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朗読箇所

三位一体の主日  

旧約 イザヤ書45:18-19


18 神である方、天を創造し、地を形づくり
造り上げて、固く据えられた方
混沌として創造されたのではなく
人の住む所として形づくられた方
主は、こう言われる。わたしが主、ほかにはいない。
19 わたしは隠れた所で、地の闇の所で
語ったことはない。ヤコブの子孫に向かって
混沌の中にわたしを求めよ、と言ったことはない。わたしは主
正義を語り、公平を告知する者。


新約 マルコによる福音書12:13-17

◆皇帝への税金
13 さて、人々は、イエスの言葉じりをとらえて陥れようとして、ファリサイ派やヘロデ派の人を数人イエスのところに遣わした。
14 彼らは来て、イエスに言った。「先生、わたしたちは、あなたが真実な方で、だれをもはばからない方であることを知っています。人々を分け隔てせず、真理に基づいて神の道を教えておられるからです。ところで、皇帝に税金を納めるのは、律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか。」
15 イエスは、彼らの下心を見抜いて言われた。「なぜ、わたしを試そうとするのか。デナリオン銀貨を持って来て見せなさい。」
16 彼らがそれを持って来ると、イエスは、「これは、だれの肖像と銘か」と言われた。彼らが、「皇帝のものです」と言うと、
17 イエスは言われた。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい。」彼らは、イエスの答えに驚き入った。

説教

この世界はだれのものか?

音声を聴く

  • この世界はだれのものか?
    この問いに何と答えるのでしょうか。
    多くの人は言うことでしょう。
    「誰のものでもない」と。
    でも実際にはそうではありません。
    自分のものは自分のものと信じ、
    いまは自分のものではないものも、
    やがてもっと自分のものにしたい。
    そのように望んでいるはずです。
    そして、この世界の現実はといえば、
    実質的に世界の先進諸国が、
    世界のかなりを自分たちのものにし、
    なかでも超大国は、
    世界を我が物とみなし、
    あるいは我が物のように振る舞い、
    互いにライバルの取り分を減らして、
    自分の国がもっと多くを獲得しようと、
    牽制し合い非難し合い、
    軍事力で威嚇し合っています。
    ほとんど誰も、
    世界は神のものだとは考えません。
    残念なことにクリスチャンであっても。
    持っているものの多い少ないはあれ、
    だれもがわたしのものはわたしのもの、
    そう考えています。
    だから、人は恐れます。
    持っているものを失うことを。
    多く持っているほど、
    それが独占的であればあるほど、
    人は失うことを恐れます。
    富であれ地位であれ、
    利権であれ支配力であれ、
    多くを持つ人ほど、
    失うことに恐怖を抱き、
    自分の富や地位をおびやかす人を、
    無力化し、排除し、
    時に暴力的に葬り去ろうとします。
    この世界では現代でも、
    そのような脅迫や暴力が、
    どれほどたくさん振るわれていることか、
    わたしたちが世界のニュースを見れば、
    すぐに気付かされることでしょう。
    普通の人はそんなことをする力はないが、
    権力者にはそれができてしまいます。
    普通の人でも集団になればできてしまいます。
    イエス様の時代もまったく同じでした。
    ユダヤ社会を支配するのは、
    祭司階級でありファリサイ派であり、
    そしてヘロデ派という貴族や金持ちでした。
    さて、またイエス様のもとに、
    ある人たちが遣わされてきました。
    今回やって来たのはファリサイ派とヘロデ派。
    ファリサイ派というのは宗教指導者です。
    ヘロデ派はユダヤの支配階級です。
    彼らがイエス様を陥れるために用意した罠は、
    税金についての質問でした。
    税を納めるべきでしょうか、
    納めないべきでしょうか。
    皆さん、税金を納めること楽しく、
    とても嬉しいという方がおられますか?
    たいした額ではないけれども、
    わたしも納税者です。
    「あーあ、こんなに取られちゃう」。
    そうぼやきながら、毎年納めます。
    そして5月になると今度は市県民税。
    なんでこんなに高いのかと嘆いて、
    仕方なしに納めます。
    古代の人たちも同じであったことでしょう。
    しかし、イエス様の時代のユダヤでは、
    税金には別の問題がありました。
    ユダヤはその時代、
    ローマ帝国によって征服され、
    帝国の領土に組み込まれていたからです。
    問題となる税金は、
    ローマ帝国に納める税でした。
    征服され、支配され、独立を奪われ、
    さらに税金を搾り取られるのです。
    ローマは征服者であり、
    ユダヤ人からみれば汚れた異邦人、
    諸々の神々を抱えている偶像崇拝者の国。
    ローマに税を納めるなどということは、
    嫌悪すべきことであり、忌まわしいこと、
    民族の恥、服従させられている証でした。
    だから、ローマのために税を集めていた、
    徴税人らはみんなから罪びととみなされ、
    裏切り者として嫌われる存在でした。
    だれも喜んで税を納めたりしません。
    しかし、それぞれに思惑もありました。
    ヘロデ派は、ローマに協力することで、
    ユダヤでの権力を確保していました。
    だから、彼らはローマに税を納めることは、
    おもてだって積極的には主張しませんが、
    きちんとみんなが税を納めることは、
    ローマとの関係を良好にするうえで、
    彼らの利益でした。
    しかし、そんなことは公には言えません。
    だから、税を納めるのは仕方がない。
    そういう言い方でしぶしぶの振りをしました。
    (たぶん)
    ファリサイ派は民族主義者です。
    ローマの支配など嫌に決まっています。
    しかし、彼らにとってなにより重要なのは、
    今日・明日を平穏に過ごすことでした。
    日常の生活が守られ、
    自分たちが民衆の宗教的指導者でいること。
    そのことを第一の願いとしていましたから、
    ローマに税を納めることは、
    平穏な日々のために、
    「仕方がない」ことと考え、主張しました。
    彼らのどちらもが、
    税を納めよとは言わず、
    税を納めるなとも言いません。
    税を納めるのは「仕方がないこと」として、
    現状を肯定することで、
    自分たちの地位と特権を保持したのでした。
    皇帝に税を納めよといえば、
    民衆の反感を買います。
    皇帝に税を納めるなといえば、
    ローマ帝国に処罰されます。
    どちらを口にしても大トラブルです。
    さて、そのことをよくよく理解している彼らが、
    イエス様をその大トラブルに陥れようと、
    罠を用意してやってきたのでした。
    彼らはイエス様をほめあげる振りをします。

      先生、わたしたちは、
    あなたが真実な方で、
    だれをもはばからない方であることを
    知っています。
    人々を分け隔てせず、
    真理に基づいて
    神の道を教えておられるからです。

    なるほど、イエス様をこれほどかと言うくらい、
    高く持ち上げ、ほめそやして、
    しかし、真実な思いを語らざるを得なくし、
    真理に基づいて神の道を語るしかないように、
    巧妙に逃げ道を塞いだのでした。
    しかも、イエス様個人にではなく、
    そこに居合わせる弟子たちと、
    大勢の群衆に向かって呼びかける仕方で。
    みんなが聞いているのですから、
    イエス様には正直な考えを言う以外に、
    選択肢がありません。
    そのうえで彼らは尋ねたます。

      カイザルに税金を納めるのは、
    律法に適っているでしょうか、
    適っていないでしょうか。

    どちらを答えても、イエス様は大トラブル。
    しかし、答えないという選択肢はない。
    なんという恐ろしくも巧妙な罠であることか。
    そこに居合わせた人々はみんな、
    固唾を呑んでイエス様を見つめます。
    勝利を確信したファリサイ派とヘロデ派の、
    口元がほころびるのが見えるようです。
    イエス様の答え。
    それは驚くべきものでした。
    あり得ないと思い込んでいた、
    二つの選択肢とは違う答えが、
    イエス様から発せられたのでした。

      カイザルのものはカイザルに、
    神のものは神に。

    まさに、近頃言うところの、神対応。
    もっとも、イエス様の場合は、
    ほんとうに神の対応ですが。
    納めよではなく、納めるなでもなく、
    皇帝のものは皇帝に
    神のものは神に。
    一見、世俗のことがらと信仰のことがらを、
    切り離して別物にしているかのようです。
    しかし、この答えは実は、
    彼らファリサイ派とヘロデ派の偽善を、
    そして現代の教会の偽善をも顕わにします。
    この世のことがら、世俗の問題を、
    信仰のことがら、霊的な問題と切り離し、
    二つは別物で関わりがないとする偽善です。
    いまでも、ある教会はそう教え、
    教会はこの世の問題、
    特に政治とは関係するなと主張します。
    このことはどの政党を支持するかとか、
    保守かリベラルかという問題ではありません。
    神の正義、神の公平、神の憐れみの問題です。
    たとえば、わたしたちの国で、
    人権が正しく守られなくて、
    政治がそれに対処しないとき、
    これは政治の問題だから教会には関係ないとは、
    わたしたちは言うべきではありません。
    この世界において信仰的に生きることは、
    とても政治的なことでもあるからです。
    教会は霊的なことに専念し、
    世俗の問題には関わらないようにするなら、
    わたしたちはこの世界に対する神の主権を、
    半分しか認めていないことになります。
    イエス様は質問をした人々に告げました。
    「デナリオン銀貨を持って来て見せなさい」。
    デナリオン銀貨はローマ帝国の銀貨です。
    発行しているのはローマ帝国。
    そして貨幣としての価値を付与するのは、
    ローマ帝国という国家の権威です。
    まさしくデナリオン銀貨はローマのもの、
    そして皇帝のものに違いありません。
    だから、皇帝のものを皇帝に、
    税として納めることに反対はできません。
    しかし、イエス様は、
    皇帝のものは皇帝に、
    という言葉で終えませんでした。
    もう一つの言葉を告げます。

      神のものは神に。

    皇帝に納める税は、たしかに皇帝のもの。
    しかし、皇帝が最終の税の所有者でしょうか。
    その皇帝はだれのものでしょうか。
    皇帝が統治するローマ国家は誰のものでしょう。
    多くの人は答えを持たないかもしれません。
    しかし、ユダヤの人々は答えを知っていたはず。
    そして今、
    わたしたちも答えを知っているはずです。
    皇帝は神のもの、
    国家もまた神のものだと。
    きょう、詩編95編を交読しました。
    詩人は高らかに宣言します。

      深い地の底も御手の内にあり
    山々の頂も主のもの。
    海も主のもの、
    それを造られたのは主。
    陸もまた、
    御手によって形づくられた。
    わたしたちを造られた方
    主の御前にひざまずこう。

    詩による言葉をとおして詩人が歌うのは、
    万物は神によって創造され、
    すべてのものは神のものだということです。
    きょう旧約聖書で読んだイザヤ書45章で、
    預言者イザヤも高らかに告げます。

      神である方、
    天を創造し、地を形づくり
    造り上げて、
    堅く据えられた方
    ・・・
    わたしは主
    正義を語り、
    公平を告知する者。

    神が万物の創造主であり、
    すべては、陸も海も天も、
    そして国も民もすべての人も、
    神に造られた、神のもの。
    皇帝も国家も神のものであるなら、
    神の意志に従うべき存在です。
    キリスト教の教えに従えというような、
    小さな意味ではありません。
    宗教や民族や人種や時代を超えて、
    そして身分や社会的地位を超えて、
    全人類に共通する、
    神の創造に基づく普遍的な価値、
    イザヤの言葉によれば正義と公平、
    そしてキリストの言葉によれば、
    愛と憐れみ深さにおいて、
    創造主である神の御心をおこない、
    従う義務があるということです。
    ですから、ローマ皇帝であれ、
    どの国のカイザルであれ、
    キリスト教徒であれ別の宗教者であれ、
    正義をおこない、
    公平を実現し、
    愛に基づき、
    憐れみ深さを根源的価値として、
    政治をおこない、
    国家の運営をする義務を負っています。
    要するに、どの国であれ、
    どの民族、どの宗教であれ、
    国家は善をおこなう義務があり、
    わたしたちは国家に対して、
    その義務を守ることを求める責任があります。
    わたしたちは税金を払います。
    それが神の御心に適う用いられ方をしているか、
    わたしたちはそのことに関心を抱き、
    神の御心に適う用いられ方をしているか、
    注意を払う義務があります。
    なんと、キリスト者として生きることは、
    政治的なことでしょうか。
    政治的であることは必然です。
    なぜなら、
    この世界はだれのものかという、
    根源的な問いから生じる生き方だからです。




    説教者 石田学牧師


週報より

  • 2021.06.06 週報より抜粋・要約

  • ・きょうはティータイム後に
    月例教会役員会を開きます。
    教会役員の皆さまは
    付属館にいらしてください。   
    おもな議題は、
    定例の報告・承認とクリーンアップ・デイ、
    別館/付属館のリフォームについて、
    などです。     
    クリーンアップ・デイは6月27日です。
    どうぞご予定ください。

    ・今週火曜日は「礼拝と音楽」誌
    編集会議が開かれます。
    オンライン会議で、
    学牧師が牧師室から出席します。

    ・来週はモレノ編集会をいたします。
    モレノ製作に加わってくださる方は、
    よろしくお願いします。
    原稿の締切も来週の日曜日ですので、
    担当の方、寄稿くださる方は、
    それまでに原稿をご持参、
    もしくはメール・郵送でお送りください。

    ・きょうは礼拝後、
    10分間除草をしましょう。
    有志の方にお願いしますので、
    ご協力くださる方はよろしくお願いします。



    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。


    ・小山駅・教会間の送迎をしています。
    詳しくは牧師にお尋ねください。
    東口のエスカレーター下を9:45出発、
    帰りは教会を12:40出発予定です。


  • 以上

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