朗読箇所
待降節第4主日
創世記 1:14–19
◆
14 神は言われた。「天の大空に光る物があって、昼と夜を分け、季節のしるし、日や年のしるしとなれ。
15 天の大空に光る物があって、地を照らせ。」そのようになった。
16 神は二つの大きな光る物と星を造り、大きな方に昼を治めさせ、小さな方に夜を治めさせられた。
17 神はそれらを天の大空に置いて、地を照らさせ、
18 昼と夜を治めさせ、光と闇を分けさせられた。神はこれを見て、良しとされた。
19 夕べがあり、朝があった。第四の日である。
マタイによる福音書 2:1–12
◆占星術の学者たちが訪れる
1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、
2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
6 『ユダの地、ベツレヘムよ、
お前はユダの指導者たちの中で
決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。
9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。
10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
12 ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
説教
あの夜、輝く星が示したように
-
説教者 稲葉基嗣牧師
みなさんは、夜空の星を
どれだけの頻度で眺めるでしょうか。
私は決して多くはありません。
もちろん、夕飯前後に
ふと思い立って外に出て、
星を見ようと思うこともあります。
けれども、周囲の家が
寝静まる前の時間帯は、
星空を楽しむには
まだまだ明るすぎます。
私にとっては、家族が寝た後に、
忘れ物を取りに教会へ向かう時が
この辺りで星空を眺めるには、
一番良いタイミングです。
ですから、私にとって
日常的に星を眺める機会は、
それほど多くはありません。
流星群や月食などの
天体ショーの知らせがあれば、
意識的に夜空を
見上げるかもしれません。
けれどもやはり、
日常的に星空を楽しむには、
現代社会の空は明るく、
そして狭すぎます。
ですから現代に生きる私たちにとって、
夜空と私たちの日常との間には、
大きな距離があります。
私たちは星の光よりも、
たくさんの人工的な光に照らされて
過ごしているからです。
特に今のこの時期は、
駅前や商業施設がたくさんの電飾で
ライトアップされ、
夜も様々な光に包まれています。
なので、なおさら夜空は
私たちから遠のいて感じます。
古代の人々にとって、
星空はもっと
彼らの生活の近くにありました。
それは、電気を持たない彼らにとって、
星や月がよく見えたから、
というだけの話ではありません。
古代の人々にとって、
夜空の月や星は、
様々なことを教えてくれました。
旅人たちにとって、
夜空の星は方角を知る上で
重要なしるしでした。
また、星の動きは月や太陽と共に、
時間の流れを教えてくれました。
それは、暦、つまりカレンダーの
発明にもつながります。
天体の規則的な動きを
観測することによって、
季節の移り変わりを
肌で感じる寒暖の差だけに頼らずに
判断できるようになりました。
そんな風に夜空を観測することを通して、
古代の人々は季節の移り変わりを把握し、
種まきや農作物の収穫のタイミングを
判断しました。
このように夜空は、
古代の人々の日常に
深く関わりのあるものでした。
ですから、きっと
現代に生きる私たちよりも、
星の動きが日常に与える影響に対して、
彼らはより敏感であったと思います。
夜空の星が人々の日常に
大きな影響があると考えたからこそ、
占星術の専門家たちが
古代世界には存在しました。
彼らは星を観測し、
様々な文献を紐解きながら、
星の位置を解釈しました。
星の動きや配置が、
自分たちや国の運命を伝えると、
彼らは考え、真剣に研究をしました。
こういった占星術が
盛んに行われていた地域の中に、
バビロニアやペルシアがあります。
さきほど読んだ物語に登場する、
博士たちの出身地と
想定されている場所です。
それは、新約聖書が紹介する、
クリスマス物語の
舞台であるユダヤからは、
東に1,400km以上もの
距離が離れた場所でした。
なぜ彼らはそんな長い旅をして、
ユダヤにまでやって来たのでしょうか。
それはやはり、彼らが
占星術の学者であったことが
関係していました。
彼らは、夜空の星を観測していたところ、
ある輝く星を発見しました。
調べてみると、どうやら
ユダヤで新しい王が生まれることを
その星は示しているようでした。
古代において、
王の誕生を告げるしるしは、
新しい時代を告げるしるし
としても受け止められました。
ですから、博士たちが見た、
あの輝く星が示したしるしは、
とても重要なしるしでした。
けれど、ひとつ不思議に感じます。
というのも、なぜ彼らは
ユダヤ人の王の誕生を
お祝いしに行ったのでしょうか。
だって、新約聖書で
描かれている時代は、
ローマ帝国が支配する時代です。
ですから、新たな皇帝の誕生を
伝える星を彼らが見つけて、
ローマを目指すのであれば自然です。
けれど、彼らが見つけた星は、
ユダヤの新しい王さまの誕生を
伝えるものでした。
ユダヤは小さな国です。
ローマ帝国の支配下にもある、
ローマの属州です。
それなのに、なぜわざわざ
1,400kmもの距離を移動して、
会いに行くでしょうか。
それは、少なくとも片道で1ヶ月半は
かかったであろう道のりです。
小国の王の誕生のお祝いに、
わざわざそれだけの時間や
旅のために必要な財力を
費やそうとするでしょうか。
ユダヤの国に新しい時代が訪れることに、
博士たちと何の関係があるのでしょうか。
東の方からやって来た博士たちが、
ユダヤの新しい王さまに
会いに来ることは、
それほど違和感の
あることだったと思います。
一体、ユダヤの
新しい王と会いたいと願った、
彼らのその動機は
何だったのでしょうか。
古代において、
重要な人物が
生まれる時や亡くなる時に、
星がその前触れを示すことは
一般的なこととして
認識されていました。
ですから、ユダヤの新しい王に
出会うために博士たちが
旅に出たということは、
その王にぜひとも会いたいと
彼らが感じたからに他なりません。
きっとユダヤの王の誕生を知らせる
星の輝きやその星の配置が、
彼らの探究心を刺激するような、
とても目立つものだったのでしょう。
あんなに目立つ星なのに、
何であの星は、小さなユダヤの国の
新しい王の誕生を示しているのだろう?
それは、とても奇妙なことでした。
だから、居ても立ってもいられず、
彼らは旅立つことに決めたのでしょう。
この星の輝きの意味を知るために、
彼らはユダヤの新しい王に
会わなければいけない
と思ったのでしょう。
古代の人々にとって、
王の誕生は時代の移り変わりを
示すものでした。
ユダヤ人という力のない、
目立たない人たちの王として
生まれてくる子ども。
そんな子どもが、
もしもこの世界の
時代の移り変わりを
示すのであれば、
驚くべきことです。
そう考えてみると、
博士たちが長い長い道のりを
時間をかけて旅をしてまで、
ベツレヘムにいるイエスさまに
会いに来た理由がわかる気がします。
事実、博士たちがこの時に出会った、
イエス・キリストの誕生は、
大きな時代の変化でした。
でも、それは、私たちの目に
わかりやすく見える形で訪れた
時代の変化ではありませんでした。
イエスさまは、神の子です。
つまり、神が人となって、
私たち人間の間で生活をしました。
それは、イエスさまの
そのような姿を通して、
神が私たちといつも共にいることを
神が教えるために、
神の側が引き起こした変化でした。
遠くの方で輝く星のように、
神は遠い場所にいる方ではありません。
イエス・キリストの誕生を通して、
神が明らかにしたのは、
神が私たちと共にいるということです。
神が、私たちのことを
遠くの方で眺めているのではなく、
とても近くで、一緒にいてくださる。
人生のあらゆる瞬間を
神が私たちと共にしてくださる。
喜ばしい時も、苦しい時も、
笑顔をこぼす日も、涙を流す日も、
どのような時も、
神が一緒にいてくださる。
それは、国家や
政治的指導者にとってではなく、
まさに私たち一人ひとりにとって、
とても大きな変化でした。
ところで、神が私たちと
いつも共にいることを示す
イエスさまの誕生について、
きょうの物語は、
星の導きを通して伝えています。
イエス・キリストを通して
神が私たちと共にいることを示すのに、
神は私たちから遥かに遠い場所で
輝く光を用いました。
私たちの目に届く星の光の多くは、
何百年も昔のものです。
それほど遠い場所で、
星は光り輝いています。
オリオン座の星の形を
みなさんはご存知かと思います。
中央に3つの星が並んでいますね。
その真中の星は、アルニラム
という名前のようです。
このアルニラムは、地球から
およそ2,000光年も離れています。
ということは、私たちが見つめる、
アルニラムの輝きは、
およそ2,000年前の光です。
イエスさまが生まれた頃に
遥か遠い場所で輝いた光が、
今、私たちのもとに届いているわけです。
ということは、博士たちが見つめた
あの星の光だって同じことが言えます。
博士たちが見つめた星の光だって、
過去に星が放った光です。
ですから、博士たちのために、
彼らの動きに合わせて、
今その瞬間に星が輝いていた、
というわけではありませんでした。
むしろ、はるか昔から、
星を輝かせ、星の配置を決めて、
神はあの星の輝きを
博士たちのもとに届けました。
あの日、あの瞬間、
あの博士たちのもとに
その光を届けるために、
しっかりと狙い澄ましたように。
あの夜の星の輝きは、
遠い昔から博士たちに向けられた、
神からのメッセージでした。
この星の輝きの意味を
受け止めて欲しい。
この輝きが示す人と
出会って欲しい。
そう、人となられた神の子、
イエス・キリストと
出会って欲しい。
神がいつも共にいることを
イエス・キリストとの出会いを通して、
知ってほしい。
そのようなことを神は
遥かに昔から願い、計画し、
博士たちに星の光を届けたのです。
そう思うと、
神がどれほどの思いをもって、
博士たちに関わり、
博士たちと共にいようとしたのかが
伝わってこないでしょうか。
でも、それはこの物語に登場する
あの博士たちのみが
特別だったわけではありません。
神は、博士たちだけと
一緒にいるために、
イエス・キリストをこの世界に
送ったのではありません。
文字通り、この世界の
すべての人と神が共にあるために。
そのために、イエスさまは
私たちのもとに来てくださいました。
それは、この場にいる私たちも、
私たちが一緒に暮らす
家族や友人たちもです。
私たちが人生の中で
一度しか出会わない人たちも、
町ですれ違う人たちもです。
神が博士たちに
あの日、輝く星の光を通して、
神が共にいることを示したように、
神は、みなさんと共にいます。
遠い過去からの光を
博士たちにピンポイントで
届けることができるように、
神は深い関心と愛情をもって、
私たちひとりひとりを見つめておられます。
私たちと共にいたいと願っています。
そんな驚きに溢れたメッセージを込めて、
きょう、神はイエス・キリストの誕生を
私たちに伝えているのです。
あの日、輝く星が
博士たちに示したように、
イエス・キリストは
私たちのもとに
来てくださいました。
神が私たち一人ひとりと
一緒にいるために。
今夜も、クリスマスのイルミネーションで
町は明るく、華やかに、
彩られることでしょう。
けれども、そんな風に
世界が電飾の光で包まれていれば、
世界は平和で明るいというわけでは
絶対にありません。
憎しみ合い、争い合い、奪い合う。
そんな暗い部分が、
相変わらずこの世界に
広がっています。
人の冷たさに悲しみ、
孤独に心を黒く塗りつぶされます。
そんな私たちやこの世界の
傷ついている部分に
目を向ける度に、
私たちは思い起こしたいと思います。
そんな世界の暗い部分に
光を宿し、平和や愛をもたらすために、
主イエスは来てくださいました。
神が私たちと共にいるために、
私たちの心の暗い部分を
光で照らすために、
主イエスは来てくださいました。
あの日、輝く星が博士たちに示したように、
主イエスは私たちのもとにおられます。
週報より
- 2025.12.14 週報より抜粋・要約
-
① クリスマスおめでとうございます!
主イエスが今もわたしたちと共にいてくださることを感謝し、
主がふたたび来られることをわたしたちは待ち望みます。
きょうは礼拝後に、クリスマス祝会をします。
有志の方たちによる持ち寄りの食事会と出し物を予定しています。
皆さまどうぞごいっしょにお過ごしください。
② 24日(水)19:30からは、イヴの祈りを開催します。
テゼの曲を中心に賛美と祈りの時を持つ予定です。
③ クリスマス献金にご協力ください。
牧師へのクリスマス手当、キリスト教関連団体への寄付などに用います。
受付テーブルの献金袋をご利用ください。
④ 2026年の教会カレンダーをお持ち帰りください。
今年も2種類のカレンダーを選びました。お好きな方をお持ち帰りください。
教会から皆さまへのクリスマス・プレゼントです。
⑤ 来週の日曜日は、2025年最後の礼拝です。
良いときも悪いときもわたしたちの信仰の旅路を導いてくださった
神に感謝をしつつ、共に礼拝するひとときを持ちましょう。
・ミャンマー大地震の救援募金に
ご協力ください(受付テーブルの上にある白い箱)。
支援金はナザレン教会の国際援助機構を通じて
ミャンマーへ送金されます。
・ナザレン教会を通じて
ボランティア団体・各被災自治体などへ送金されます。
・書き損じ・出し忘れのはがきをください(アジア学院に寄付)。
・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
牧師にお知らせください。
・小山駅・教会間の送迎(9時45分東口出発)があります。
詳しくは牧師にお尋ねください。
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以上