これがわたしの担当する
最後の『モレノ』「牧師室より」です。
牧師室の場所は何度か変わりましたが、
わたし自身は余り変わらず、
成長していないなあと、
いまさらながら実感しています。
四十一年前、教会の月報は
『Joyful Cabin』という名称でした。
高校生たちと作る教会月報は、
発行部数が三十部。
今の『モレノ』の三分の一でした。
印刷方法はアルコール印刷。
カーボン紙の上に原版となる紙を乗せて、
上からボールペンで字や絵を書くと、
カーボンが原版に写し取られます。
その原版を手回しの輪転機にセットして、
アルコールでカーボンを溶かしながら
輪転機を回すと、
用紙に字や絵が転写されるという仕組みでした。
原版のカーボンを
アルコールで溶かして転写するので、
当然のことながら
印刷できる枚数には限界があります。
三十部ほど印刷すると、
文字や絵が薄れてきます。
原版のカーボンがなくなってくるからです。
カーボン紙は黒のほかに
青、赤、黄色、緑がありましたから、
カラー印刷ができました。
カーボン紙を下に敷いて、
原版に手書きをするので、
文字の上手下手がそのまま出ます。
わたしは悪筆ですから、
わたしが書くページは読みにくかったです。
高校生たちがわたしの手書き原稿を、
原版に書いてくれました。
もとの手書きの字が判読しづらかったので、
高校生たちの間では、
だれがわたしの字を読み取る能力が高いかを
競っていたようです。
どうしてもだれも読めないと、
わたしの所に訊きにきます。
しかし、わたしが自分の字を読めないのもしばしばで、
そんなときは摂子に訊くと、彼女だけ、
わたしの判読不明な文字を読み解くことができました。
週報は謄写版。油紙の原版に鉄筆で字を書き、
それをシルクスクリーンにセットして、
ローラーでインクを乗せると、
鉄筆で削ったところだけがインクを通すので、
文字が下の紙に印刷されるという仕組みです。
ワードプロセッサーが出現し、
コピー機の値段が下がって、
週報や月報の製作方法が劇的に変わりました。
小山で親しくしていた牧師が、
いち早くワープロを手に入れて、
それで作った週報を見せてくれました。
すごい!が実感でした。
そのワープロは液晶画面に
七文字が表記されるものでした。
その翌年、わたしもワープロを手に入れました。
これはなんと四行が表示され、
その横にはドットでページのレイアウトが
表記されるという優れものでした。
それで価格は友人のワープロの半額ほど。
性能が飛躍的に進歩することを実感しました。
後で教会出入りの事務機屋さんに聞いた話ですが、
その数年前にある会社に、
三百万円でワープロを販売したそうです。
その数年後にはワープロの性能がはるかに優れ、
価格は五十分の一ほどになり、
その会社には顔を出すことができなくなった
とのことでした。
1989年だったでしょうか。
わたしにとってさらなる飛躍の時が訪れました。
神学校の教え子の牧師がわたしに、
「ワープロにしがみついていないで、
パソコンにしたらいいですよ」と
しきりに勧めてくれ、彼の手伝いで
エプソン製のパソコンを購入しました。
本体メモリーが1メガバイト、
外付けのハードディスクが20メガバイト。
フロッピーディスクのワープロソフト
「一太郎」で週報や月報を作るようになりました。
悪筆がハンディではない時代が到来したのです。
驚くべき技術革新が、十年の間に起きたのでした。
アメリカ留学時代、
レポートはタイプライターで打っていました。
オリベッティ社製の手動タイプライターには
ずいぶんとお世話になりました。
指の力も強くなりました。
シカゴでは、帰国する人から
電動タイプライターを安く譲ってもらい、
だいぶ楽になりました。
弱い力でもバシ、バシっと打ってくれるからです。
打ち間違いがあると、
紙をずらして修正液や砂消しゴムで消して、
もう一度紙の位置を慎重に合わせて、
正しい字を打ちます。
どうしても少しずれますが許容範囲ならOK。
原稿から行を飛ばしてしまったり、
後から文章の入れ替えや挿入が必要になると、
全部打ち直しでした。
日本に戻る時、
電動タイプライターはさすがに
持ち帰ることはあきらめましたが、
最初の手動タイプライターは
捨てがたくて持ち帰りました。
教会の謄写版は、
いつか将来世界的な危機が訪れ、
電気などが使えない時代が来たときのためにと、
物置にしまい込んであります。
今もどこかにあるはずです。
説教原稿は長く手書きでしたが、
ワープロになり、パソコンになり、
今に至っています。
最初の頃の手書き原稿から、
現在のプリンター出力の原稿まで、
説教原稿は紙で保管してきました。
この四月以降、順次処分してゆくつもりです。
本も資料もノートも、
ほとんどは処分対象になることでしょう。
シカゴ時代に受講した、
世界的に高名な教授の講義ノートは、
捨てがたくてずっと書類棚にしまっていました。
それらを紙ではなく頭に保管しておけば、
場所は取らないはずですが、
わたしの頭の容量が
少しばかり不足していたようです。
かつて力を注いで学んだり
書いたりしたものを処分するのは、
自分の歩んだ歴史を消してゆくような淋しさを感じます。
しかし、そのようにして身軽になり、
後ろのものを捨ててゆくことが、
天の御国に近づくために昇る一段一段なのでしょう。
最後の牧師室にとりとめのないことを書きました。
皆さまどうぞお元気で
これからの信仰生活を歩んでください。
主キリストの祝福を祈ります。
2023年3月25日、
小山教会付属館の牧師室にて。
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