊まる場所そのものがなかった
    ということではありません。
    マリアが出産を迎えるうえで、
    十分なスペースが彼らが借りたその部屋には
    なかったということです。
    出産は、ヨセフとマリアだけで
    行うものではありません。
    近所の人たちが手伝いに来ます。
    古代の出産は、命がけです。
    マリアと産まれてくる赤ちゃんのその命を守るために、
    たくさんの人が協力して、子どもは産まれてきます。
    そのために必要なスペースがありませんでした。

    そんな危機をどのようにして、
    このふたりは乗り切ったのでしょうか。
    いいえ、マリアとヨセフが自分たちだけの力で
    困難な状況を切り拓いたのではありません。
    周囲の人たちの助けの結果、
    イエスさまが産まれました。
    ルカがその証しとして示しているのが、
    イエスさまが寝ていた飼い葉桶です。
    飼い葉桶は、基本的には、
    一番広い、一階部分に置かれていました。
    ですから、イエスさまが
    飼い葉桶で寝ているというこの光景は、
    マリアが彼女たち夫婦のために用意された
    狭い部屋から広い部屋に移されて、
    イエスさまを産むことができたという証拠です。
    その広い部屋は、マリアとヨセフの親戚にとっては、
    普段の生活で使う大切な空間です。
    そこに彼女たちを受け入れ、
    出産と出産後の時間を過ごす場所として
    その広い部屋を親戚の人たちは提供しました。
    マリアが広い部屋に移動したおかげで、
    近所の人たちはマリアの出産を
    手伝うことができました。
    マリアとヨセフが、
    滞在しているその家の家族から受け入れられ、
    近所の人たちから助けられながら、
    イエスさまが産まれてきました。
    故郷を離れた場所で、
    マリアは周囲の人たちの優しさに助けられ、
    色々な励ましを受け取ることができました。
    そのような中で、イエスさまが産まれてきました。

    たしかに、マリアとヨセフにとって、
    イエスさまが産まれるまでの道のりは、
    とても険しいものでした。
    出産が間近である時期に
    ナザレからベツレヘムへ向かう旅は、
    困難なものでした。
    何よりも、婚約期間中にマリアが身ごもったことは、
    ユダヤの文化ではタブー視されていたことですから、
    マリアも、マリアを受け入れたヨセフも、
    ナザレの村で周囲から
    後ろ指さされることだってあったでしょう。
    また、生活の拠点ではないベツレヘムで、
    出産を迎えることになってしまったことは、
    彼らにとって不安要素だらけでした。
    マリアとヨセフだけでは、
    この出産を無事に終えることなど
    絶対にできませんでした。
    決して順調ではなかったし、
    前途多難であったマリアの出産でしたが、
    彼女はベツレヘムの人びとに受け入れられながら、
    イエスさまを産むことができました。

    「宿屋には彼らの泊まる所が
    なかったからである」(7節)。
    この言葉の読み方が変わるだけで、
    クリスマスの物語から見える景色が
    大きく変わってくるように思えます。
    けれども、助けを必要としていた
    マリアとヨセフに、周囲から手が差し伸べられて、
    出産のために十分なスペースが
    与えられたことを伝える、
    このクリスマスの物語は、
    現代に生きるわたしたちにとって、
    とても必要なことを
    語りかけている気がしてなりません。
    わたしたちは、あまりにも
    個人主義になりすぎることがあります。
    誰かの助けを借りることなく、
    すべてをひとりでやってのけようとしてしまいます。
    それが自分にとって楽だし、
    迷惑がかからないことだと思ってしまいます。
    でも、弱い部分や欠けのある部分は、
    誰もが持ち合わせています。
    いつも完璧に生きられるわけありません。
    神は、わたしたちが抱える、
    そういった弱い部分や欠けのある部分を
    わたしたちを更に傷つけて、
    追い込むための材料として、
    扱おうとは思っていません。
    むしろ、神にとって、
    そのようなわたしたちの弱さや欠けは、
    神の愛や憐れみが始まる場所です。
    そして、わたしたちが
    お互いに助け合える場所です。
    イエスさまが来てくださった場所は、
    そのような場所です。
    わたしたちが決して独りにはならず、
    お互いに助け合い、支え合い、
    大切にし合い、愛し合うことができるために、
    イエスさまは私たちのもとに
    来てくださいました。
    お互いの弱い部分を見て、
    傷つけ合うのではなく、
    支え合うことができる、
    安全で、安心できる場所を作るために、
    イエスさまは私たちのもとに
    来てくださいました。
    わたしたち一人ひとりを
    神の愛によって結びつけ、
    平和のうちに生きる道を歩ませるために、
    イエスさまはわたしたちのもとに
    来てくださいました。
    クリスマスは、このような出来事を
    喜び合う日です。
    マリアやヨセフがそうであったように、
    いつでも助けを求めて良いし、
    手を取り合って、
    寄り添い合うことが
    わたしたちにはできる。
    そんな場所をわたしたちは
    作っていくことができることを
    イエスさまが生まれた出来事を通して、
    神はわたしたちに教えてくださいました。

    教会は、お互いに助け合いながら、
    寄り添い合うことのできる場所です。
    そんな場所として、イエスさまは
    わたしたちひとりひとりを
    結びつけてくださいました。
    そんな場所に、共に生きる交わりに、
    みなさんはきょうも招かれています。
    ですから、助けが必要なときは、
    どうか安心して声を上げてください。
    そして、どこかで助けを必要としている声が
    みなさんの近くにあるのならば、
    そんな声に応えて、
    歩み寄ることができますように。
    それが、神がこのクリスマスの物語を通して、
    わたしたちを後押ししていることなのですから。
    わたしたちが歩み寄るとき、
    主キリストにあって、わたしたちと共にいてくださる神は、
    わたしたちと一緒に歩み寄ってくださいます。
    イエスさまを与えることを通して、
    わたしたちに歩み寄ってくださった神は、
    わたしたちが誰かに歩み寄ることをきょうも願い、
    わたしたちの間に立ち続けてくださっています。
    だから、わたしたちはいつでも
    安心して、助けを求める声を上げましょう。
    そして、いつでも安心して、
    お互いに歩み寄っていきましょう。

週報より

  • 2024.12.22 週報より抜粋・要約

  • ① クリスマスおめでとうございます!
    主イエスが今もわたしたちと共にいてくださることを感謝し、
    主がふたたび来られることをわたしたちは待ち望みます。
    きょうは礼拝後に、クリスマス祝会をします。
    有志の方たちによる持ち寄りの食事会と出し物を予定しています。
    皆さまどうぞごいっしょにお過ごしください。

    ② 24日(火)19:30からは、イヴの祈りを開催します。
    今回のイブの祈りは、テゼの曲を中心に賛美と祈りの時を持つ予定です。
    みなさま、それぞれご予定ください。

    ③ クリスマス献金にご協力ください。
    牧師へのクリスマス手当、キリスト教関連団体への寄付などに用います。
    受付テーブルの献金袋をご利用ください。

    ④ 2025年の教会カレンダーをお持ち帰りください。
    今年も2種類のカレンダーを選びました。お好きな方をお持ち帰りください。
    教会から皆さまへのクリスマス・プレゼントです。

    ⑤ 28日(土)から29日(日)、基嗣牧師は福岡出張です。
    現在、牧師不在である福岡教会の礼拝で説教を予定しています。
    小山教会の礼拝は、教会役員の方々が担当をしてくださる予定です。


    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください(受付テーブルの上にある家の箱)。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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