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朗読箇所

三位一体後第23主日

旧約 マラキ書 3:19–24

◆主の日
19 見よ、その日が来る
炉のように燃える日が。高慢な者、悪を行う者は
すべてわらのようになる。到来するその日は、と万軍の主は言われる。彼らを燃え上がらせ、根も枝も残さない。
20 しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには
義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように
躍り出て跳び回る。
21 わたしが備えているその日に
あなたたちは神に逆らう者を踏みつける。彼らは足の下で灰になる、と万軍の主は言われる。
22 わが僕モーセの教えを思い起こせ。わたしは彼に、全イスラエルのため
ホレブで掟と定めを命じておいた。
23 見よ、わたしは
大いなる恐るべき主の日が来る前に
預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
24 彼は父の心を子に
子の心を父に向けさせる。わたしが来て、破滅をもって
この地を撃つことがないように。


新約 ヨハネによる福音書 7:25–31

◆この人はメシアか
25 さて、エルサレムの人々の中には次のように言う者たちがいた。「これは、人々が殺そうとねらっている者ではないか。
26 あんなに公然と話しているのに、何も言われない。議員たちは、この人がメシアだということを、本当に認めたのではなかろうか。
27 しかし、わたしたちは、この人がどこの出身かを知っている。メシアが来られるときは、どこから来られるのか、だれも知らないはずだ。」
28 すると、神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、また、どこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。
29 わたしはその方を知っている。わたしはその方のもとから来た者であり、その方がわたしをお遣わしになったのである。」
30 人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかける者はいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。
31 しかし、群衆の中にはイエスを信じる者が大勢いて、「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った。

説教

主イエスに出会い続ける旅

  • 説教者  稲葉基嗣牧師

     

    イエスさまと同じ時代に生きた人びとは、
    イエスさまの言葉を直接聞くことができました。
    イエスさまの噂を聞いたならば、
    実際に会いに行って、
    イエスさまがどのような人物なのか
    実際にその目で見て、
    確認することができました。
    彼らは、イエスさまが行う奇跡や
    イエスさまが苦しむ人たちに
    手を差し伸べるその姿を
    実際に見ることだってできました。
    また、イエスさまの弟子たちならば、
    イエスさまがどのような日常を送っているのかを
    共に過ごしながら、知ることだってできたでしょう。
    そう考えると、イエスさまと
    同じ時代に生きた人たちは、
    わたしたちよりもイエスさまのことを
    よく知っていたのだろうなと思わされます。

    実際にイエスさまのことをその目で見て、
    イエスさまの話す言葉や教えを何度も聞いて、
    周りの人たちからイエスさまについての
    周辺的な情報を聞いた人たちは、
    自分たちはイエスさまのことを
    よく知っていると考えていました。
    少なくとも、イエスさまが
    救い主メシアであるかどうかを
    判断できるくらいには、
    イエスさまのことについて知っていると
    イエスさまと出会った人たちは
    考えていたようです。
    その際、彼らが口を揃えて言うのは、
    イエスさまがどこから来たのかを
    自分たちは知っているということでした。
    イエスさまが育ち、
    活動の拠点としていた場所は、
    ガリラヤ地方でした。
    イエスさまは、人びとからは
    特に重要視されていない、
    ナザレという田舎の村が
    出身であると認識されていました。
    ヨハネによる福音書のはじめの方で、
    フィリポという人は「ナザレから
    何か良いものが出ようか」(1:46)と言って、
    イエスさまがナザレ出身であることを
    鼻で笑っています。
    同じように、エルサレムにいた人たちも、
    イエスさまがナザレ出身である
    ということを知ったとき、
    イエスさまのことを鼻で笑ったかもしれません。
    このイエスという人に
    期待を寄せる人たちがいるけども、
    それは馬鹿げている。
    ナザレなんて小さな村について、
    聖書のどこにも書いていないんだから、
    メシアがナザレから来るなんて、
    あり得ないでしょ?といったように。
    イエスさまがどこから来たのかを知った時、
    人びとはイエスさまについて
    知ったつもりになりました。

    エルサレムの人びとにとって、
    自分たちはイエスさまについて
    よく知っていると思うことは、
    あまり良い形では働かなかったようです。
    イエスさまを知っていると意識することは、
    彼らにイエスさまのことを
    見えなくしてしまいました。
    ナザレの村からやった来た田舎者で、
    素性も知れているあの男が、
    神が遣わした救い主メシアであることなど、
    あり得ないといったように。
    彼らは、イエスさまが自分たちのために
    神のもとから遣わされてきた可能性を
    考えることをやめてしまいました。

    イエスさまのことを
    知っていると思っている人たちは、
    実際のところ、イエスさまのことを
    あまりよく知らなかったということが、
    イエスさまの言葉を通して明らかにされました。
    自分がどこの出身であるのかを
    みなさんは確かに知っているのかもしれないと、
    その場にいた人たちの理解を受け止めつつも、
    イエスさまは自分が天の神のもとから
    遣わされたことを彼らに伝えました。
    つまり、ガリラヤからではなく、
    天からイエスさまが来たということです。
    イエスさまがどこから来たのか
    知っている、と人びとは言いました。
    でも、皮肉なことに、
    イエスさまが実際どこから来たのかを
    彼らは正確に知ることはありませんでした。
    イエスさまはガリラヤ出身であり、
    天から来た神の子でした。
    このようなことを伝えようとする
    イエスさまの言葉に彼らは耳を傾けることはせず、
    イエスさまについて知っているつもりになっていました。
    彼らはイエスさまのことをよく知らなかったし、
    知ろうともしていなかったことが、
    イエスさまの言葉を通して露わにされました。

    ところで、このように、
    相手のことを知ったつもりになって、
    かえって、わからなくなったり、
    誤解してしまうことって、
    何もイエスさまと出会った人たちだけの
    経験ではありませんね。
    悲しいことに、わたしたちは
    色々な偏見や思い込みを抱きながら、
    人と出会い、関わってしまいます。
    ほんの一部分しか見ていないのに、
    相手のことを知ったつもりになって、
    誤解し、勝手に傷つき、
    また無意識に相手を傷つけてしまいます。
    「あなたってこういう人でしょ?」って、
    思い込んだり、決めつけたりして、
    他の人を見つめてしまうと、
    眼の前の人のことを
    うまく理解できなくなってしまいます。
    それはむしろ、実際のところは、
    相手を知っているよりも、
    知らないことの方が
    とっても多いとさえ言えるでしょう。
    誰かに、あなたってこういう人だよねって、
    他人から決めつけられることは嫌なのに、
    そんな嫌なことを他の人に対しては、
    わかっていても、無意識のうちに
    してしまいがちなものです。
    それほど、自分以外の誰かについて知り、
    心を通わすように、お互いを知り合うことって、
    とっても難しく、時間のかかることだなと思わされます。

    わたしたちとイエスさまの関係だって、
    同じことが言えます。
    知っていると思っていても、
    実は本当のところは、あまりよく知らない。
    知っていると思っていても、
    実は、自分にとって都合の良い、
    イエスさまの姿ばかりを
    見ているのかもしれません。
    確かにわたしたちは、
    イエスさまのことを知っています。
    でも、わたしたちが気づかなかったことや、
    見過ごしていたこと、知らなかった姿を
    イエスさまはわたしたちに伝えながら、
    わたしたちに出会ってくださる方です。
    その意味で、今を生きる
    わたしたちにとって幸いなことは、
    イエスさまと直接会えず、
    イエスさまの姿を直接見たり、
    イエスさまに直接触れたり
    できないことかもしれませんね。
    わたしたちはイエスさまのことを
    それほどよくは知らないって
    いつでも思っていられるからです。
    わたしたちは誰もが、
    イエスさまのことをよく知らず、
    イエスさまのことを
    知り尽くしているわけではありません。
    だからこそ、そんなわたしたちにとって、
    イエスさまとの出会いは、
    いつも新しい出会いの連続です。
    そして、よく知らないとわかっているから、
    もっとよく知りたいなと思うのです。

    ところで、イエスさまはわたしたちと
    どのようにして出会ってくださるのでしょうか。
    たしかに、わたしたちは日々の祈りや
    聖書の言葉、礼拝を通して、
    イエスさまと出会うことができます。
    定期的なリズムを持ちながら繰り返す、
    それらのことを通して、
    イエスさまはわたしたちに喜びや感謝、
    必要な助けや励まし、
    そして慰めを与えてくださいます。
    でも、礼拝や祈りや聖書を読むことだけが、
    イエスさまがわたしたちと出会う方法ではありません。
    面白いことに、イエスさまは人を介しながら、
    わたしたちと出会ってくださる方です。
    というのも、イエスさまは
    単にわたしたちと出会うだけでなく、
    わたしたち一人ひとりと
    共に生きてくださる方だからです。
    ですから、わたしたちは教会の交わりの中で、
    イエスさまと出会うことができます。
    イエスさまと一緒に生きる仲間たちが
    語りかけてくれる言葉や
    何気ない行動を通して、
    わたしたちはイエスさまと出会うことができます。
    イエスさまを通して、ひとりひとりに与えられている、
    愛や憐れみ、慰めや平安に
    仲間たちを通して、触れることができます。
    この交わりの中においても、
    いろいろな方法でイエスさまと
    出会い続けることができます。

    わたしたちにとって、
    教会って、人生のいろいろな場面を共にしながら、
    一緒に天の御国を目指す旅を
    一歩一歩進んでいく交わりです。
    そんな教会に集う仲間たちと
    イエスさまは共にいてくださっています。
    ですから、ここに集う仲間たちを通して、
    イエスさまは日々、
    わたしたちひとりひとりと
    出会い続けてくださっています。
    わたしたちの日々の歩みに
    変化があるときも、ないときも。
    良い時も、悪い時も。
    一人では乗り切れない時期も、
    誰かと一緒に喜びたい時も、
    どのような時もイエスさまは、
    教会の交わりを通して、
    わたしたちと出会い続けてくださいます。
    それはとても喜ばしく、
    励ましと慰めに満ちている、
    神の恵みにあふれる旅と言えます。
    イエスさまがわたしたちの生涯において、
    わたしたちと出会い続けてくださる旅だからです。
    イエスさまとのこの出会いは、
    わたしたちの生涯の終わりまで続きます。
    何よりも、わたしたちが死を迎えた後、
    復活の命を与えられる、復活の日の朝に、
    わたしたちはイエスさまと出会うことになります。
    そんな希望にあふれる日を見つめながら、
    わたしたちはきょうも、そしてこれからも、
    イエスさまと出会い続けるこの信仰の旅路を
    一緒に歩んで行きましょう。

週報より

  • 2024.11.03 週報より抜粋・要約

  • ① 礼拝の中で、召天者記念式を行います。
    わたしたちよりも先に、わたしたちの故郷である天の御国へと帰った方々を
    思い起こし、記念し、祈る時を持ちました。
    教会員、教会に関係のある方の一覧は別紙をご覧ください。
    万一、記載漏れや誤記などがありました場合は、
    訂正いたしますので牧師までお知らせください。

    ② 礼拝後、ティータイムのあとに月例教会役員会をおこないます。
    教会役員のみなさまはよろしくお願いいたします。
    おもな議題は、クリスマスの行事についてです。

    ③ 11月9日(土)から10日(日)にお泊り会を予定しています。
    キャンドルサービスで予定しているこどもたちの劇の準備のため、
    9日(土)の午後からお泊り会を開催する予定です。
    食事準備(夕飯と朝食)などをお手伝いいただける方は、
    基嗣牧師またはポール・レディングトンさんまでお知らせください。
    様子を見に来たり、差し入れをしていただくことも大歓迎です。

    ④ 来週は礼拝の中でこども祝福式をおこないます。
    小学生以下の子どもたちを祝福します。プレゼント付きです!
    どうぞ子どもたちといっしょにいらしてください。


    ・能登半島地震の救援募金にご協力ください(受付テーブルの上にある家の箱)。
    ・書き損じ・出し忘れのはがきをください
    (アジア学院に寄付)
    ・洗礼(バプテスマ)・転会をご希望の方は
    牧師にお知らせください。

    小山駅・教会間の送迎(9:45東口出発)があります。
    詳しくは牧師にお尋ねください。


  • 以上

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