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朗読箇所

三位一体後第25主日

旧約 ルツ記 4:1−12

◆交渉
1 ボアズが町の門のところへ上って行って座ると、折よく、ボアズが話していた当の親戚の人が通り過ぎようとした。「引き返してここにお座りください」と言うと、その人は引き返してきて座った。
2 ボアズは町の長老のうちから十人を選び、ここに座ってくださいと頼んだので、彼らも座った。
3 ボアズはその親戚の人に言った。「モアブの野から帰って来たナオミが、わたしたちの一族エリメレクの所有する畑地を手放そうとしています。
4 それでわたしの考えをお耳に入れたいと思ったのです。もしあなたに責任を果たすおつもりがあるのでしたら、この裁きの座にいる人々と民の長老たちの前で買い取ってください。もし責任を果たせないのでしたら、わたしにそう言ってください。それならわたしが考えます。責任を負っている人はあなたのほかになく、わたしはその次の者ですから。」「それではわたしがその責任を果たしましょう」と彼が言うと、
5 ボアズは続けた。「あなたがナオミの手から畑地を買い取るときには、亡くなった息子の妻であるモアブの婦人ルツも引き取らなければなりません。故人の名をその嗣業の土地に再興するためです。」
6 すると親戚の人は言った。「そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。それではわたしの嗣業を損なうことになります。親族としてわたしが果たすべき責任をあなたが果たしてくださいませんか。そこまで責任を負うことは、わたしにはできかねます。」
7 かつてイスラエルでは、親族としての責任の履行や譲渡にあたって、一切の手続きを認証するためには、当事者が自分の履物を脱いで相手に渡すことになっていた。これが、イスラエルにおける認証の手続きであった。
8 その親戚の人は、「どうぞあなたがその人をお引き取りください」とボアズに言って、履物を脱いだ。
9 ボアズはそこで、長老とすべての民に言った。「あなたがたは、今日、わたしがエリメレクとキルヨンとマフロンの遺産をことごとくナオミの手から買い取ったことの証人になったのです。
10 また、わたしはマフロンの妻であったモアブの婦人ルツも引き取って妻とします。故人の名をその嗣業の土地に再興するため、また故人の名が一族や郷里の門から絶えてしまわないためです。あなたがたは、今日、このことの証人になったのです。」
◆人々の祝福と神の祝福
11 門のところにいたすべての民と長老たちは言った。「そうです、わたしたちは証人です。あなたが家に迎え入れる婦人を、どうか、主がイスラエルの家を建てたラケルとレアの二人のようにしてくださるように。また、あなたがエフラタで富を増し、ベツレヘムで名をあげられるように。
12 どうか、主がこの若い婦人によってあなたに子宝をお与えになり、タマルがユダのために産んだペレツの家のように、御家庭が恵まれるように。」


新約 コロサイの信徒への手紙 3:12−17


12 あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
13 互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
14 これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。
15 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。いつも感謝していなさい。
16 キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。
17 そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。

説教

ボアズの抗議

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    古代社会において、町の門は
    単なる町への入り口ではありませんでした。
    門の前は広場となっていて、
    人びとが集まり、交流する場でした。
    そのため、そこでは物が売り買いされ、
    裁判が開かれました。
    大切なことが話し合われる
    議会が開かれることもあれば、
    契約が結ばれることもありました。
    さきほど読んだルツ記の物語で
    ボアズが交渉をした場所も
    ベツレヘムの町の門のそばでした。

    ボアズの交渉の目的は、
    イスラエルの律法に基づいて、
    ルツを自分の妻として迎え入れることでした。
    この時にボアズが用いようと考えた制度は、
    最も近い親戚に適用されるものでした。
    そのため、自分よりも優先される立場の親戚との間に、
    ボアズは交渉の場を開きました。
    ボアズの計画どおりに事が運んで、
    交渉が無事に成立し、
    ボアズはルツを自分の妻として
    迎えることが出来ることとなりました。
    ハッピーエンドですね。

    ただ、交渉をするボアズの言葉に
    少し、気になることがあります。
    ボアズがルツをモアブ人の女性と強調している点です。
    たしかに、これまでルツ記は何度も、何度も、
    この物語の主要人物である、ルツという名の女性が
    モアブ人であることを強調し、
    イスラエルの社会にとって部外者であると伝えています。
    ボアズが持ちかけた交渉は、
    ナオミが権利を持つ土地の買い取りから始まりました。
    ボアズの交渉相手は、前向きにボアズの話を受け取り、
    土地の買い取りを決めます。
    けれど、ボアズは大切な情報を後出しします。
    この土地の権利を買い取る場合、
    モアブ人の女性である、
    ルツと結婚しなければなりませんよ。
    ナオミの亡くなった息子は、
    モアブ人女性と結婚していて、
    夫がいないままでいます。
    だから、土地を買い取るならば、
    イスラエルの法に基づいて、
    モアブ人ルツとあなたは結婚するべきですよ。
    ボアズが後から出したこの情報を聞いたとき、
    ボアズの交渉相手は、それっぽい理由を語り、
    土地の買い取りを諦めます。
    モアブ人女性と結婚することを
    受け入れられなかった可能性が高いと思います。
    ルツがモアブ人であることを利用して、
    ボアズはルツと結婚する道を拓いたかのように見えます。
    イスラエル社会で暮らす人びとが
    モアブ人を嫌ったことを利用し、
    そんな現実を引き出して、
    ボアズはルツと結婚しようとしたように見えます。
    ある意味で、ボアズはとても賢く、
    交渉を行ったといえるでしょう。

    でも、ルツがモアブ人であることの強調は、
    果たしてそれだけの意味だったのでしょうか。
    実は、モアブという言葉に注目して
    ルツ記の物語を読んでみると、
    ルツがモアブ人であるという強調が
    徐々に減っていき、
    3章でのルツとボアズの対話の中では
    消えていることに気づきます。
    ボアズにとって、ルツがモアブ人であることは
    大きな障害とはなっていないことの表れなのでしょう。
    それに、ルツがモアブから来た女性であることは、
    ベツレヘムの町中に知れ渡っていたことですから、
    わざわざルツがモアブ人であることを
    強調する必要などありません。
    ルツの名前を出せば、
    交渉相手はルツがモアブ人であることを
    真っ先に思い起こしたことでしょう。
    だからこそ、ボアズは
    ルツがモアブ人であるという情報を
    交渉の道具としてではなく、
    別の意味を込めて用いていると思います。

    この物語の中で起こったことは、
    門という公の場で、
    ルツがモアブ人であることを知らされた上で、
    ボアズとの結婚が宣言されることです。
    そして、公の場で、彼らの結婚が
    ベツレヘムの町の人びとから祝福されます。
    この時に、ルツがモアブ人であることを強調しなくても、
    ボアズの結婚を認められ、
    彼らは祝福を受けたことでしょう。
    それにも関わらず、ボアズがこの時、敢えて、
    ルツがモアブ人であることを強調したのは、
    イスラエル社会に対して
    抗議するためだったのではないでしょうか。

    ルツがモアブ人であることは、
    イスラエルの人びとにとって、
    どのような意味があったのでしょうか?
    旧約聖書はモアブ人を肯定的にも、
    否定的にも描いています。
    モアブ人はイスラエルと親戚関係にある民族でしたし、
    モアブを敵としてはいけない(申命記2:9)
    という神の命令が申命記の中に見つかります。
    でも、旧約聖書全体では、
    モアブ人は否定的に描かれていることが多い民族です。
    おそらく、最も強くその否定的な印象を与えるのは、
    申命記23章に記されている言葉でしょう。
    それは、モアブ人を神の民に加えてはいけない。
    世代が移り変わり、10世代後になったとしても、
    決してモアブ人をイスラエルの民に加えてはいけない、
    という内容のものでした(申命記23:4)。
    申命記という同じ書物の中に、モアブ人に対して、
    否定的な言葉も、肯定的な言葉も見つかるため、
    彼らに対して解釈の余地があることがよくわかるでしょう。
    でも、ルツ記が記された時代、
    モアブ人をはじめ、外国人に対して
    そのような見方はなされませんでした。
    イスラエルの社会で外国人は、
    よそ者として扱われていました。

    ルツ記という書物が記されたのは、
    紀元前400年頃です。
    それは、イスラエルの民の国が滅びた後、
    エルサレムの都を再建するために、
    彼らが戻ってきた後の時代です。
    エズラやネヘミヤという指導者によって導かれ、
    ユダと呼ばれる共同体を
    エルサレムの地に再建した時代です。
    旧約聖書のエズラ記やネヘミヤ記に
    その時代の様子が描かれていますが、
    ネヘミヤの時代に
    さきほどの申命記の言葉が発見されました。
    どちらの言葉だったでしょうか。
    残念ながら、それはモアブ人が
    神の民に加われないと伝えている方でした(ネヘミヤ13:1)。
    エズラ、ネヘミヤの時代、
    イスラエルの民の間で、ユダの人びとの間で、
    この考えが主流になっていきます。
    他の民族と一緒に生きていくよりは、
    自分たちは神に選ばれた民族だと誇り、
    他の民族と一緒に生きることを拒絶し、
    彼らを排除していくという考えです。
    この考えに基づいて、
    外国人と結婚している人びとは、
    離婚を強制されるという悲劇が起こりました。

    このような考えが主流であった時代に、
    ルツ記は記されました。
    そう、これほど嫌われていたモアブ人女性を
    イスラエルの共同体が受け入れたことを
    この物語はその時代に伝えました。
    ある意味で、その時代の価値観とは
    間逆な考えを提供する文書ですね。
    でも、そのような声を上げる必要があった時代でした。
    社会の中に排除された外国人たちがいました。
    外国人との結婚は共同体の中で祝福されず、
    離婚を強要されました。
    ルツ記は彼らの声を代弁して、
    現実の外国人に対する差別的で、
    排斥的な考え方に抵抗しています。
    イスラエルの社会に外国人を通して祝福がもたらされる
    という、メッセージをルツ記は届けているのです。

    そのような時代状況を知った上で、
    ルツ記を読み直してみると、
    ボアズの行動はまさに、
    イスラエル社会に対する抗議であり、
    異議申し立てです。
    そして、イスラエルの社会の中で排除されていた
    外国人に対する受け入れと、祝福の声でした。
    また、そんなボアズの言葉を受け入れ、
    彼らを祝福するベツレヘムの町も
    ルツ記が記され、読まれた時代に対して
    抗議の声を上げる共同体となっています。

    そのようなルツ記の物語は、
    時代を越えて、わたしたちが生きるこの時代に対しても、
    抗議の声を上げているかのようです。
    ボアズの声は、わたしたちに問いかけています。
    わたしたちの社会は、
    どのような人たちを
    追い出してしまっているでしょうか?
    誰を排除してしまっているでしょうか?
    誰を祝福せず、呪い、
    敵視してしまっているでしょうか?

    すべての人を愛し、慈しみ、
    多様な生き方や多様なあり方を喜ばれる神は、
    誰か特定の人たちを排除する社会や交わりを
    わたしたちが築いていくことを
    決して望んではいません。
    イエスさまが、罪人といわれ、
    社会からのけ者にされている人たちの
    友となったように、
    排除ではなく、受け入れ合って、
    一緒に歩んで行くとこを選び取り、
    共に生きることを模索し続ける場所を
    作っていくことこそ、
    わたしたちに必要なことです。
    この社会や世界のあり方が
    そのようになっていったら喜ばしい限りですが、
    せめてわたしたちの周りだけでも、
    教会のあり方だけでも、
    そのような神の願いを
    少しでも映し出すものでありたいですね。
    それは、目の前にいる人たちを排除するのではなく、
    受け入れ、慈しみ、祝福する場所です。
    わたしたちはすでに、
    キリストを通して、神に受け入れられ、
    神の慈しみを受け、
    祝福を受け取っています。
    だからこそ、神から受け取っているものを
    分かち合えるはずです。
    そんな場所をわたしたちはこの世界で
    作り上げていくことができるはずです。
    どうか、ボアズの抗議する声と、
    ベツレヘムの町の祝福の声が、

    みなさんのそのような歩みを後押ししますように。


週報より

  • 2023.11.26 週報より抜粋・要約

  • ① きょうは礼拝後にランチの会を予定しています。
    メニューはカレーの予定です。
    費用は無料です。ランチの会への自由献金は歓迎します。
    ランチの会の後に大掃除とクリスマスの飾り付けを行います。
    清掃に参加できない方たちもご遠慮なくご参加ください。

    ②ランチの会の後に大掃除とクリスマスの飾りつけをおこないます。
    今回は4つのチームに分かれておこないます。
    部分的な参加でもだいじょうぶです。

    ③ 月報『モレノ』12月号が完成しました。
    ご協力くださったみなさま、ありがとうございました。
    表紙・裏表紙の絵、挿絵、写真、原稿などを募集しています。
    手渡しでも、データでも受け付けています。
    なんでも、お気軽にご寄稿ください。

    ④ 来週の礼拝後に月例役員会をおこないます。
    教会役員のみなさまはよろしくお願いいたします。
    おもな議題は、クリスマス関連の予定についてです。
    役員会で話し合ってほしいことがある方は、
    牧師または役員までお知らせください。

    ⑤ 教会教育委員会主催のリレー講義の第2回目のお知らせ
    『道・真理・命 〜 恵みの旅としての弟子の歩み』という書籍について学ぶ、
    ナザレン教会の牧師たちのリレー講義が先月から始まりました。
    第2回目はきょうの午後4時からです。Zoomを用いておこなわれます。
    出席を希望される方でURLがわからない方は牧師までお知らせください。

    ⑥ クリスマス関連の集会案内を記載したポストカードを用意しました。
    季節のあいさつや、ご家族やご友人をお誘いの際にご活用ください。

    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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