今年の冬は、5年ぶりにクリスマスの準備をしています。本当に久しぶりなので、牧師としてはじめてアドヴェント(待降節)の時期を過ごした頃を思い出しながら過ごしています。東京の小岩にいた頃は、子ども向けのクリスマス会もありましたので、この時期は今に比べてずいぶん慌ただしかった記憶があります。子どもも生まれたばかりの頃でしたし。
クリスマス会といえば、12月最初の月曜日は、ナザレン神学校のクリスマス会に出席しました。今回はオンラインでしたので、渋谷への移動はありませんでした。最初の礼拝での説教をお願いされていたので、遅刻や電車の遅延などの心配をせずに済んで良かったです。
ただ、オンラインのみでの礼拝はやはり味気ないものです。お互いの顔は見えるのに、讃美歌を歌っても他の人の声が聞こえてこない寂しさがあります。説教者としても、言葉が届いているのかどうかが、わかりにくいです。もしかしたら、対面でしていることをそのままオンライン環境に移植しようとするからいけないのかもしれませんね。オンライン環境であることをもっと考慮して、礼拝を整える創造性と想像力がより問われる気がします。そういった成果が今後、どのようにまとめられ、提案されていくかはとても楽しみなところです。そのような成果は、色々な事情で教会に足を運べない方たちと一緒に礼拝を守り続けていく道を整えてくれるでしょうから。
話が少し逸れてしまいましたが、神学校のクリスマス会の中では、クリスマスの思い出を語り合う時間を持ちました。事前に郵送されてきたお菓子と、自分で用意したお茶をいただきながら、出席された方たちの話に耳を傾けました。中には80年前(!)のクリスマスの思い出を語り出す方もいて、驚きでした。みなさんはクリスマスにどのような思い出がありますか?機会があったら、ぜひ教えてくださいね。
わたしは子どもの頃に通っていた教会で過ごしたクリスマスを思い出します。当時通っていた教会では、クリスマスシーズンになると礼拝堂にもみの木が置かれていました。そのもみの木には、クッキーが飾り付けとして掛かっていて、クリスマスが終わると食べることができたので、毎年それが楽しみでした。今思うと、衛生的にはアウトですね…。一番印象に残っているのは降誕劇です。いつ頃だったのか記憶は定かではないのですが、降誕劇で東から来た博士役をしました。黄金と乳香と没薬のどれかひとつを、歌いながら赤ちゃんイエスさまに捧げた記憶があります。誰と一緒にしたのかとか、全体のストーリーラインはどのようなものだったのかなど、全く覚えていませんが、一番記憶に残っている、幼少期のクリスマスの思い出です。
最近の思い出ですと、小岩教会での1年目のクリスマス礼拝の日のことでしょうか。礼拝の後に教会の外に出たら、小学生3人が教会の前で立ち止まっていました。どうしたのかなと思い、話しかけてみると、以前に少しだけ教会と関わりのあった子どもたちでした。その日を境に近所のたくさんの子どもたちと顔見知りになりました。連日のように、その子どもたちが友だちを連れて教会に遊びに来るようになったからです。あの頃一緒に遊んだ子どもたちは、もう高校生です。彼らはどうしているかなと、この時期になるといつも思い起こします。彼らが今後、悩んだり行き詰まったりしたとき、キリスト教会を選択肢の一つとして思い出してくれたら嬉しいです。
思い出を色々と書き綴ってしまいましたが、この原稿を書いている今の時期は、キャンドルサービスとクリスマス礼拝に向けての準備の真っ只中です。今年は礼拝後の祝会で出し物があるみたいなので楽しみです。コロナ禍以前のクリスマスのお祝いも少しずつ戻ってきてとても嬉しいですね。
安全な場所でクリスマスを喜び、お祝いできない方たちが世界中に、とくに中東、ウクライナの地に数多くいることも同時に思い起こします。ガザ地区から避難した人びとが1日も早く日常を取り戻すことが出来るように祈るばかりです。争いが終わらず、地上に暗闇がますます広がっているように思えるこの世界の現状だからこそ、主キリストが訪れることを通して、平和と和解の光が1日でも早くたらされますように。
素敵なクリスマスとなりますように。そして、良いお年をお迎えください。
2023年12月12日、小山教会付属館の牧師室にて。
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