説教者 稲葉基嗣牧師
わたしたちの人生は旅と表現されることがあります。
その旅において、わたしたちは
目的地を目指して歩んでいます。
ただ、その旅で歩む道が常に平坦で、
まっすぐなわけではありません。
険しい坂道を汗を流して歩むこともあれば、
雨風をしのぎ、暑い日差しに耐えて
一歩一歩足を進めていくこともあります。
何度も何度も分かれ道が目の前に現れ、
どちらに行くのが良いかいつも悩んでいます。
時には迷い、方向を見失いそうになります。
ただ、もちろん、常にひとりで
この旅を続けるわけではありません。
一緒に旅をする仲間もいます。
でも、同じ人たちといつまでも
歩み続けるわけにもいきません。
目的地が同じであっても、
立ち寄らなければいけない場所は
人それぞれ違うため、
わたしたちは出会いと別れを
何度も何度もこの旅の中で繰り返しています。
わたしたちにとって喜ばしいことは、
この旅をイエスさまが
わたしたちと一緒に歩んでくださり、
聖霊なる神の導きが
いつもわたしたちと共にあることです。
そして、この旅の終わりまで一緒に歩んでいく
教会という共同体があり、
ここに喜びや悲しみを
分かち合える仲間たちがいることです。
多くの人は、人生の旅路の目的地を
終着点と呼びます。
この旅は、死を迎えて終わるからです。
でも、わたしたちにとっては、
終わりであり、始まりです。
わたしたちは復活の望みと、
天の国で神と共に生きる希望を持っているからです。
死でこの旅が完全に終わるのではありません。
この旅の終わりは、天の国で生きるという、
わたしたちの新しい始まりさえも意味します。
その意味で、わたしたちにとって、
この旅は目的地にたどり着く日を
今か今かとワクワクしながら歩み続ける、
喜びにあふれる旅です。
このように改めて思い巡らしてみると、
やはり、旅という言葉は、
人生を表すのにぴったりな比喩表現だと感じますね。
でも、パウロはフィリピ教会の人たちに
目的地へ向かう信仰者たちの姿を伝える上で、
旅を比喩としては用いませんでした。
パウロは徒競走を比喩として用いています。
ヘレニズム、つまりギリシア・ローマ文化で生きていた
フィリピ教会の人たちにとって、
徒競走はスタディオン走という競技を意味していました。
それは、およそ190mほどの距離を走る短距離走です。
パウロがコリントに滞在していたときに、
イストミア祭という2年に一度開かれていた
スポーツの祭典が開催されたと考えられています。
それは、エフェソで投獄されたときに、
フィリピ教会に宛ててパウロが手紙を書いた時期の
およそ5年ほど前の出来事でした。
テントづくりで生活や活動のための資金を
得ていたパウロにとって、
たくさんの人が集まるイストミア祭は
お金を稼ぐ重要な機会でしたので、
彼がこの短距離走を観ていたのも不思議ではありません。
古代の短距離走は、
わたしたちが想像する現代の運動会や
オリンピックなどのものとは
大きく異なっていました。
イストミア祭や古代のオリンピックなどは、
神々に捧げるお祭りでした。
そのため、優勝者のみが神々の祝福を得ました。
優勝者のみが、冠を受け取り、
たくさんの富と名声を得ることができました。
2年に一度のこのお祭りに参加するために、
多くの人たちがコリントの町に訪れました。
パウロが目撃した短距離走が
どの程度の人びとの前で
行われていたのかはわかりませんが、
イストミア祭よりも重要な祭典であった
古代のオリンピックには、
4万人もの人々が集まってきたようです。
古代のオリンピックほどの規模ではないにしても、
イストミア祭のために集まった大群衆の前で
栄誉を受ける誇らしい瞬間のために、
選手たちはひたすらゴールを目指して走りました。
観客から讃えられるは優勝者のみです。
参加しさえすれば、走りきれば、
それだけで拍手喝采を受ける
というものではありませんでした。
銀メダルや銅メダル、入賞などはなく、
優勝者以外はすべて敗者でした。
そして、そこにスポーツマンシップなどありません。
いかに相手を蹴落として
自分が一番になるのかが
出場者たちにとって重要なことでした。
そのため、この短距離走に参加する
ランナーたちは必死にそのレースを走りました。
パウロはなぜこのような比喩を用いたのでしょうか。
信仰者の旅路は、このような短距離走のようなもので、
ただひたすらに優勝を目指して、
他の人と競い合い、
どんな手段を用いても良いから相手を蹴落として、
最後に栄冠を掴むことができれば良い。
といったことを伝えるために、
このような短距離走のイメージを用いたのでしょうか。
もしもそのような意図が込められていたのだとしたら、
フィリピ教会の人たちは絶望したことでしょう。
当時の社会でエリートであったパウロに、
誰が勝てるのでしょう?
それに、わたしたちの信仰の旅路が
個人主義のレースのようなものだったら、
現代に生きるわたしたちは
尚更うんざりしてしまいます。
わたしたちはもうすでに、
日常的に嫌というほど
競わされる社会の中で生きているからです。
受験やスポーツでの競争に始まり、
他人より良い成績や業績を追い求めています。
人気や影響力を勝ち取るために争います。
この世界での安定や安心を得るために精一杯です。
そうやって、競い合うことにもう既に疲れているのに、
もしも教会の中まで争いに溢れていたならば、
一体何処に安らぎを見いだせるのでしょうか。
もちろん、フィリピ教会の人びとに対する
パウロの願いは、違うところにありました。
パウロにとって、
教会は神の恵みを誰かが独占する場所ではなく、
神の恵みをお互いに分かち合って、
助け合う場所だからです。
パウロは競争原理をフィリピ教会に持ち込むために、
この短距離走のイメージを用いたわけではありません。
パウロがこの時に短距離走のイメージを用いたのは、
ゴールを目指してひたすらに
前を向いて走り続けるランナーのように、
キリストを信じる人びとも
ひたすらに追い求めるものがあると、
フィリピ教会の人たちに伝えたいと願ったからです。
ただ、今いる場所に留まり、
何も変えずに、何も変わらずにいる方が、
はるかに楽です。
というのも、わたしたちはもう既に、
キリストに捕らえられているからです。
神の恵みのうちに生かされているからです。
天の国に生きる希望を与えられているからです。
正直、キリストに捕らえられ、キリストを信じ、
救いの恵みにあずかっているならば、
もうそれで十分のように思えてしまいます。
でも、パウロはそれで満足しませんでした。
いや、満足できませんでした。
キリストに既に捕らえられ、
神の恵みの中で生かされているパウロは、
キリストに捕らえられたように、
自分もキリストを捕らえたい。
つまり、キリストを更に知り、
キリストとの関係を深めていきたいと
強く願うようになりました。
キリストの心を知り、
キリストの愛と憐れみに更に触れ、
キリストの願う平和を思い求めるようになりたい。
パウロにとってそれは、
短距離走のランナーのように、
ゴールを目指して前のめりに
ひたすらにキリストを求めることでした。
ある意味で、それはこの地上の歩みでは
決して完成しないものです。
完全にキリストを知ることはできません。
キリストとわたしたちの関係が
完全なものになることなど、
この地上の歩みで実現するはずありません。
というのも、誰かを知り、
関係を深めていくためには、
時間が必要だからです。
そして、時間が経てば経つほど、
知らなかった側面や見えなかった側面を
更に知ることになるからです。
キリストとわたしたちの交わりは、
決して閉鎖的なものではありません。
キリストを知り、キリストの心に触れるならば、
わたしたちはキリストの愛や憐れみを
知ることになるでしょう。
キリストの愛や憐れみを知るならば、
その愛や憐れみに生きるようにと
駆り立てられてしまうことでしょう。
平和や正義の思いを知るならば、
平和を広げ、正義が実現するために生きたいと
駆り立てられてしまいます。
キリストとの出会いが
わたしたちを突き動かしてしまうからです。
まさにそれは、パウロが比喩に用いた
目標を目指して走り続ける
ランナーのような生き方です。
愛や憐れみは決して完全なものとして
この世界に広がっているわけではありません。
平和や正義だって、そうです。
あらゆるものが傷つき、腐敗しています。
だからこそ、わたしたちはキリストとの交わりから
愛と憐れみを受け取り、
平和と正義を教えられ、
キリストの交わりを通して受け取ったものを
この世界へと広げていきたいと思うのです。
それがきっと、わたしたちが信仰の旅路を通して、
ひらすらに完成を追い求めていくべきものなのでしょう。
どうかみなさんとキリストの交わりを通して、
神の愛と憐れみ、平和と正義が
この世界に広がっていきますように。
愛と憐れみ、平和と正義が
この社会に広がる理想や目標を高く見据えてつつ、
わたしたちに出来る小さなことを
着実に積み重ねながら、
わたしたちはその実現を
ひたすらに追い求めていきましょう。