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朗読箇所

三位一体後第8主日

創世記15:1−6

◆神の約束
1 これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう。」
2 アブラムは尋ねた。「わが神、主よ。わたしに何をくださるというのですか。わたしには子供がありません。家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」
3 アブラムは言葉をついだ。「御覧のとおり、あなたはわたしに子孫を与えてくださいませんでしたから、家の僕が跡を継ぐことになっています。」
4 見よ、主の言葉があった。「その者があなたの跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」
5 主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」
6 アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。


新約 ローマの信徒への手紙4:1−12

◆アブラハムの模範
1 では、肉によるわたしたちの先祖アブラハムは何を得たと言うべきでしょうか。
2 もし、彼が行いによって義とされたのであれば、誇ってもよいが、神の前ではそれはできません。
3 聖書には何と書いてありますか。「アブラハムは神を信じた。それが、彼の義と認められた」とあります。
4 ところで、働く者に対する報酬は恵みではなく、当然支払われるべきものと見なされています。
5 しかし、不信心な者を義とされる方を信じる人は、働きがなくても、その信仰が義と認められます。
6 同じようにダビデも、行いによらずに神から義と認められた人の幸いを、次のようにたたえています。
7 「不法が赦され、罪を覆い隠された人々は、
幸いである。
8 主から罪があると見なされない人は、
幸いである。」
9 では、この幸いは、割礼を受けた者だけに与えられるのですか。それとも、割礼のない者にも及びますか。わたしたちは言います。「アブラハムの信仰が義と認められた」のです。
10 どのようにしてそう認められたのでしょうか。割礼を受けてからですか。それとも、割礼を受ける前ですか。割礼を受けてからではなく、割礼を受ける前のことです。
11 アブラハムは、割礼を受ける前に信仰によって義とされた証しとして、割礼の印を受けたのです。こうして彼は、割礼のないままに信じるすべての人の父となり、彼らも義と認められました。
12 更にまた、彼は割礼を受けた者の父、すなわち、単に割礼を受けているだけでなく、わたしたちの父アブラハムが割礼以前に持っていた信仰の模範に従う人々の父ともなったのです。

説教

信仰による義とは主に信頼して共に歩むこと

音声を聴く

  • 説教者  石田学 牧師

     

    パウロはここでアブラハムという人に言及します。
    アブラハムは、ユダヤ人なら誰でも知っている、
    民族の始まりとなった先祖の名前です。
    ヘブライ人、後のイスラエルの民の歩み、
    やがてユダヤ人と呼ばれる民族の歴史は、
    このアブラハムから始まりました。
    神がアブラハムを選び、
    あなたを祝福するとの約束を与え、
    アブラハムがその約束を信じたことから、
    偉大な民族の物語は始まりました。
    イスラエル民族は歴史に翻弄されてきました。
    国が滅ぼされ、
    民族はちりぢりにされ、
    異国に捕虜として連れて行かれ、
    その後も古代の超大国に支配されてきました。
    パウロの時代にはローマ帝国が、
    ユダヤの地を占領していました。
    それでも、ユダヤ人は自分たちのことを、
    神に祝福されたイスラエルの民であり、
    神に選ばれた民だと自負していました。
    神は義と公平の神なのですから、
    神に選ばれた民であるユダヤ人も、
    神に属する民として、
    神に義とされている。
    それがイスラエルの民とその子孫である、
    ユダヤ人の確信することでした。
    しかし、神に義とされるとは、
    いったいどういうことでしょうか。
    パウロはその意味を説明するために、
    イスラエルの民の起源となった、
    先祖アブラハムから説き起こしています。
    イスラエルの民は律法を神から与えられ、
    律法を守ることこそが、
    民族のアイデンティティと信じました。
    しかし、イスラエルの民に律法が与えられたのは、
    アブラハムよりも何百年も後、
    モーセによって率いられて、
    エジプトから脱出した後のことです。
    神はモーセをとおして、
    イスラエルの民に十戒をはじめとする、
    律法を与えたのでした。
    ですから、アブラハムの時代には、
    律法はまだありませんでした。
    しかし、アブラハムとその子どもらは、
    自分たちが神の民であることの証として、
    割礼を受けました。
    やがてモーセをとおして律法が与えられると、
    割礼はイスラエルの民に与えられた律法の、
    もっとも重要な柱であり象徴だとみなされ、
    割礼が律法を代表することになりました。
    そこでまだ律法そのものはなくても、
    アブラハムが割礼を受けたことをパウロは、
    律法のいわば象徴とみなしたのでした。
    アブラハムは割礼を受けました。
    それだからアブラハムは、
    神によって義と認められたのでしょうか。
    パウロは問いかけるのです。
    アブラハムが神に義と認められたのは、
    割礼というおこないによってなのかと。
    そうではない、
    割礼を受けたから義と認められたのではない。
    パウロはそのことを、
    創世記十五章の記述から議論してゆきます。
    アブラハムが神によって義と認められたのは、
    割礼を受けたからではなく、
    神を信じたからであった。
    パウロはそのように語ります。
    割礼を受けたから義と認められたのではなく、
    神に義と認められた証として、
    後からアブラハムは割礼を受けた。
    それがアブラハムをとおしてパウロが示す、
    信仰によって義とされることの根拠でした。
    割礼が律法の中心であるとするなら、
    割礼に言えるのと同じことが、
    律法全体についても言えるはずです。
    そうであるとしたら、
    何を問うべきかが明らかになってきます。
    何をすれば神に義と認められるかと問うのは、
    考え違いをしていることになります。
    むしろ問うべきは、
    神がアブラハムの何を義と認めたか、
    ということのはずです。
    神はいったいアブラハムの何を義と認めたのか。
    パウロはその答えを、
    創世記15章から引用して語るのです。
    アブラハムは神を信じた。
    それが、彼の義と認められた。
    アブラハムは何を信じたのでしょうか。
    神が存在するかどうかを信じたのではありません。
    神についての説明を信じたのでもありません。
    神についての情報や知識でもありません。
    アブラハムが信じたのは、
    アブラハムに対する神の約束でした。
    創世記十五章で神はアブラハムに告げます。
    まだアブラハムが名前を変える前、
    アブラムと呼ばれていた時の出来事です。
    創世記15章はこう語るのです。
    主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。
    「恐れるな、アブラムよ。
    わたしはあなたの盾である。
    あなたの受ける報いは非常に大きい」
    それに対してアブラハムは、
    少しばかり恨み言を神に向かって語ります。
    「わが神、主よ。
    わたしに何をくださると言うのですか。
    わたしには子どもがありません。
    家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです」。
    アブラムは言葉をついだ。
    「ご覧のとおり、
    あなたはわたしに子孫を
    与えてくださいませんでしたから、
    家の僕が後を継ぐことになっています」。
    それに対する神の言葉を創世記は続けます。
    見よ、主の言葉があった。
    「その者があなたの後を継ぐのではなく、
    あなたから生まれる者が跡を継ぐ」。
    主は彼を外に連れ出して言われた。
    「天を仰いで、
    星を数えることができるなら、
    数えてみるがよい」。
    そして言われた。
    「あなたの子孫はこのようになる」。
    そして創世記はこう続けるのです。
    アブラムは主を信じた。
    主はそれを彼の義と認められた。
    アブラハムが神を信じたと言われるとき、
    彼は神の何を信じたのでしょうか。
    彼が信じたのは神の存在や、
    神とはとの説明ではなく、
    神のアブラハムに対する約束でした。
    約束を信じるとは、
    その約束に基づいた生き方をすることです。
    パウロが議論の根拠とする創世記15章は、
    神が子孫の繁栄をアブラハムに約束した箇所です。
    しかし、パウロがここで、
    「アブラハムは神を信じた」と引用するとき、
    子孫繁栄の約束だけを指していないのは明らかです。
    子孫の繁栄だけが神の約束ではなく、
    創世記12章では、
    「地上の氏族はすべて、
    あなたによって祝福に入る」、
    つまり全人類がアブラハムをとおして、
    神の祝福にあずかることになる、
    との約束がアブラハムに与えられています。
    神の祝福の約束は、
    創世記15章の子孫繁栄だけでなく、
    はるかに大きく豊かなものでした。
    さらにそれだけではありません。
    パウロはきょう交読した、
    詩編32編のダビデの詩を引用して、
    罪が赦されることが神の約束であることを、
    はっきりと語るのです。
    神の約束の中には罪の赦しも含まれます。
    神の約束を信じるとは、
    うそかほんとうかを信じるということではなく、
    神の約束に信頼して、
    自分の生き方を定めるということです。
    約束を信じると言いながら、
    約束に反する生き方をするとしたら、
    ほんとうには信じていないのでしょう。
    五時に銀座で会いましょうと約束し、
    その約束を信じるなら、
    その約束をした相手を信じるなら、
    五時に銀座に行くはずです。
    神の約束を信じるとは、
    神の約束に信頼して生きること。
    それこそが神に義と認められること、
    すなわち神に受け入れられることです。
    信仰によって義とされるとは、
    そういうことです。
    そうであるとしたら、わたしたちは、
    神からどのような約束を与えられているのでしょう。
    全人類に対する、
    神の最大の、究極の約束、
    わたしたちが神から受けている約束は、
    いったいどのようなものでしょうか。
    それは神の独り子イエス・キリストを通して、
    わたしたちに与えられている約束です。
    神はキリストをとおして、
    わたしたちに約束してくださっています。
    主キリストによって罪が赦され、
    神の民として受け入れられるとの約束、
    キリストがわたしたちと常に共にいて、
    わたしたちの生涯を導いてくださるとの約束、
    主が再び来られて、
    神の平和と正義をおこなうとの約束、
    キリストと共に生きる道は、
    神の国と永遠の命への旅であるとの約束
    わたしたちの故郷は天にあるとの約束。
    これが神のわたしたちに対する約束です。
    あなたはその約束を信じました。
    そうであれば、
    その約束を信じて生きることが、
    信仰によって義とされること、
    すなわち、
    神の民として受け入れられることです。
    神に義とされることには、
    おこないも業績も、成功も繁栄も、
    名誉も地位も、知識も能力も、
    一切何の役にも立ちません。
    誇るべきものは何一つないとしても、
    ただ主に信頼して、
    主と共に歩むこと、
    主キリストが教え示してくださる、
    愛を心に抱き、
    憐れみを忘れず、
    神の正義と公平を願い、
    主に信頼して感謝しながら、
    内におられる主イエスと共に歩むこと。
    そのことによって、
    そのことだけによって、
    わたしたちは神に義と認められるのです。

週報より

  • 2022.08.07 週報より抜粋・要約

  • ・きょうはティータイム後に
    月例教会役員会を開きます。
    教会役員の皆さまは
    付属館にいらしてください。
    役員会のおもな議題は
    9月の教会全体会の議題、
    これからの教会の予定について、
    その他です。  
    役員会へのご提案・
    ご要望がありましたら、
    お知らせください。

    ・来週は月報『モレノ』編集会をします。
    モレノ・チームの皆さまは
    よろしくお願いします。 
    9月号のための原稿は、
    来週が締切ですので、
    原稿をくださる方は
    来週までによろしくお願いします。

    ・来週は平和聖日です。            
    今、世界は平和への道とは
    正反対へと向かいつつあります。
    ロシアによるウクライナへの軍事侵攻、
    台湾周辺での政治的緊張、
    中東での軍事的衝突、
    それらをめぐる軍事的緊張などが
    拡がっています。
    わたしたちの教会は
    毎年八月の第二日曜日を平和聖日として、
    共に平和の祈りを捧げています。

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    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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