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三位一体後第6主日

創世記 4:17–26


17 カインは妻を知った。彼女は身ごもってエノクを産んだ。カインは町を建てていたが、その町を息子の名前にちなんでエノクと名付けた。
18 エノクにはイラドが生まれた。イラドはメフヤエルの父となり、メフヤエルはメトシャエルの父となり、メトシャエルはレメクの父となった。
19 レメクは二人の妻をめとった。一人はアダ、もう一人はツィラといった。
20 アダはヤバルを産んだ。ヤバルは、家畜を飼い天幕に住む者の先祖となった。
21 その弟はユバルといい、竪琴や笛を奏でる者すべての先祖となった。
22 ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅や鉄でさまざまの道具を作る者となった。トバル・カインの妹はナアマといった。
23 さて、レメクは妻に言った。「アダとツィラよ、わが声を聞け。レメクの妻たちよ、わが言葉に耳を傾けよ。わたしは傷の報いに男を殺し
打ち傷の報いに若者を殺す。
24 カインのための復讐が七倍なら
レメクのためには七十七倍。」
25 再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。
26 セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。


マタイによる福音書 18:21–35

◆「仲間を赦さない家来」のたとえ
21 そのとき、ペトロがイエスのところに来て言った。「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯したなら、何回赦すべきでしょうか。七回までですか。」
22 イエスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
23 そこで、天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。
24 決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。
25 しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。
26 家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。
27 その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
28 ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
29 仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。
30 しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。
31 仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。
32 そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。
33 わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』
34 そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。
35 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」

説教

私たちはどんな歌を歌おうか?

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    私たちが普段、日常的に使う数字は、
    文化や使用される状況によって、
    様々な意味合いを持ちます。
    数字の1からは、優先順位の高さや
    希少価値などを想像できるかもしれません。
    4や9という数字は、
    死や苦しみと結びつく響きを持つため、
    日本語を話す人たちの間では、
    少しばかりネガティブな印象を
    与えることがあります。
    数字に対して、象徴的な意味合いを感じるのは、
    何も現代に生きる私たちだけではありません。
    聖書を開く時、私たちは
    いくつかの象徴的な数字と出会います。
    中でも重要性を伝える数字として
    有名なのは、7でしょう。
    7という数字を用いて、
    完全さや全体性が象徴的に表されます。
    もちろん、聖書に登場する7という数字に、
    常に完全さや全体性が
    込められているわけではありません。
    ですから、無理に7という数字を
    探し出す必要もありません。
    けれども、全体の傾向として、
    7という数字は好まれて使われているため、
    時には立ち止まって、注目してみるのも
    面白い数字といえます。


    きょう私たちは、創世記に記録されている、
    ある家族の系図を読みました。
    カインから始まり、
    その子孫レメクの4人の子どもたちで
    終わる系図です。
    この系図で特に強調されている、
    レメクの歌の中に、
    7という数字がとても印象的な形で
    使用されています。
    レメクは歌います。
    「カインのための復讐が七倍なら
    レメクのためには七十七倍」(24節)。
    7という数字を復讐に対して使うことによって、
    復讐を徹底したものとして、
    描こうとしている印象を受けます。
    この歌を歌ったレメク本人は、
    自分のための復讐は77倍だと言います。
    カインに対しての復讐よりも、
    更に徹底したものとして、
    彼は復讐を捉えていることがわかります。


    それにしても、レメクは、
    なぜこのようなことを
    歌ったのでしょうか。
    レメクは、この言葉の直前に、
    「私は受ける傷のために人を殺し
    打ち傷のために若者を殺す」(23節)と
    歌っています。
    日本語訳では、レメクが未来のことを歌い、
    自分の決意を表明しているように読めます。
    けれども、ヘブライ語聖書を確認してみると、
    ここは過去形で訳す方が自然な文です。
    ということは、レメクは
    単に自分の力を誇示するために、
    このようなことを
    歌っているのではありません。
    誰かから傷つけられた、
    その復讐として、その相手を殺したと、
    彼はここで歌っています。
    彼が自分の行ったこの復讐について
    引き合いに出しているのが、
    カインのための復讐が7倍という言葉です。
    この言葉は、カイン自身の言葉ではありません。
    自分の弟であるアベルを
    殺してしまったカインは、
    神からその罪の告発を受けたとき、
    自分が背負わなければいけない
    罪やその罪に対する裁きの重さを知らされ、
    それに耐えきれず、
    「私の過ちは大きく、
    背負いきれません」(13節)と、
    神に向かって叫びました。
    そんな彼を憐れみ、
    神は彼を保護することを約束しました。
    その際に、神は、
    「カインを殺すものは誰であれ、
    七倍の復讐を受けるであろう」(15節)
    とカインに語りかけました。
    どのような理由であれ、
    カインの命を奪おうとする者がいるならば、
    神がカインを守る。
    そんな約束の言葉として、
    彼を守ることを力強く伝える言葉として、
    この言葉は、神からカインに与えられました。
    ですから、この約束の言葉は
    カインが際限なく、復讐を続けても良い、
    という許可を神が与えたものではありません。
    あくまでも、神が徹底的に、
    カインを守ることを伝えるためのものです。
    そう、復讐はあくまでも、神のもとにあり、
    カイン自身のものではありませんでした。
    けれども、カインの子孫の一人であるレメクは、
    カインに向けて語られた
    神の言葉を自分のために都合よく使います。
    「カインのための復讐が七倍なら
    レメクのためには七十七倍」と、
    まるで、自分の復讐を
    正当化するかのように、彼は歌いました。
    自分のための復讐は77倍なのだと、
    更に徹底的に自分は復讐をするのだと、
    彼は復讐することを神から奪い、
    自らを神の位置に置いて、
    声高に歌いました。


    ところで、この歌は
    誰に向けられたものだったのでしょうか。
    レメクの周囲の世界で生きる、
    あらゆる人たちに向けて、でしょうか。
    いいえ、面と向かって、
    この言葉を告げられているのは、
    レメクのふたりの妻である、アダとツィラです。
    このレメクの復讐の歌は、
    彼のふたりの妻たちに向けて歌われました。
    この歌は、創世記に収められている、
    2つ目の歌なのですが、
    一番最初の歌は、2章に記されています。
    それは、最初の人間たちが造られたとき、
    アダムからエバに向けて歌われたものでした。
    「これこそ、私の骨の骨、肉の肉」(23節)。
    それは、神に与えられ、自分の眼の前にいる、
    一緒に生きるパートナーの存在を
    心から喜ぶ歌でした。
    骨は、人間の存在や力を象徴します。
    一人の人がその生涯を終えたとき、
    骨は残る一方で、
    その肉体は朽ちることになります。
    そのため、骨と違い、
    肉は弱さを象徴する言葉でした。
    その意味で、最初の人間が造られた時、
    エデンの園で自分のパートナーの存在を
    喜んで歌ったあの歌は、
    自分の強さにおいても、
    また弱さにおいても、
    あなたは私にとって、
    決して欠かすことができない、
    とても大切な存在だと、歌っています。
    それに対して、創世記が伝える、
    第二の歌である、レメクの歌はどうでしょうか。
    アダムの歌のように、
    レメクの歌が向けられているのは、
    彼のパートナーです。
    けれども、内容は正反対のものです。
    自分は人を殺した。
    自分にとっての復讐は、
    徹底的に行うべきもので、
    それはカインからずっと
    自分たち子孫に
    神から与えられている権利なんだ。
    そんな風に、レメクは復讐をすることの
    正統性を語り、
    そして、自分の力を誇示します。
    そんな言葉が
    レメクの妻たちに向けて語られています。
    まるで、それは、
    妻たちへの脅しのような、
    とても暴力的な言葉です。
    レメクは自分のとても身近なところで、
    この復讐の歌を歌い、
    周囲を威嚇し続けたのでした。


    レメクのこの歌に対する応答を
    創世記は記録していません。
    レメクの復讐の歌で、
    カインの系図は締めくくられています。
    復讐を正当化し、
    暴力の連鎖を更に助長するような
    レメクの言葉の前に、
    彼の妻たちも、周囲の人たちも
    沈黙してしまったかのようです。
    この系図の中で悲しげに響いている、
    レメクの復讐の歌に耳を傾ける時、
    私には現代社会とこの歌が
    無関係だとは到底思えません。
    私たちが生きる社会やこの世界でも、
    復讐や報復の正当化や
    暴力や憎しみの連鎖が続いているからです。
    そう、レメクの歌は形を変えて、
    この世界でも聞こえてきます。
    爆撃の音、建物が崩れる音、戦闘機の音、
    そして、人々の悲鳴。
    そういった大きな音が
    鳴り響くことが終わりません。
    復讐や報復は、7倍?77倍?
    いや、それ以上のものも
    許されているかのように、
    自己正当化を続け、
    人々が戦い続けています。
    レメクの歌が鳴り止みません。
    暴力の正当化が行われるのは、
    何も戦争や紛争の現場だけではありません。
    特定の人々への差別感情や
    憎しみを煽るような、
    暴力的な発言が聞こえてきます。


    けれども、神はレメクの歌が、
    この世界で鳴り響き続けることを
    望んではいません。
    だから、イエスさまを通して、
    神はレメクの歌が歌い続けられることを
    止めようとしました。
    レメクが自分の復讐や
    暴力を肯定することに用いた、
    7という数字を用いて、
    イエスさまはレメクの歌に応えました。
    そんなイエスさまの姿を
    マタイによる福音書は記録しています。
    「七回どころか
    七の七十倍まで赦しなさい。」(マタイ18:22)
    そう、イエスさまの願いは、
    77倍の復讐の歌が響くことではなく、
    7の70倍の赦しを願う歌が
    この世界に響くことです。
    それは、簡単なことではありません。
    赦せない、愛せない、
    そんな思いを抱えてしまうかもしれません。
    だからこそ、復讐を神に委ねる以上に、
    私たちは赦しの実現を神に委ね、
    共に生きる人たちとの間に、
    平和を求めて歌うことを
    続ける必要があるのだと思います。
    復讐ではなく、平和を願う心が、
    少しずつ私たちの真実の思いとなり、
    私たちの生活となることを願って。
    私たちは、レメクの歌ではなく、
    イエスさまの言葉に耳を傾け、
    イエスさまの言葉を思い起こし続けます。
    77倍の復讐ではなく、7の70倍赦す。
    そんな、報復以外の道があるよと、
    イエスさまは私たちを招き続けています。
    誰かを排除しないで、
    一緒に手を取り合って歩める道があるよと、
    語り続けておられます。
    それは、自分の努力ではなくて、
    平和の神の助けを受けながら、
    神の憐れみのうちに、
    歩んでいく道です。
    そんな風に、レメクの歌が示す道とは違う、
    命の喜びにあふれる道を示してくださる、
    イエスさまを思い起こし、歌い続けることが、
    きょう、私たちがこの世界に向かってできる、
    平和の築き方なのでしょう。


    毎週の礼拝で、説教の後や派遣の讃美歌に、
    何を歌うべきか、悩みながら
    私はいつも讃美歌を選んでいます。
    きょう、これから歌う讃美歌は、
    きっと、レメクの復讐の歌への
    抵抗となる讃美歌です。
    そして、私たちが教会という共同体として、
    目指し続ける姿を願う、
    祈りが込められた讃美歌です。
    どうか、主イエスにある
    平和と愛を歌い、
    共に祈り続けることによって、
    神が私たちの教会の交わりを
    養い続けてくださいますように。
    そして、そんな歌を歌い続けるみなさんが、
    主イエスにある、愛と赦しを
    この世界に響かせる歌声となりますように。

週報より

  • 2025.07.20 週報より抜粋・要約

  • ① きょうは礼拝後に、臨時の月例教会役員会を開きます。
    教会役員のみなさま、よろしくお願いいたします。

    ② 次週礼拝後に、月報『モレノ』編集会をおこないます。
    モレノチームのみなさまはよろしくお願いいたします。
    月報への絵、原稿、写真などの寄稿はいつでも歓迎します。
    寄稿をしていただける方は牧師までお知らせください。

    ③ 外壁塗装のための献金へのご協力のお願い
    私たちの教会はおよそ10年ごとに礼拝堂の外壁塗装を行っています。
    礼拝堂を長く使用するために、必要な定期的なメンテナンスです。
    ご協力いただける方は、受付テーブルの上にある献金袋をご使用ください。
    目標金額は140万円です。
    また、外壁のサンプルが届いています。
    受付テーブルに置いておきますので、どうぞご覧ください。
    ご希望の色などありましたら、牧師までお知らせください。

    ④ ご協力のお願い
    礼拝に出席してくださる方の人数が40名を越える日が増えてきました。
    一人でも多くの方に快適にお過ごしいただくため、
    長椅子に4名の方が座れるように、ご協力よろしくお願いいたします。

    ・ミャンマー大地震の救援募金に
     ご協力ください(受付テーブルの上にある白い箱)。
     支援金はナザレン教会の国際援助機構を通じて
     ミャンマーへ送金されます。
    ・ナザレン教会を通じて
     ボランティア団体・各被災自治体などへ送金されます。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください(アジア学院に寄付)。
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
     牧師にお知らせください。
    ・小山駅・教会間の送迎(9時45分東口出発)があります。
     詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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